患者さんこそが自分を成長させてくれる存在

DOCTOR’S
STORIES

患者さんこそが自分を成長させてくれる存在

常にポジティブに患者さんとともに病気に向き合う北井 敬之先生のストーリー

医療法人札幌ハートセンター札幌心臓血管クリニック 循環器内科 部長
北井 敬之 先生

小学生の頃から揺らがなかった「医師になりたい」という思い

小学校の卒業文集を開いてみると、僕はその頃から「将来は医師になりたい」と作文を書いていました。最初にどんなきっかけでそう決めたのか今となっては思い出せないのですが、その思いが揺らいだことはありませんでした。そして、確かに覚えているのは、ただただ「人を助けたい」という思いがあったこと、そして自分自身がサッカーをやっていたなかで、けがが多かったという経験から「けがをしてしまった人を助けたい」という思いがあったことです。もう少し視野を広げて、ほかの可能性を考えてみてもよかったのかもしれないと思うこともありますが、医師になったことを後悔したことも、辞めたいと思ったこともありません。小学生のときに決めた夢を信じてよかったと、今でも思います。

劇的な回復を見せた患者さんを目の当たりにし、循環器内科の道へ

小学生の頃から抱き続けた「医師になる」という夢を叶えるべく、僕は防衛医科大学校に入学しました。そして「けがをしてしまった人を助けたい」という思いがあったことから、初めは整形外科の道へ進むことを考えていました。また、ゆくゆくはスポーツチームに帯同してけがの予防や応急処置、治療に対応する“チームドクター” を目指すつもりでいました。

そんな僕に転機が訪れたのは、防衛医科大学校を卒業し、防衛医科大学校病院 自衛隊中央病院で研修医として学び始めたときでした。医学部を卒業した研修医は、数か月ごとにさまざまな科を回り、経験を積みながら自身が専門とする科を決めていきます。僕は一番初めに2か月間、循環器内科へと配属になりました。そこで目の当たりにしたのは、心筋梗塞を起こして救急車で運び込まれた患者さんがカテーテル治療を受け、1週間後には無事に退院されご自身の足で歩いて帰って行かれる姿でした。生死をさまよいかねなかった方がこれだけの短期間で回復を見せるというのは、整形外科の領域ではなかなか経験できないことなのではないかと感じたのです。研修医として臨床の現場で初めにそれを目にしたということも大きな刺激だったのだと思います。そこからは循環器内科の魅力にどんどんと引き込まれていきました。

防衛医科大学校在籍時の写真(写真左)
防衛医科大学校在籍時の写真(写真左)

尊敬する恩師の一言をきっかけに不整脈のカテーテル治療を専門に

防衛医科大学校には卒業後9年間の義務年限というものがあります。自衛隊員やそのご家族の健康管理を行うと同時に、時には訓練に帯同したり災害派遣に赴いたりしたこともありました。

自衛隊の一員として災害現場へ派遣され、現場から戻ったときの様子
自衛隊の一員として災害現場へ派遣され、現場から戻ったときの様子

僕は自衛隊中央病院での2年間の臨床研修を終えた後、自衛隊札幌病院の内科に7年間勤めました。その際、週に2回、外部の医療機関で研修する機会をいただいており、現在勤務している札幌心臓血管クリニックに勉強をしに来ていました。当院は心臓血管治療に特化した医療機関のため、カテーテル治療の技術を磨きたかった僕にとって、非常に学びがいのある環境だったのです。

無事に9年間の義務年限を終えた僕は、循環器内科として当院に勤めたいと考えました。カテーテル治療は、狭心症や心筋梗塞といった心臓疾患に対して行うものと不整脈に対して行うものなどがあり、当時の僕はそのどちらの治療も行っていきたいと思っていたのです。ところが、当院に勤めることが決まり、現在(2020年6月)当院の理事長を務めている藤田(ふじた) (つとむ)先生にお会いした際に「これから高齢化が進むにつれて、不整脈の患者さんはよりいっそう増えていく。不整脈のカテーテル治療を専門にしなさい」と言われたのです。その一言がきっかけで、僕は不整脈のカテーテル治療を専門にするに至りました。当初の考えとは異なる道ではありますが、それも縁だと思っていますし、不整脈の治療一筋で学んでいる今が楽しくもあるので、導いてくださった藤田先生には心から感謝しています。また、藤田先生から受けた影響はそれだけではありません。先生の常に前向きで諦めない姿勢に感化されていると同時に、自分もそういう医師でありたいと常々思っています。

患者さんの存在がさらに前へと進むための原動力

日々診療を行っていると、患者さんから感謝の言葉をいただく機会が多くあります。その言葉を聞くたびに非常にやりがいを感じますし、医師をやっていてよかったと思います。しかし、それと同時に残念ながら命を落としてしまった患者さんの存在が、私にとって医師を続ける大きな原動力でもあります。たとえ「何をしても救うことは難しかっただろう」と周囲の方が声を掛けてくれたとしても、「もっと自分に経験があれば救えたのではないか」と常に自問自答しています。患者さんが命を失い、自分の中に消化しきれないモヤモヤが残るたびに「もっともっと上を目指さなければいけない」と思わされます。逆にいえば、その気持ちを失ってはいけないと思っていますし、その気持ちがある限り自分は成長し続けることができるとも思っています。

また、1人でも多くの患者さんを救うため、後進の育成には今後さらに力を入れていきたいと考えています。どれだけの時間を費やしたとしても、全国にいらっしゃる患者さん全てを1人で救うことはできません。しかし、僕が多くの医師を育てれば育てるだけ、救える患者さんが増えていきます。そういった意味で、後進の育成は僕の今後の大きなミッションのひとつであると同時に、モチベーションにもなっています。

患者さんは僕の先生

僕のモットーは常に笑顔で、そしてポジティブでいることです。せっかく生きるのであれば楽しい人生を送りたいですし、患者さんにも楽しく生きていただきたいと思います。だからこそ、患者さんの意思を大切にした診療を心掛けています。極端な話ですが、必要以上の医療的介入を望まない患者さんに対して“医学的にはそうしたほうがよいから”という理由だけで治療を押し付けてしまっても、きっとその患者さんは幸せにはなれません。どこまで医療的な介入をするのが望ましいのか、それは患者さん一人ひとりの考え方によって異なります。あくまで僕は医学的な知識や情報を正確に伝える。そのうえで、何をどうするかを決めるのは患者さんです。

病態も症状も性格も、1人として同じ患者さんはいません。その人にとってどうするのがベストなのか。常に患者さんが僕に問題を与えてくださり、僕はその答えを見つけるために試行錯誤する。そして、その答えを教えてくれるのもまた患者さんです。僕にとって患者さんは“先生”なのだと思います。それと同時に、患者さんは僕の仲間でもあります。僕の考える最高の医療は、患者さんと意見をすり合わせて同じ方向を向き、一緒に病気に立ち向かっていくというものです。これは決して患者さんとの気持ちがバラバラでは成し得ません。どんなときでも患者さんがポジティブに病気と向き合っていけるよう、仲間としてそれを支えられる医師であり続けたいと思います。

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