DOCTOR’S
STORIES
卒後臨床研修センターに新しい風を吹かせる山本真一先生のストーリー
高校生の頃、ずっと興味のあった水泳部に入ろうとした初日に、ある先輩から「合唱部に入らないか」と勧誘を受けました。先輩は驚いている私に「一緒に愛媛に行こう」と続け、「愛媛で合唱の全国大会があるんだ」と声高らかに誘ってきたのです。
当時の私は福島に住む高校生。旅行でもしない限りそんなに遠くには行けません。冒険心の強かった私は「愛媛に行ける」という言葉に惹かれ、水泳部をあきらめて合唱部へ入部しました。実際に参加した愛媛での全国大会で、母校は見事金賞を獲得。そこから私の合唱人生が始まりました。
我ながら少々飽きっぽいところがあると思うのですが、合唱だけは別で、大学生まで歌い続けました。当初は「愛媛」につられて合唱を始めましたが、歌うことは私の人生を豊かにしてくれたと思います。いま思えば水泳部ではなく、なりゆきに身を任せて合唱部を選択したことは正しかったのかもしれません。
私の場合、子どもの頃からなることが夢だったわけではありません。
有機化学が好きだったので、もっと勉強したいとは考えていましたが、その先の希望は特になく、漠然とした自分の将来に不安を抱いていました。大学進学は理学部化学科をいくつかと、実質学費のかからない自治医科大学に願書を提出し、合格した中で自治医科大学へ進学することを選択しました。
特別な理由があってこの道を選んだわけではありませんが、経験を重ね目の前のことに尽力してきた結果、いまでは「医師」は私の天職かもしれないと自負しています。
研修医1年目の頃、各診療科を4か月ごとにローテーションしながらまわっていました。いろいろな診療科で学びながら感じたのは「早く手術を経験したい」ということです。今思えば、早く一人前の医師になりたくて経験を積むことにこだわっていたのかもしれません。そんなとき、ちょうどお世話になっていた呼吸器外科の教授から「呼吸器外科では研修医2年目から手術を担当できる」というお話を伺いました。それを千載一遇のチャンスだと思った私は、2年目も呼吸器外科で学ぶことを決めたのです。
現在では研修制度も大きく変化しましたが、ローテーションする診療科によっては、初期研修中に手術を執刀することが可能です。執刀を請け負うタイミングは研修医によって異なったとしても、初めて手術をするときの緊張感や患者さんへの責任感は、今も昔も変わらないのかもしれません。
当時の呼吸器外科の准教授(蘇原泰則先生)や助教(遠藤俊輔先生・現教授)は、とてもよく面倒をみてくださったと感じます。若手医師の私に、医師としてのイロハを教えながら、ときに叱り、ときに力強く励ましてくれました。その頃からお世話になっている先生方の仕事ぶりや、立ち振る舞いには大きく影響を受けたと思います。
手術や治療を経て体調がよくなった患者さんに「ありがとう」というお言葉をいただくことは、医師として何年働いていても嬉しい瞬間です。しかし、嬉しい気持ちだけで終わるよりも「こうすればよかった」と反省し、後悔を感じることのほうが多いかもしれません。マイナス思考だと揶揄(やゆ)されるかもしれませんが、「医師として自分の行いが正しかったのか」「もっと何かできたのではないか」と自らをふりかえることがとても多いです。
外科医として、手術がうまくいったときはもちろん嬉しいですが、後進の教育にも力を入れているので、若手の医師たちが育っていくことに大変やりがいを感じます。私の専門は内視鏡のため、普段から気管支鏡*を用いた検査や治療も行っていますが、その使い方を後進に伝え、彼らが方法を取得してくれたときはとても嬉しいです。このような専門技術が伝承されていくのは呼吸器外科全体のスキルが上がっていくことにもつながりますから。
気管支鏡・・・肺や気管支など呼吸器の病気にかかった患者さんの気管支内を観察、検査、治療するための4〜6mm程度の細くてやわらかい管
患者さんが元気になって帰っていく瞬間は、医師を続けてきて本当によかったと感じます。一方で、職業柄、肉体的にも精神的にもタフさが求められるため、自分でも気づかないうちに疲れをためていることがあります。そういうときは大好きな甘いものを食べて一息ついています。最近カフェ巡りをはじめたので、いろいろなお店を散策しては美味しいスイーツを探しています。
医師として自分の専門性を探す前に必要なのは、一般的な事柄を広く学ぶことであると考えています。その過程を経ることで「自分はこれがやりたい」と見つけることができるからです。ロケットでたとえるならば、どこにでも飛んでいけるような力を身につけて、そのあとにどこへ飛んでいくか発射台の方向を決めるということです。
呼吸器外科の手術は、少しの手違いが大きな医療事故につながることがあります。そのため、何よりも安全面に注意するようにしています。さらに、診療チームに固執せず、手の空いているものがその時に可能な業務を行うワークシェアリングにも力をいれています。
私は「強みがないのが強み」かもしれません。医師として大きな武器を持っているわけではないと思っていますし、まだ成長段階の私が指導者の立場でよいのか、と悩む日もあります。
ふりかえってみると、常に実力以上のものを背負わされる人生でした。先日はひょんなことから第25回日本呼吸器内視鏡学会気管支鏡専門医大会の会長を担当することになったのですが、自分に務まるのか、と不安を感じたのが正直な気持ちです。
ですが、こうやっていただくたくさんの機会を通じて、より成長したいという思いは人一倍強いかもしれません。失敗してもいいから次につなげる、そう自らを励ましながら働いてきました。
私は、1人のカリスマ的な医師の存在よりも、皆で協力し合いながらベストな医療を提供するほうがよい医療だと思います。カリスマばかりが活躍すると、その人がいなくなったときに患者さんが困ってしまいますし、人を育てることにもつながりません。
当院の呼吸器外科で行う内視鏡の手術を例にあげてみましょう。内視鏡手術には当院の場合、必ず3人の医師が必要です。それぞれにきちんと役割があり、3人がお互いを必要とする三位一体のチームワークで施術を行っています。
そのほかにも、手術が円滑に進むよう手助けするスタッフや、医療機材を準備する看護師さんなど、みんなが大切な役割を担っています。特に医療機材は昔と比べて仕様がむずかしくなっていますので、それをこなす看護師さんはすごいと感じますね。
当院の院長がよく言う言葉に「普通の人が普通の仕事をして最高のパフォーマンスをする」というものがあるのですが、これを聞いて私も後進教育に力をいれようと心に決めました。
いつでもよりよい医療を提供できるよう、チーム全体で取り組む。いわゆる「チーム医療」を目標に尽力していきます。
この記事を見て受診される場合、
是非メディカルノートを見たとお伝えください!
自治医科大学附属病院
独立行政法人 栃木県立リハビリテーションセンター 理事兼医療局長、自治医科大学 客員教授
山形 崇倫 先生
自治医科大学附属病院 とちぎ子ども医療センター 准教授
門田 行史 先生
自治医科大学 内科学講座消化器内科学部門 教授
山本 博徳 先生
自治医科大学 内科学講座 主任教授 内科学講座腎臓内科学部門 教授
長田 太助 先生
自治医科大学 副学長/特別教授
大槻 マミ太郎 先生
自治医科大学医学部皮膚科学講座 教授
小宮根 真弓 先生
自治医科大学附属病院 卒後臨床研修センター 副センター長、自治医科大学小児科学講座 准教授
田村 大輔 先生
自治医科大学 産科婦人科学講座 、自治医科大学 大学院医学研究科 博士課程
大橋 麻衣 先生
自治医科大学 神経遺伝子治療部門 教授 東京大学医科学研究所 客員教授
村松 慎一 先生
自治医科大学附属病院 臨床助教
渡邊 伸貴 先生
自治医科大学附属病院 病院助教
原 鉄人 先生
自治医科大学 医学部 外科学講座主任教授(消化器一般移植外科学部門)
佐田 尚宏 先生
自治医科大学附属病院 血液科 准教授
大嶺 謙 先生
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まずはメディカルノートよりお客様にご連絡します。
現時点での診断・治療状況についてヒアリングし、ご希望の医師/病院の受診が可能かご回答いたします。