DOCTOR’S
STORIES
今を懸命に取り組み、道を切り開いてきた玉岡晃先生のストーリー
「臨床医学、特に内科学を究めたい。」
そういう想いを医学生時代から漠然と持っていました。
その想いは、沖中重雄先生の“医師と患者”という本を読んだことでさらに強くなり、医学生の私は内科医に強い憧れを抱くようになっていました。
そんな私が卒業後、迷わず選んだ最初の初期研修先は「東京大学第3内科」。ここは内科医に憧れるきっかけとなった沖中内科の伝統を引き継ぐ教室でした。当時の教授であられた小坂樹徳先生から「たとえ1年目の研修医であっても医師は医師。患者さんに対して全責任を負うくらいの覚悟がなければいけない」という精神を学ぶことができました。
そのあとは第2内科、第1内科と順に研修先をローテートし、私はこのままどこかの内科に所属するのだろうと考えていました。
そして2年間の研修のいちばん最後にたどり着いたところが神経内科です。これはあくまでも内科学の研修をすべての臓器に渡って万遍なく行いたいという表向きの理由から選んだ診療科でした。
糖尿病の診察にしても、白血病の診察にしても、内科学の研修をしていても私は何かしっくりこない感覚を覚えていました。たとえば採血データをみる、血液細胞の数を数える。そうしたデータを切り口にして診断を進めていくやり方は、どうも自分にはピッタリしない気がしていたのです。
そうした気持ちを抱いている最中にたどり着いた神経内科研修で、私はとても大きなインパクトを受けることになります。当時、神経内科教授でいらした豊倉康夫先生は、回診時に問診と神経学的所見のみから診断に結びつく決定的な証拠とも言うべき症候を微かなものでも見逃すことなく、適切な診断へと導いていかれました。
病歴や身体所見にMRIやCTなどの画像検査の結果を照合し、患者さんの病態を絞っていかれる様子は、まるで事件の謎を紐解いていく推理小説のストーリーのようでした。
「これは面白い領域に違いない!」
こうして私は神経内科の面白さと、自分が進むべき道に気付いたのです。
当時の日本は、まだ高齢化社会を迎えていなかったので、今日ほどに認知症やパーキンソン病が注目されておらず、神経内科の需要もそれほど多くなく、認知度も高くありませんでした。むしろ周囲からは、よくわからない神経症状や神経難病に対して解析・研究していく難しい分野だと思われがちでした。しかしこのようなイメージとは裏腹に、神経疾患を診断し治療していく過程は私にとって非常に興味深く、魅力的なものでした。
神経内科を志望する学生は、初期研修の最初から神経内科の教室を回ることもありますが、私のように研修の最後に神経内科をまわり、専門分野として選ぶ場合も含めて、内科研修中に神経内科が一番気に入って入ってくる人もあります。専門分野は、自分が一番興味を持てて、これからも一生続けていけると思えるところを選ぶことが大切です。
こうして私は東京大学神経内科の医局へ入りました。
私が医局に在籍していたのは1981年~1992年の約11年間。この間、最初の半年は研修医、そのあとすぐに東京都養育院附属病院、国立病院医療センター、日本赤十字社医療センター、国立療養所下志津病院で臨床研鑽を積み、東京都老人総合研究所で研究に従事、そして最後の2年9カ月はハーバード大学に留学していました。つまり、東大神経内科で過ごした期間は研修医の期間を含めて2年にも及びません。
しかしこの約2年間の医局での想い出は、私の現在の診療スタイルの根本を形作るほどの絶大な影響を及ぼしました。
医局での日々は、厳しい診療修練の繰り返しでした。
毎週の回診の前夜には教授や助教授等恩師の先生方が臨床現場にいらっしゃって、新患を中心にカルテを見ながら患者さんを診察されました。ときには入院期間が長い患者さんも自ら診察され、新たに出現している微妙な徴候を担当医師へ指摘していかれました。
先輩医師からは、ベッドサイドに張り付いてでも患者さんの状態を良く観察するようにと指導されました。回診日は一日中、凛とした雰囲気が張りつめ、外部からの見学者もいらっしゃり、緊張の連続でした。
こうした恩師の先生方から学んだことは神経内科診療の基本ともいえる技法です。
「すべてはベッドサイドから始まっている」
恩師の先生方はベッドサイドで問診と神経学的診察を行い、患者さんの症候を見逃すことなく徹底的に観察されました。
今の自分を顧みると、毎週の回診や学生・レジデントへの指導など、その折々に東京大学神経内科での経験が私の中に息づいている事実に気づきます。
自分の身に根付いて自然に行っているこの診療スタイルは、学生たちには目新しいようで、「神経内科で初めて病歴の重要性を理解した」「ベッドサイドでの診察が重要だと実感した」という声をよく耳にします。
神経内科特有のこういった診療スタイルは、恩師が私たちに伝えて下さったように、私も次の世代へと伝えていければと強く念じております。
私のなかに息づく診療スタイルや、これまでのキャリア、そうしたものを振り返ってみると、やはり人生は出会いだと感じます。
出会いがあって、次のステップへ進むことができる。そしてその都度また一生懸命に取り組む。一生懸命に取り組んでいれば、また新たな出会いによってしかるべき場所へ導かれていく。一生懸命頑張れば頑張るほど、良い出会いに巡り合えるような気がします。
また、楽しく仕事をしていればければ人はどんどん成長できますが、仕事が苦痛だと言う人はこの先伸びていかないと私は思います。
神経内科医を見ていても、患者さんを観察したり診察したりすることが好きな人はどんどん成長していきます。たとえば患者さんが診察室に入ってくるときの動作、顔色、物忘れの進み具合。そして、その症状はアルツハイマー特有のものだろうか。証拠を集めながら推理していきます。画像検査も参考にします。最終的な確定診断は長い経過を診なければ、あるいは剖検しなければわからないかもしれません。そして、こうした診療の繰り返しの経験値が次に生かせるのです。
また、病気で苦しむ人のために何かできるということは、大きな喜びでもあります。
前医において病名が明らかにならなかった方や、治療が奏効しなかった方もいます。そうした方の病名を明らかにし、適切な治療を施すことで症状が大きく改善された場合には「ここで治療を受けてよかった」と喜ばれます。
仕事をしていることが楽しいと、そう思える分野に出会えることが、とても大事なのだなと思います。楽しみながら仕事ができると、さらなるスキルアップに繋がり、患者さんへの診療力向上に反映されていきます。
是非皆さんは、患者さんに興味を持ち、よく観察し、じっくりと診察することによって、患者さんのために何かできることに喜びを感じる人になってください。
そのような姿勢や態度で眼の前のことに真摯に一生懸命取り組んでいけば、自然と道は拓けていきます。自身が熱中できて、これだ、と思える分野に出会えること。それが自分自身のライフワークの発見に繋がっていくことと思います。
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