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インタビュー

なぜ今「医療費の適正化」が必要なのか?保険料だけでは賄えない国民医療費の財源をみつめる

なぜ今「医療費の適正化」が必要なのか?保険料だけでは賄えない国民医療費の財源をみつめる
印南 一路 さん

慶應義塾大学総合政策学部教授/医療経済機構研究部長/厚生労働省中央社会保険医療協議会委員

印南 一路 さん

増大する医療費の適正化は今、日本全体の課題となっています。深刻化するこの問題はメディアなどでも度々取り上げられ、しばしば「日本の国内総生産に占める医療費の比率は、先進国に比べて高い」という声も挙げられています。しかし、慶応義塾大学総合政策学部教授の印南一路先生は、対GDP比のランキングから日本の医療費の高低を論ずる手法には異を唱えています。一体なぜでしょうか。

今、医療費適正化が必要な真の理由とは何なのか、印南先生のご意見をお伺いしました。

「医療費の適正化」について考える際、まず大前提として、ここでいう医療費とは「国民医療費」であるということを押さえておく必要があります。国民医療費とは、保険診療の対象となる治療に要した医療費のことで、保険適用外の自由診療にかかった費用は含みません。

ですから、なぜ今「国民医療費を適正化」しなければならないのかを、掘り下げて考えていくことが大切です。

たとえば医師の方であれば、より多くの患者さんを救いたいという思いがありますから、国民医療費に制約を設けることには心理的な抵抗があるでしょう。

しかし、国民医療費の財源の半分弱は、強制的に私たちの所得から差し引かれている保険料です。さらに、保険料のみではカバーしきれない国民医療費の約4割は、税金で賄われています。

先日、2015年度の国民医療費が過去最高の41.5兆円に達したと厚生労働省が発表しました。この41.5兆円のうち38~39%は国民の税金であり、納税を国民が拒むことはできません。より簡潔にいうと、強制的に集められた国民のお金で成り立っているのが今の保険診療なのです。ですから、国民医療費(以下、医療費)は無限に増大してよいものではなく、なんらかの制約が必要なのです。

前項で、医療費には「なんらかの制約」が必要であると述べました。すると、「では医療費に適正な水準があるのか」という疑問が生じます。

2000年代後半、日本のGDP(国内総生産)に対する医療費の比率は、先進国(G7)のなかで最下位の8.0%となったことがあります。これは、それまで最下位であったイギリスで、医療費を増額する大規模な政策が行われたためです。このとき、イギリスの政策をみて、日本の医療費は低すぎるのではないかと主張する専門家らが多数現れました。しかし、医療費の水準の高低を対GDP比という数字で考え、議論を積み重ねても永遠に結論は出ません。なぜなら、対GDP比とは医療費をGDPで割ったものであるため、GDPが小さくなれば比率は大きくなり、GDPが大きくなれば比率は小さくなるからです。

経済協力開発機構(OECD)がまとめた2015年の日本の医療費対GDP比は11.2%で、アメリカ、スイスに次いで世界3位になりました。すると今度は、日本の医療費は高すぎるという批判が上がるようになりました。

経済規模と医療費を結び付けて考えること自体は重要です。しかし、果たして本当に対GDP比が8%だと低く、11%だと高いのでしょうか。はたまた、保険制度がそれぞれ異なる先進国の平均値が、わが国の医療費の適正な値なのでしょうか。答えられる人はいないでしょう。

以上のことから、私は先進国における対GDP比のランキングを、医療費適正化のための指標とする意見には賛同しかねます。

詳しくは記事2で述べますが、医療費適正化のためには「規模」のみをみるのではなく、「医療の中身」をみることが重要です。本当に必要な医療に国民全員がアクセスできているか、無駄なもの、本当に必要とはいえないものにも医療費が使われているのではないか、こういった視点から基準を設け、医療費の高低を測るべきだと考えます。

(資料提供:印南一路先生)

ここまでに、(1)医療費の財源は保険料や税金であるため、制限を加える必要があるということ、(2)医療費の適正化を考えるには規模だけでなく中身をみる必要があることを述べてきました。次に記すのは、なぜ医療費を適正化しなければいけないのかという、極めて現実的な問題です。

しばしば、医療費適正化の理由として、経済成長にマイナスだからという声があげられます。しかし、医療費が増加することが経済成長にマイナスになるという強いエビデンス(科学的な根拠)は存在しません。

それどころか、医療に投資することは、ある程度の経済効果をもたらします。医療産業には、最も牽引力があるとされる自動車産業ほどの経済効果はありません。ゆえに、医療が産業全体の足を引っ張るほどの力もありません。しかし、橋やビルを作るといった公共事業よりは、医療に投資したほうが経済効果は高まるのです。ですから、医療に国が投資すること自体は無駄ではないといえます。

では、保険財政が圧迫されているから、医療費を適正化せねばならないのでしょうか。実は、これは決定的な理由にはなりません。かつて、協会けんぽ(全国健康保険協会)の赤字化が問題となりましたが、これは国債の積み増しと保険料率の引き上げにより解消されました。また、1973年に老人医療費無料化が導入された国民健康保険も、少子高齢化に伴い高齢者医療費の増加を回避できず、医療費適正化のため、2000年になり後期高齢者医療制度を創設しました。

医療保険制度の財政難を理由に保険料を上げることに対しては、もちろん経済界からの反対がありますし、私自身もこれに賛成するわけではありません。しかし、いざとなれば保険料を上げることで財政難を克服できるという理屈も通用するため、保険財政状況も医療費適正化の決定的理由にはならないといえるのです。

赤字大国日本イメージ画像

国を挙げて医療費適正化を行わねばならない最大の原因は、おそらく医療費が国の財政赤字の主因となっているからでしょう。冒頭で、国民医療費の主な財源は保険料と税金であると述べました。しかし、税収でも賄えない部分に関しては、国債を発行して対処しているのです。結果として日本の赤字国債は全体で1000兆円にも達しています。

国民の中には、後の世代に負担を残すことになっても国債を発行したほうがよいと言い切る方も一部いますが、大半の方は歯止めをかけねばならないと考えています。国民皆保険制度を維持したまま、医療費の上昇に制限をかけるとなると、国民一人ひとりの負担増は当然ながら避けられません。負担の増加は、国民も政府も厭うものでしょう。しかし、痛みを伴ってでも、財政赤字を減らすよう努めねばならないと主張するのには、以下のような理由があります。

世界で過去約100年の間に財政破綻した国について調べると、半数の国の破綻の原因はわかっていません。つまり国家の財政とは、その時にはよくわからない理由で破綻してしまうのです。

そもそも、経済後退の原因とは「後になって初めてわかるもの」です。たとえば、オイルショックやリーマンショック後の恐慌の程度も、問題発生直後に正確に予測した国はありませんでした。1929年の世界恐慌の原因も、後になって認定されたものです。

このような事実がある中で、日本の財政赤字を放置してしまうことは極めて危険です。今すぐに日本の財政が破綻するとはいいませんが、医療費適正化は記事2で述べる複数の取り組みを全て行わなければ実現できないため、時間がかかります。それゆえ、手遅れになる前に、可能な限り迅速に着手すべであると考えます。

 

では、具体的にどのような政策を実施すれば、医療費をコントロールすることができるのでしょうか。私は、重要なことは医療費の削減でも全体額の抑制でもなく、「伸び率のコントロール」であると考えます。これまでの医療費の伸び率の実態について、記事2で詳しくみていきましょう。

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