「社会医療法人 緑泉会 米盛病院」は、1969年に整形外科単科の有床診療所として開設されました。以来、徐々に規模を拡大し、1977年、「整形外科米盛病院」へ改名後は、整形外科クリニックや老人保健施設、訪問看護ステーション、居宅事業所を開設するなど法人としても規模を広げ、2012年にはドクターカーを、2014年には全国的にもめずらしい民間医療用ヘリの運用を開始するなどして、現在に至っています。既存の枠組みにとらわれない革新的な取り組みを続ける同院は、どのような将来を見据えているのか。院長である米盛 公治先生にお話を伺いました。
当院は、もともと整形外科単科の病院でしたが、救急科の開設後、脳神経外科や循環器内科、心臓血管外科などの診療科を加えたことで、幅広い症例の患者さんの受け入れが可能になりました。規模は約300床と決して大きくはありませんが、南北約600キロメートル、多くの離島を有する鹿児島県の地域の患者さんを救うため、民間医療用ヘリやドクターカーを運用し、救急医療や災害医療などにも積極的に取り組んでいます。
鹿児島は、全国平均よりも高齢化率が高く、人口も減少傾向にあります。だからこそ当院では、地域の皆様の命を救う医療を提供していきたいと考えています。
私が院長就任の際に思い浮かべた目指すべき病院像は、整形外科だけではなく、救急を含めた命に直結する治療を担う専門性の高い病院です。
今年度は年間の救急搬送数が3,000件を超えるペースで推移しており、搬送患者さんの重傷率も上がっています。私たちは引き続き、地域の皆様のご期待とニーズに応えられるように努力していきたいと思っています。
▲ICU(集中治療室)
▲HCU(高度治療室)
「外傷センター」という概念には、基本的にアメリカ型とヨーロッパ型の2種類があります。
まずアメリカは、公共の道路がシンプルで非常に長く、ひとたび事故が起これば搭乗者や歩行者が重度な外傷を受けやすいことを背景に、胸部や腹部などいわゆる外科病院が外傷センターを構えています。これに脳神経外科や整形外科が付随しているのがアメリカ型の特徴です。
一方でヨーロッパは、地域面積が狭く、高速道路が発達している国が多いことから、整形外科がからむ多発外傷が多く、整形外科メインの病院が外傷センターを構えます。これに脳神経外科や外科が付随しているのがヨーロッパ型と言えます。
日本は国土面積などを含めてヨーロッパに近い特徴がありますので、当院ではヨーロッパ型の外傷センターの運営を参考にしています。加えて、ドクターカーや民間医療用ヘリといった機動力を持たせることができれば、おそらく国内でも類を見ない、新しい外傷センターができるだろうと考えました。超高齢化社会を迎えつつある日本で、これからの医療のあるべきモデルケースを作りたかったというのが、現在の病院作りの考えの元になっています。
▲ドクターカー
▲ヘリポート
当院では、ドクターカーおよび、民間医療用ヘリを運用しています。鹿児島には離島や大きな湾もあり、陸路や海路で患者さんを搬送するとなると非常に時間がかかります。最初にドクターカーを導入しましたが、患者さんのもとに駆けつけ、救命率の引き上げや患者さんの後々のADL(日常生活動作)・QOL(生活の質)を良好にするためには、当院から30分~1時間くらいまでの距離を目安にしなければならないと考えました。そういった状況の解決策として、民間医療用ヘリの導入に至りました。
▲ハイブリッドER
当院には、初期治療から検査、手術までに必要な医療機器を集約したハイブリッドERを備えています。救急車の搬送口から直接入室できるようになっており、迅速な対応で患者さんの身体的負担を軽減できます。設計段階から、さまざまなケースをシミュレーションして作り上げました。こういったハイブリッドERは世界的にも珍しいのではないかと自負しています。
▲DMATカー
当院は民間病院ですが、災害拠点病院にも認定されています。病院移転の際に併せて新設した「米盛ラーニングセンター」(米盛病院併設の研修施設)は、災害時、傷病者を受け入れることができるように、酸素や吸引に必要な配管を備えています。透析が可能なベッドを約20床用意しているのも大きな特徴の一つです。
▲ラーニングセンター(病室シミュレーションルーム)
当院には、鹿児島県内の離島をはじめ、宮崎県や熊本県など近隣県から受診される患者さんが多いという特徴があります。その状況から、海外の患者さんに対しても同じような医療サービスが提供できるのではないかと考えるようになりました。鹿児島は台湾や香港、韓国などへの直行便が就航しており、上海にいたっては、東京より近いのです。
実際に海外に視察へ行くと、地方ほど医療に対するニーズが高いことを知りました。そのような中、2011年、北京の「中国リハビリテーション研究センター」と医療提携。当院の医師が訪問して外来を診たり、手術を行ったりして信頼関係を築き、2012年には当院で最初の患者さんの手術を行うことができました。その後、国の外交問題などで交流が一時困難になりましが、昨今は国是として国際医療を進めるという流れになっています。
現在当院は、「外国人患者受入れ医療機関認証制度」の認証や、「ジャパンインターナショナルホスピタルズ」に選定されるなど、活動の幅を広げています。鹿児島を訪れる外国籍の方が増えることで、地域振興にもつなげていければと考えています。
地域の皆さんのニーズが少しでもある限り、なんとかそういうお声に応えていきたいという思いから、当院では胎児診断のみの婦人科も開設しています。これまで南九州地域では、同診断を行う医療機関の数が極めて限定的でした。そのため、心配なことがある方は鹿児島から遠く離れた都市までわざわざ行かざるを得なかったのです。同科では、産婦人科の専門医を招聘して、各種検査やカウンセリングを行っています。
▲ラーニングセンター(講堂)
当院はスタッフの教育にも注力しています。病院の移転新設と同時に開所した「米盛ラーニングセンター」は、1・2階が講堂(約280人収容)、3階がシミュレーションルームと講義室になっています。学び続ける意欲や環境がないと、病院そのものに魅力がなくなってしまいます。現在、県外から多くの職員に入職してもらえているのも「米盛病院であれば、さまざまなことが学べるのでは」ということが大きな理由の一つになっているのかもしれません。
病院が学校を運営することは困難なことです。しかし、塾のような形で、新しい知識を身につけてもらうための研修会やセミナーなどを、今後も開催し続けていこうと思っています。
医療的な知識や技術は、医師としてもちろん大切です。しかし、それ以上に、自らの熱意を伝えてほしいという思いがあります。
私は、新しく入った職員に必ず、どうしてその職業に就いたのか、何を目指したいのかということを尋ねるようにしています。一度働き始めると、職場は変わっても職業そのものを変えることは、簡単ではありません。実際に医療の仕事に楽なことは一つもありません。一生その仕事を続けながら、なお新しいことにチャレンジしていくためには、モチベーションが非常に大切です。医療を嫌いになったり、辞めたりしてしまわないためにも、常に志を伝えてもらいたいと思っています。そうすれば、スタッフも病院も長く続けていけるでしょう。
もちろん私自身も、いつまでも医師を続けていくことは難しいことです。私のあとを誰かに引き継いでもらえるように、自分の思いをきちんと伝えていきたいと思います。
私たちは、何か困ったことが起こった時に、最初に頭に思い浮かべてもらえる病院づくりをしたいと考えています。「米盛病院だったらなんとかしてくれる」と思ってもらえるように、私たちは努力してまいります。そして、地元地域をはじめとした、鹿児島県全体の役に立ちたいと考えています。
民間病院ではありますが、少しでも皆さんのそばにありたい、役に立ちたい、という思いのひとつの答えが、この米盛病院の在り方であり、存在意義だと思っています。今後も、地域のみなさまが困ったときに、気軽に何でも相談していただける病院を目指してまいります。
社会医療法人緑泉会 理事長、米盛病院 院長
社会医療法人緑泉会 理事長、米盛病院 院長
日本整形外科学会 整形外科専門医・認定脊椎脊髄病医
1991年鹿児島大学医学部卒業。同年、整形外科医師として鹿児島大学医学部附属病院整形外科で勤務開始。複数の医療機関を経て1997年医療法人緑泉会(現社会医療法人緑泉会)に入職。2002年同法人整形外科米盛病院(現米盛病院)院長に就任。2009年からは同法人理事長に就任。
米盛病院は、1969年の開院以来、整形外科単科病院であったが、その専門性をいかしつつ2013年には救急科を追加標榜。2014年に鹿児島市与次郎地区へ新築移転。民間医療用ヘリや1部屋で初療から検査、手術まで行えるハイブリッドER、当院救急救命士が対応する24時間救急相談ダイヤルなどを導入した。2018年には回復期病棟(200床)を増設(計506床)。診療科も拡充し、現在は脳神経外科、心臓血管外科、循環器内科などを加えた18診療科となった。南北600kmに広がる鹿児島の特性に求められる地域医療を展開している。
米盛 公治 先生の所属医療機関
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現時点での診断・治療状況についてヒアリングし、ご希望の医師/病院の受診が可能かご回答いたします。