DOCTOR’S
STORIES
専門医である前にひとりの医師でありたいと願う深谷英平先生のストーリー
物心ついた頃、祖父が脳出血により半身不随になりました。そんな祖父の車椅子を押すことが幼少時の私の役目でした。手にかかる祖父の重み。車椅子のハンドルの感触。そのような原体験を通し、私は自然と医師を志すようになりました。
家族にも親戚にも医師がいなかった私が抱いていた医師のイメージといえば、町のクリニックのお医者さん。近隣の方々が健康に悩んだとき、何でも診てくれるお医者さんです。
「医師になるなら、何でも診られるようになりたい」
そう考えて、医学部に入学しました。しかし、いろいろな診療科の講義を受けてみると、外科も面白そうだ、と心動いてしまいます。そして、どの診療科に行こうかいよいよ悩んだとき、思い出したのは車椅子の祖父の背中でした。そうだ、私は何でも診られる医師になりたかったのだと。
こうして私は北里大学の内科を選び、初期研修医として医師のキャリアをスタートさせました。
当時の北里大学は、今のように全診療科を回るスーパーローテートではありませんでした。しかし、内科を志望した医師だけは初期研修のあいだ、すべての内科系診療科を回ることができたのです。
いろいろな内科系診療科を回り、循環器内科で研修していたある日のことです。40代前半の男性が心筋梗塞で運ばれてきました。
男性は心肺停止の状態。正直、「これは助からないだろう」と思った私の隣で、循環器内科の上司たちはてきぱきと処置を進めます。すると患者さんは一命をとりとめただけでなく、一切の後遺症を残さず元気に退院されていったのです。
それはまるで魔法をみているかのようでした。
当時の病棟主治医で私の上司でもあった勝沼英太先生が、「夜中に呼ばれることもよくあるし、循環器内科医は確かに大変。でも、私たちが頑張れば助けられることが多いんだ。たとえ夜中に呼ばれても、自分が患者さんのところに一刻も早く駆けつけたら助けられるって思ったら頑張れるだろう?」
勝沼先生は、当時研修医だった私にそういいました。夜中に呼ばれ、寝癖を直す間も惜しんですぐに駆けつければひとつの命を救うことができる。一分一秒を争う中、自分の処置の質で、患者さんの将来が決まる―。
内科でありながら外科のようなダイナミックさのある循環器内科の治療に、私はすぐに魅了されました。心臓など生命の維持にかかわる大切な臓器を扱いつつも、医師の技量次第で患者さんの人生が決まる。自分が医師として生きる道はここだ、と思った私は循環器内科医になることを決めたのです。
志高く循環器内科医としての道を歩み始めましたが、その道は決して順風満帆ではありませんでした。循環器内科が扱う疾患は、劇的に改善することが多い一方で、突然病状が悪化し帰らぬ人となることも少なくありません。私の力が及ばず、患者さんを助けられない場面に数多く直面し、その度に身を削られる思いをしました。
まだ若い患者さんを助けられなかったとき、患者さんの祖母に白衣をつかまれ、懇願されたこともあります。
「どうか、どうかあの子を助けてやってください」
それは、今から死亡宣告をするという、まさにその瞬間のできごとでした。そのときに抱いた無力感は、今でも忘れられません。
がんとは異なり、昨日まで元気だった患者さんが突然悪化し、ときに亡くなるケースがあるのが循環器の疾患です。患者さんのご家族も事実を受け入れられず、呆然となることが多くあります。
そんな場面では、患者さんやそのご家族が納得できるまで繰り返し丁寧に説明して寄り添うことを大切にしています。よくなったり悪くなったり、循環器疾患の患者さんには病状に大きな波が生じます。カテーテルを挿入して心臓の治療を行う冠動脈形成術やカテーテルアブレーションなど、外科のような侵襲的手術も行うため、合併症のリスクにも対処する必要があります。患者さんやそのご家族は、私たちに命を預けてくれているのですから、私たちもその期待に応えるべく最大限のことをする必要があるのです。
そうした心がけもあってか、私を慕い、感謝してくれる患者さんも何人もいました。患者さんからいただいたお礼の手紙は、今でも私の宝物です。
私は、不整脈が専門の循環器内科医ではありますが、何でも診られる医師になりたいと思っています。
昨今では臓器別に診療科がわかれ、医師の専門性が増し、また大学病院ではそのなかでもさらにこの疾患、という風に細かく医師の専門がわけられています。私は大学病院に勤務している者ですから、そのようにひとつの専門だけを突き詰めるというスタイルでも、今の仕事に支障はありません。しかしそれでは本当に「井の中の蛙」の状態になってしまい、本意ではありません。
不整脈の専門医である以前に、私は医師です。医師ならば、目の前で患者さんが倒れたときに、患者さんがどんな状態であっても対応できなければいけないと思います。私が目指す医師像とは、飛行機に乗っていて偶然急病人が出た場に居合わせ、医師を呼ばれたときにすぐに手を挙げられる、そんな医師なのです。
あらゆる領域の知見を広げるために、私は3年ほど前から大学内の有志を集めて内科合同勉強会を主催しています。各内科系診療科の医師が集まり、それぞれの専門について毎回講義形式で勉強し、ほかの診療科ではどういう最新トピックスがありどのような診療を行っているかなどを共有するものです。いつもすぐ隣で働いているにもかかわらず未知の発見が多くあり、とても刺激的です。参加した医師からも評判がよく、実際は他の診療科がやっていることを知りたかったという本音を聞くいい機会にもなりました。
今、私は北里大学循環器内科の医局長として、後進の指導や、よりよい教室の運営のために駆け回る日々を送っています。せっかく北里大学の循環器内科を選んでくれた後進の医師には、やはりしっかりと学んでもらい「ここに来てよかった」と思ってもらいたい。ですから、どんなに忙しくても、すぐに後輩の医師のやり方に口を出したくなってもぐっとこらえて、見守るようにしています。そして十分に考えてもらったあとに、答え合わせとして丁寧に解説をします。
この場所から優秀な循環器内科医が育ち、巣立っていくことは、私や教室主任教授の阿古先生の願いです。そして教室全体や大学の願いでもあります。ここから旅立った彼らの知識と技術でより多くの患者さんが救われれば、これほど嬉しいことはありません。
自分のスキルアップももちろん大切ですが、それよりも、患者さんも医師もみんなが幸せになれる世界をつくりたい。
これはもちろん、到底ひとりではできることではありません。阿古先生や教室のメンバーたちと協力しながら、これからも北里大学循環器内科から、どんな方でも助けられる医師を育てるためのサポートをしていきたいと思います。
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北里大学病院
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