DOCTOR’S
STORIES
2つの病院で責任者を兼務し、心臓血管外科医として患者さんの治療に尽力する下川智樹先生のストーリー
高校2年生のとき、同級生が骨肉腫になりました。彼とは同じラグビー部で、多くの時間を一緒に過ごし、切磋琢磨する仲でしたから、突然の病気の知らせに心底驚きました。そして、彼は治療のために片脚を膝上から切断することになったのです。
私は、彼を見舞うために病院に赴きました。しかし、病室に入る直前に、切断されたあとの脚が目に飛び込んできたのです。私は動揺し、そこから一歩も動けませんでした。今思うと情けないのですが、彼になんと声をかけたらよいのか、本当に分からなかったのです。そのまましばらくの間病室に入ることができず、悲しいような悔しいような気持ちで帰路につきました。あのときの光景と複雑な感情は、今でも鮮明に覚えています。
その出来事を通じて、自分の無力さを感じると同時に、将来自分が医者になれば、彼のような患者さんを治療して元気にできるのではないか、という思いを抱きました。それが、私が医学部を目指したきっかけです。
浪人覚悟で目指した医師への道でしたが、運よく佐賀医科大学(現:佐賀大学)の医学部に現役で合格することができました。医学部に入った当初は、整形外科医を目指していました。高校時代に夢中になったラグビー部で整形外科の先生によくお世話になっていたことと、友人のことがあったからです。
その思いが変化したのは、医学部5年生のときです。ある日、ポリクリという各病棟を回る臨床実習で、心臓の手術に入りました。そのとき行われていたのが“低体温循環停止法”を用いた手術です。心臓の手術を行う際は人工心肺を動作させてから心臓を停止させますが、大動脈という大きな血管を手術する際には、患者さんの体温を約20℃まで冷やしてから人工心肺を止め、血液の流れをなくしたうえで血管を縫います。
低体温循環停止法を行っている20〜30分間は、患者さんの心臓と血液の流れは止まっているため、死とほぼ変わらない状態です。しかし、低体温循環停止をやめると、患者さんはやがて目を覚まし、麻痺も残らず回復していきました。私は初めてその手術を見て、人の生命に直結するような手術の方法に大きな衝撃を受け、そして、心臓という臓器の持つ生命力に、神秘的なものを感じました。この出来事が、心臓血管外科医の道に進もうと思ったきっかけです。
心臓血管外科医になり、これまでにさまざまな患者さんを治療してきました。その中でも特に、子どもの患者さんたちは強く印象に残っています。
そのうちの一人は、急性心筋炎で搬送されてきた中学校3年生の女の子です。すでに心停止の状態で、心臓マッサージをしながら運ばれてきました。心肺蘇生の必要があると判断し、すぐに経皮的心肺補助を装着する手術を行いました。
重篤な状態であったため、術後に意識が戻らず、私は、医師としてできるだけのことはしたけれど、もしかしたらこのまま目を覚まさないかもしれない、と弱気になっていました。
しかし術後3日ほどたったとき、その患者さんはようやく目を覚ましたのです。その後、補助人工心臓を取り付けてドナーを待つことになりました。
日本では臓器移植がまだまだ進んでおらず、心臓移植の希望者に登録をしても、基本的には何年もの間、ドナーを待たなければなりません。そのようななかで、その子の場合は運よく数か月でドナーが見つかり、無事に国内で心臓移植手術を受けることができました。
その子は、成長し、看護師になったと聞いています。
ほかにも、多くの患者さんの顔が浮かびます。これからも患者さん一人ひとりとの出会いを大切にして、日々の診療に向き合いたいと思っています。
2019年4月から、榊原記念病院と帝京大学医学部附属病院の2つの病院で、責任者を務めています。このように2つの病院を掛け持ちしている理由の1つは、後進の育成です。
1992年に大学を卒業し、
その後、私は佐賀から東京の榊原記念病院にやってきました。榊原記念病院では、
このように、3人のメンター、これまでに関わってきた先生方や医療スタッフ、患者さんのおかげで医師として成長できたと思っています。ですから、これからは先輩方から教わった手術手技を自分のものとして磨き上げ、次の世代につないでいくことをライフワークにしたいと考えています。
それから、2つの病院で責任者に就任するにあたって先輩医師に言われた、「5年以上続けたらギネスもんだよ」という言葉も原動力になっていますね。どんなに忙しく大変な日々でも、その言葉に背中を押されて、頑張っているところです。
ドラマ『ブラックペアン』の医療監修をさせていただいたことは、医師人生のなかでも貴重な体験でした。医療について詳しくない方にも分かりやすく伝わるように監修することは、たいへん勉強になり、学ぶことが多かったです。
実際の監修では、台本の内容を医学的観点で確認したり、病名や術式が必要な部分については自分で調査したりします。設定上、医学的に少し無理があると思ったところがあれば、修正の提案もしましたね。
また、撮影時には手技監修を行います。俳優さんからは、手術について多くの質問をされ、手術のシーンでどのようなセリフを言うかについても話し合いました。実際、手術中はあまり喋らずほぼ無言で淡々と仕事をこなしているのですが、それではドラマは成り立たないので、セリフを考える必要があります。普段の手術にはないセリフをつくりキャラクターに当てはめていくのは、私にとって新鮮な仕事でした。
現在、弁膜症手術のなかでも特に僧帽弁閉鎖不全症は、無症状の段階で手術を行う時代です。そのため、術後に患者さんのライフスタイルができるだけ変わらず、より負担が少なくなるように、MICS(Minimally Invasive Caldiac Surgery:低侵襲心臓手術)をはじめとする低侵襲な心臓手術を追求することが重要だと考えています。
患者さんによりよい術後の生活を送っていただきたいという強い思いから、MICSを啓発するために、日本低侵襲心臓手術学会で代議員を務め、活動を続けてきました。また、日本ロボット外科学会では理事を務め、さらなる発展を目指して学術大会などの活動を行っています。私は、このような取り組みを通して、日々の診療ではもちろんのこと、MICSがより多くの医師や患者さんに広まるように、さまざまな場面で積極的に啓蒙、啓発を行いたいと思っています。
臨床家として大切にしているのは、患者さんが治療後にどのような生活を送りたいのかを考えて治療に臨むことです。
手術前には、患者さんに、その病気の情報と手術の内容、そして手術のリスクについてしっかりとお話をします。そして、必ず、「元気になって何をしたいか、術後どのような生活を希望しているのか」を問います。復職を希望される方、あるいはゴルフや旅行などの趣味をずっと楽しみたいと希望される方など、さまざまです。人によっては、病気や治療を不安に感じて「目標は何もない」という方もいらっしゃいますが、そのようなときには「何か目標をつくったほうが早く元気になりますよ」と患者さんに伝えて、一緒に話し合うこともあります。
病気や治療によって、生活が多少変化することはあるでしょう。しかし、その変化をできるだけ抑え、治療後に患者さんが望む生活を続けていけるよう最大限努めること、つまり治療後の患者さんのQOL(生活の質)を追求することが、医師としての使命と捉えています。
これからも、治療後に続く患者さんの生活ができるだけ豊かであるよう、日々の診療に精一杯取り組んでいく所存です。
この記事を見て受診される場合、
是非メディカルノートを見たとお伝えください!
帝京大学医学部附属病院
帝京大学医学部内科学講座 腫瘍内科 教授
渡邊 清高 先生
杉山産婦人科新宿 男性外来担当、帝京大学医学部附属病院 泌尿器科 非常勤講師
木村 将貴 先生
帝京大学医学部附属病院 救命救急センター 科長/主任教授
森村 尚登 先生
帝京大学医学部精神神経科学講座 帝京大学医学部附属病院 メンタルヘルス科 教授
功刀 浩 先生
帝京大学 医学部内科学講座 教授
河野 肇 先生
帝京大学医学部附属病院 内科 科長、帝京大学 医学部内科学講座 主任教授、日本内分泌学会 評議員
塚本 和久 先生
帝京大学医学部附属病院 皮膚科 准教授
鎌田 昌洋 先生
帝京大学 医学部 皮膚科学講座 主任教授
多田 弥生 先生
帝京大学医学部内科学講座(腎) 教授
柴田 茂 先生
帝京大学医学部緩和医療学講座 教授、帝京大学医学部附属病院 緩和ケアセンター センター長・緩和ケア内科 診療科長
有賀 悦子 先生
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現時点での診断・治療状況についてヒアリングし、ご希望の医師/病院の受診が可能かご回答いたします。