インタビュー

全国どこでも標準的な喘息の治療が受けられる「ガイドライン」普及のために―西間三馨先生のあゆみ

全国どこでも標準的な喘息の治療が受けられる「ガイドライン」普及のために―西間三馨先生のあゆみ
西間 三馨 先生

国立病院機構福岡病院 名誉院長

西間 三馨 先生

この記事の最終更新は2016年02月01日です。

かつて、喘息で多くの子どもが命を落としていった時代がありました。そんな中、「なんとかして子どもたちを救いたい」という思いで喘息治療の進歩のために尽力されたのが国立病院機構福岡病院・名誉院長の西間三馨先生です。現在では、喘息で命を落とす子どもの数は年間数人程度にまで減らすことができています。しかし、この状況になるまでには多くの苦労がありました。かつての喘息治療をめぐる状況について、またそれをどのように進歩させてきたのかについて、西間先生にお話しいただきました。

私は1968年に九州大学医学部を卒業しましたが、その前後には青年医師連合での医局の民主化運動や、いわゆる大学紛争に嵌まっていました。

その中で、大学の制度、国の制度などの権威が作っているものに対して矛盾を感じながらいろいろなものを見てきました。ストライキ、教授室封鎖、事務局本館封鎖なども行いました。また、医師免許自体を取得することも国家試験ボイコットにより遅れました。そんな中で大学紛争は少しずつ先細りになってきました。結局私は、秋の国家試験を受けた後に医師になりました。

このように様々な矛盾を感じ、色々な経験をしながら私は医師になりましたが、その過程で、「自分で身につけた力で要求や考え方が通じるようにしなければいけない」「何も成していない状態で理想論を言ってもしょうがない」と考え、我が為すべきことに地道に取り組みながら自分の力を蓄えていくことに決めました。それが「日々の臨床で患者さんと全身全霊で向き合っていくこと」だったのです。

私が向き合ったのは、喘息の患者さん、特に子どもの患者さんです。当時は喘息でたくさんの子どもが死んでいってしまう時代でした。点滴アミノフィリンの静注、アドレナリンの皮下注などで、発作が起こってしまったときの対応が主でした。しかし現在使っているような抗炎症薬はなく、発作自体が起こらないように抑えるのが難しいため家で経過をみることは難しく、重症な喘息は入院せざるをえない病気という位置づけでした。喘息の子どもは、生活上の困難から、普通学校ではなく病弱養護学校(今の特別支援学校)に通わなければならないような時代だったのです。

このような喘息の子どもをケアしなければならない一方で、入院させたくても病床が足りないという状況が問題でした。当時(1970年前後)、私のいた九州大学小児科病棟には12床しか喘息用のベッドはありませんでした。そのため、新たな長期入院施設を作る必要を感じ、国立療養所南福岡病院(現・国立病院機構福岡病院)の長野準院長と交渉しました。そして、数年後には福岡病院の2個病棟を全て、喘息を診察することの出来る病棟に変えてもらいました。こうして100人くらいの子どもが入院できるようになりました。とりあえず入院させることによって学校にも通学でき、重症発作時にもすぐに対応できる状況を作ることができました。なかなか退院できない子どもと一緒にサマーキャンプ等でホスピタリズムを防ぎ、冷水摩擦、かけ足、痰出しなどの日課を一緒にしたりもしました。

喘息の発作が起きたときの対処は、今も基本は同じですが「とにかく気管支を拡げる」というものです。この対処は病院であれば迅速に行うことができるため、入院してさえいれば発作では亡くならないという状況は作ることができました。しかし、現在は日常で発作を抑えるために必須である吸入ステロイド薬も1980年代にはあまり普及しておらず薬剤自体も良くなく、子どもが自宅で次々と死んでいきました。「自宅に帰ると状態が悪くなる、それは母親が悪いのではないのか、『母原病』ではないのか」という乱暴な議論すら一部で唱えられるような状況だったのです。

ここで私が行ってみたのは、それならば自分の家に連れて帰ってみようということです。喘息の子どもを自宅で預かりましたが、やはり私の自宅でも夜間には発作が起こります。すなわち、単に母親が悪いわけではないということですが、発作のサイクル(朝方に起きやすい)と、当時の家庭環境は今よりもダニが多かったことが影響していたのでしょう。

こうした経験を経て、私は「喘息はアミノフィリン、アドレナリン、根性!」などと言われている時代を一刻も早く終わらせなくてはいけないと考えました。どのような治療が良いのか検証し、それをきちんと普及させることが私の使命であると感じました。1990年当時欧米の成人領域では、吸入ステロイド薬により発作を抑えることが標準的な治療となりつつありました。しかし当時の日本ではステロイドの副作用に対する誤解もあり、吸入ステロイド薬も製剤上の問題や吸入手技の未熟さや無理解などできちんと普及していないのが現状でした。

1993年頃からこの吸入ステロイド薬による標準的な治療を普及させるためのガイドラインが日本の成人領域でも作り始められました。小児は少し遅れましたが、小児に特化したガイドラインを定期的に刊行するようにしました。ここで意図したのは、「今までは一部の喘息治療の専門家しか知らなかったこと」を広めていくことです。これにより、全国どこでも標準的な治療ができるようになることを目指しました。結果として、喘息死は激減しました。毎年100人以上いた喘息で死ぬこどもを、数人程度にまで減らすことができたのです。

喘息治療の進歩のほかには、重症心身障害児(重度の肢体不自由と重度の知的障害とが重複した状態)の医療にも力を注いできました。かつては重症心身障害児への医療が充実していなかった時期もありました。しかし、徐々に医療の進歩により重症心身障害児が亡くなることなく大人にまで成長できるようになったのですが、そこで重症心身障害者、さらには老人をどのようにケアするかという新たな課題が生まれてきました。これに対しては、施設を充実させるなどさまざまな場面で必要となる費用をどうしていくのかという問題の解決を図り、またケアについてガイドラインを作成しました。移行期の医療・介護・福祉はさまざまな分野で種々の解決すべき課題が山積していますが、それにおいて国の施設として先駆的な役割をいくばくかは果たしていけたのではないかと感じています。

喘息や重症心身障害児へのガイドラインを作成しながら私が力を注いてきたことは、「どこでも標準的な治療が受けられる世界を作る」ことです。少数の名医だけが治療をできるというのでは、広く国民がその恩恵を享受することはできません。多くの患者さんを救うためには、「名医」に頼らないというより「名医」を必要としないで標準的かつ高質な治療・管理ができる世界を実現することが大切であると思っています。

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