日本では、国民の2人に1人が一生涯のうちにがんに罹患し、3人に1人はがんによって亡くなっているといわれています。
2006年に成立したがん対策基本法の施行から約10年以上の歳月が経過し、治療により克服できるがんも増えましたが、依然として日本人の死因第一位はがんであり、国を挙げた対策は求められ続けています。
現在作成が進められている第3期がん対策推進基本計画(案)の全体目標には、これまでも注力されてきたがん医療の充実やがん患者さんが安心して暮らせる社会の構築と並び、「がん予防・がん検診の充実」が打ち出されました。
独立行政法人国立がん研究センター理事であり、がん対策推進協議会の会長も務める門田守人先生に、がんによる死亡率を減らすために国が行なうべき予防施策の重要性についてお伺いしました。
これからの日本のがん対策の方向性を考える際には、過去のがん対策を振り返り、問題点を抽出するプロセスが不可欠です。2006年以降、日本では国を挙げてがん対策を推し進めるために制定された「がん対策基本法」に基づき、基本的な方向性や具体的目標を定めた「がん対策推進基本計画」を策定し、実行してきました。
まずは、がん対策基本法が成立してから今日に至るまでの約10年間、日本のがん対策がどのような傾向をもって進められてきたのか、ご解説します。
がん対策基本法が成立し、施行されたのは2007年のことです。本法を成立へと導いたのは、当時がんと闘っておられた患者さんやそのご家族の精力的な活動と切なる訴えです。全国で大規模な患者集会が開かれ、国会では末期の胸腺がんを患われていた故・山本たかし参議院議員が自らの病状を公表し、早急な法整備の必要性を訴えました。いまだ多くの人の記憶に残る痛切な訴えにより、がん対策基本法は全会一致で成立したのです。
このような経緯によって誕生したがん対策基本法は、患者目線の意見を大いに反映した法律となっています。
たとえば、2006年以前は各地域における医療格差や情報格差が問題視されていたことから、がん対策基本法の条文には「がん医療の均てん化の促進」という文言が大きく打ち出されました。がん医療の均てん化の促進とは、がん患者さんが全国どの地域に居住していても、等しく同じ質の専門的な医療を受けられるように施策を講じるというものです。これにより、全国に一定数のがん診療連携拠点病院が設置され、また、各拠点病院では放射線療法や外来化学療法が実施されるようになりました。
がん対策基本法に基づき作成されるがん対策推進基本計画の案は、がん対策基本推進協議会の意見をもとに作られ、閣議決定を経て開始されます。
がん対策基本協議会は20名以内の委員により構成されますが、そのうち最大5名はがん患者さん及びその家族又は遺族を代表する方から任命することと、法により定められています。
そのため、がん対策基本計画は、有識者やがん医療者だけでなく、患者さんの意見が色濃く反映されたものとなります。
このように、日本の国策としてのがん対策は、「患者中心」という形でスタートしました。
国の基本的ながん対策の方向性を定めるがん対策推進基本計画は、5年ごとに見直されます。
2007年に策定された第1期がん対策推進基本計画では、次の2項目が全体目標の二本柱として掲げられました。
1・がんによる死亡者の減少:75歳未満の年齢調整死亡率を10年間で20%減少する
2・すべてのがん患者と家族の苦痛軽減と療養生活の質の向上
第1期がん対策推進基本計画の二大目標は、いずれも「病院の中」で行われる治療行為などの向上を指しています。しかし、がん患者さんは病院の中だけで生活しているわけではありません。
そのため、第2期がん対策推進基本計画策定時(2012年)には、「病院の外」、すなわち「社会全体」で講じられるべき対策が全体目標に加えられました。
がんと共生する社会の構築が求められた背景には、治療できるがんが増え、社会復帰される患者さんも増加したことにより、がんによる離職率の高さが問題視されるようになったことなどが挙げられます。
第2期がん対策推進基本計画の開始以降は、「がんになっても安心して暮らせる社会の構築」という病院外へと目を向けた3つ目の目標のもとで、がん患者さんやがん経験者の方の就労支援などが精力的に行われるようになりました。
2017年度を迎え、第1期がん対策推進基本計画の開始から約10年の時が経ちました。第1期と第2期の具体的な目標を振り返り、この10年を評価すると、「数」の面では計画に則り対策を実施できたと評価することができます。
各都道府県には都道府県がん診療連携拠点病院が設置され、さらに2次医療圏ごとに地域がん診療連携拠点病院が設置されました。また、すべてのがん診療拠点病院において、放射線療法及び外来化学療法が実施されるようになり、苦痛緩和のための緩和研修を受講する医療者の数も増加しました。
数値的な面での目標を達成したことで、現在は質の面での評価に関する問題が浮き彫りになり始めています。たとえば、緩和研修を受講する医療者が数字の面で増えたのであれば、次に「実際に患者さんは、医療現場で満足のいく緩和ケアを受けられているのかどうか」を評価していかなければなりません。
しかしながら、患者満足度を測る指標は依然として確立しておらず、評価がなされないまま留め置かれています。
以上のことから、この10年間の総評としては、がん対策推進基本計画の実施により数の面でのがん対策は進んだといえるものの、質の面に関しては評価体制の確立に向けて引き続き検討していかなければいけない課題点であるといえます。
2016年末には、2006年から2015年までの10年間のがん死亡率(75歳未満の年齢調整死亡率)の減少幅が、目標の20%を下回る15.6%であったと発表されました。
この問題こそが、過去10年のがん対策に関する最も大きな反省点であると考えています。
医療施設における治療や医師教育の向上により、それぞれのがんの生存率は改善し、すべてのがんを対象とした5年生存率はいまや6割を超えるまでになりました。このことから、確かにがん医療は進歩したと評価することができます。
では、なぜがん医療が向上したにもかかわらず、この10年間のがんによる死亡率は、目標通り減じていかなかったのでしょうか。この問題の根本には、ものの見方の違いがあります。
5年生存率とは、がんに罹患した患者さんをベースとして導き出される数値であり、がんでない方は関与していない数値です。
しかし、がんによる死亡率の分母は「人口10万人」であり、ここにはがん患者さん以外の全国民が含まれています。
そのため、死亡率の増減の理由を分析するときには、「がん患者さんは増えているのか」ということに着目しなければなりません。
過去10年の対策により、がんを発症された患者さんの5年生存率は改善し、がんによる苦痛を緩和する治療は向上しました。しかし、わが国では、がんに罹患する患者さんの数を抑える対策はなされてきませんでした。
がんに罹患してしまった患者さんの治療のみに注力し、がんに罹患する人を減らすという視点を持たないがん対策では、がんによる死亡を減らすことはできません。その理由を、胃がんと肝臓がんの実例を挙げてご説明します。
多くのがんの死亡率は緩やかに減少していますが、胃がんと肝臓がんの死亡率に関しては顕著に減少しています。この2つのがんについては、国をあげた肝炎ウイルス対策とピロリ菌対策が行われたため、年齢調整死亡率だけでなく、年齢調整罹患率も大きく減じています。
がんの罹患率を抑えることでがんによる死亡率を抑制することができるということは、理論的にも上記の結果からみても明白です。
がんに罹患する前の健康な人に対するアプローチは、日本における患者さんを中心としたがん対策の盲点といえるかもしれません。既にがんを抱え、悩みに直面しておられる患者さんが、「がんにかからないようにする」という視点からがん対策に関する計画を立てていくことは、非常に難しいものがあります。
だからこそ、これからのがん対策にはすべての国民の参画が不可欠であると考えます。
がん患者さんの切実な希望である新規治療の開発はもちろん重要であり、今後も引き続きなされていくべき事柄です。
しかし、国としてのがん対策とは「がんありき」ではなく、「がんにかかる前の状態」からスタートしなければならないと考えるのです。
たとえば、国が焦点を難治がんや希少がんの対策に絞っています。これも大切ですが、これだけでは、がんに罹患する人、それにより亡くなる人を減らすことにはつながりません。研究機関や医療施設との役割分担や、より広い視野をもった大きな枠組みでの対策が、これからの日本のがん対策には求められています。
日本医学会 前会長、日本医学会連合 前会長、堺市立総合医療センター 前理事長
第7代日本医学会会長の信念は「正しいと思ったことを貫きたい」
消化器外科にて、移植手術を中心とした医療に励む。損得ではなく、正しいと思うことを貫きたい」という強い信念のもと、本来の移植医療のあるべき姿にこだわってきた。「人事を尽くして天命を待つ」ではなく、「天命を待って人事を尽くす」ことを大切に、現在でも謙虚な気持ちを胸に患者さんと真摯に向き合っている。
(故)門田 守人 先生の所属医療機関