インタビュー

心臓病を検査する技師や医師が知っておくべき「心臓超音波検査の面白さ」とは

心臓病を検査する技師や医師が知っておくべき「心臓超音波検査の面白さ」とは
別府 慎太郎 先生

大阪みなと中央病院 名誉院長

別府 慎太郎 先生

この記事の最終更新は2016年12月11日です。

心臓超音波検査とは、人の耳には聞こえないほどの高周波数の音(超音波)を心臓へ向けて発信し、その反射波を利用して心臓の動きをみる検査です。大阪みなと中央病院名誉院長の別府慎太郎先生は、研修医時代に人の生きる瞬間と死ぬ瞬間を見たことをきっかけに心臓を専門にされることを決め、これまでに心臓超音波検査の発展に大きく貢献されてきました。心臓超音波検査は一見やさしい検査法に思えますが、実際には非常に奥が深く、この検査を究める面白さはどの検査にも劣りません。本記事では、別府先生のご経験を踏まえて、心臓超音波検査の魅力と面白さ、検査技術の向上のポイントについてお話しいただきました。

私が大学を卒業した1969年、大阪大学では青年医師連合によって新しい臨床研修カリキュラムが始まっていました。それまでは大学医局の教授が全員の研修場所を決定していましたが、新研修カリキュラムでは学内及び学外研修を計3年間とし、研修先は自分で決められるというシステムに一新されたのです。

私は地方の医療を学びたい気持ちがあったため、和歌山県田辺市の紀南総合病院(和歌山県の中枢病院のひとつ)で学外研修を受けることを決めました。これが、私の医者としての第一歩です。

別府先生
別府慎太郎先生(大阪みなと中央病院名誉院長)

紀南病院での研修にあたり、当時の院長に「別府君は何をしてみたいのだい」と尋ねられた際、私は「人間の生きるところと死ぬところをみたいです」と希望し、出産現場と臨終現場をそれぞれ体験させていただきました。

新生児が誕生する瞬間は感動的でした。

一般的には生まれてきた新生児を「赤ちゃん」と呼びます。しかし、皆さんはなぜ新生児のことを「赤ちゃん」と呼ぶかご存知でしょうか?

「生まれてくるとき顔が赤いから『赤ちゃん』」なのですが、実際には生まれた直後は「灰ちゃん」です。乳児の顔色は灰色(粘土色)であり、決して赤色ではありません。

乳児は産声を上げて初めて呼吸をします。呼吸によって体に酸素が入ると血が巡り、灰色の体が少しずつピンク色から赤色に変化します。この赤くなった顔色を指して、私たちは乳児を「赤ちゃん」と呼んでいます。

灰色の皮膚が鮮やかに赤い色に変化する瞬間は言葉で表現できないほど感動的であり、まさに生きているのだと強く印象に残ったことを覚えています。

分娩室

一方で、人が死ぬ瞬間にも立ち会いました。

その方はまだ赤ちゃんで、救急で病院に運ばれてきて救命措置をとったものの、残念ながらすぐに亡くなってしまいます。そのとき、同行されていた父親が「ありがとうございました」とおっしゃったことに非常に衝撃を受けました。

なぜ我が子が死んでしまったのに「ありがとう」なのでしょうか。おそらく、この父親は医師が行った懸命な救命措置に対してお礼を述べたのでしょう。とはいえ、「死ぬ」ことと「ありがとう」という言葉はあまりにも乖離しています。私はこのとき、「死」についてもう少し深く考えなければならないと強く感じました。

手のひらに浮かぶ心臓のイメージ

人は心臓が動くことで生き、止まると死にます。当たり前のことのように思われるかもしれませんが、普段からこのことを意識している方はいないでしょう。

分娩室で乳児が誕生する瞬間から救急現場で一つの命が亡くなる瞬間まで、紀南病院にて人間の生きる現場・死ぬ現場の双方を体感してから、私は「生きるのに最も重要なのは心臓が動いているか否かではないか」と考えるようになりました。心臓の動きに最も密接に関わる診療科は循環器科だと思い、循環器内科を専門にすることを決めました。

紀南総合病院での研修を終えてからは大阪大学の第一内科に入局し、そこで心臓超音波検査の権威とも呼べる仁村泰治先生に出会い、心臓超音波検査の面白さを知ることになります。

仁村先生は心臓超音波検査における「ドプラ法」を世界に先駆けて生体に利用した医師であり、超音波の研究を多少なりともしている者であればその名前を知らない者はいません。入局後はこの仁村先生に師事し、心臓超音波検査の様々な経験を積み、そのやりがいと面白さを知りました。(超音波検査の発展については記事2を参照)

※ドプラ法について

ドプラ法とは、ドップラー効果(下図参照)という現象を応用して血流の方向や速度を測る心臓超音波検査の一種です。

ドップラー効果

心腔の大きさ、壁の厚さ、弁の開き方、血液の流れ方など、心臓の構造やそれぞれの動作には一つずつ意味があります。

心臓超音波検査は、体を開くことなく(手術や解剖をすることなく)こうした心臓の賑やかな様子をあるがままに観察できる検査です。あるがままに観察できるからこそ心臓超音波検査の臨床的な意義は大きく、非常に面白い領域だと考えています。

記事2「心臓の病気を診断するために欠かせない心臓超音波検査の歴史と発展」でご説明しますが、心臓超音波検査はかつてに比べて飛躍的な進歩を遂げ、非常に理解しやすい画像を提供しています。そのため若手医師や一部の指導医には「心臓超音波検査は難しいものではない」「探触子(たんしょくし)を当てれば即座に心臓の様子がみえる」「観察したい部分は自由自在に設定できる」「何時間検査しても構わない」「とにかく何でも録画しておけば異常は見逃さない」などと考えられているようです。しかし、実際には心臓超音波検査はそう簡単なものではありません。

確かに心臓超音波検査では、患者さんに何ら負担をかけることなく、検査画像が直ちに絵として表示されます。

しかし、その絵から速やかに正確な診断を下すことは容易ではありません。検査を行う者はあらゆる心臓疾患および病態の知識を保有し、画像に異常所見をみつけた場合はその異常をきたす可能性がある疾患をすべて思い起こすことができなければ、正しい診断ができないからです。異常所見は「異常」と認識されて初めて異常となり、異常と思われなければ患者さんの病気は発見されません。

検査所見が全て整合するのか、問題点はないかなど、検査を行っている過程で生じた疑問を「ああなるほど、そういうことか」と理解するために、検査をする者は探触子を操作し観察し、診断を行います。つまり、診断結果はすべて自分の実力通りに出ることになります。

単に検査画像を「見る」ことと「観察する」ことは似て非なる動作であり、検査できる能力と診断できる能力は違います。検査を行う者が「心の目」で結果をみなければ、正しい診断はできないでしょう。裏を返せば、実力が不足していると疾患を見逃してしまう可能性があるということです。

私は、「面白い」と思うことが「キー」だと考えます。サッカーでもテニスでも、ピアノやギターでも、それぞれのスーパースターはみな、プレイが面白いと思っています。超音波検査でも、面白いと思わなければ技術は上達しません。勿論、「面白い」と感じられたとしても、あまりにも簡単にできてしまっては「達成感」が得られず飽きてしまいますから、長続きしないでしょう。

超音波検査での「面白い」例は沢山ありますが、たとえば収縮性心膜炎と拘束性心筋症は治療法が全く異なるのに、その臨床症状は同じような心臓拡張障害を示します。さらに困ったことに、超音波検査法でも他の検査法でも両疾患の鑑別診断はできないと考えられていました。

しかし心臓超音波検査法のうち、最近発展してきた「組織ドプラ法」を用いると鑑別できることが判明します。詳細は省略しますが、両疾患の病態生理を考えると、全く理にかなった所見でした。

このように心臓超音波検査は「ああそうか、なるほど」を常に感じさせてくれる検査法であり、疾患病態を理解していれば自ずと感嘆符が湧き出てくる検査なのです。ここが心臓超音波検査を「面白い」と感じられる点でもあります。現在、心臓超音波検査に関心があるという方には、ぜひ実際に「なるほど」という「感嘆符の世界」を広げてほしいと思います。