DOCTOR’S
STORIES
新たな治療の開発に挑み続ける神経内科医・勝野雅央先生のストーリー
私はもともとシナリオライターに憧れていました。それは、「何もないところから新しいものを生みだす」仕事に大きな魅力を感じていたからです。
しかし、ある出来事をきっかけに、将来の道を改めて考えることになります。それは高校1年生のときに参加した学内の演劇シナリオコンペ。自作のシナリオへの評価を聞くなかで、
「自分には、ゼロから新しいものを生みだす力はないのかもしれない」
とシナリオライターへの想いに迷いが生じるようになります。同時に私は開き直り、「将来の選択肢は他にもたくさんある!」と軌道修正を考えるようになります。
考えあぐねるなかで行き着いた先こそ、それまで全く想定していなかった医師という職業でした。医学や医療の世界は私がやりたかった「新しいものを生みだす」とは違いますが、まだ解明されていない「隠された答え」を探し出すことも面白そうだと思うようになりました。
さらに、身近に医師が存在したことも少なからず影響したのでしょう。父は歯科医でしたし、幼い頃から通っていた病院には慣れ親しんだおじいちゃん先生がいました。次第に、患者さんを助けながら、隠された答えを探せる医師への憧れが強まり、医療の道に進むことにしたのです。
隠された答えを見つけだすからには、まだ解明されていないことの多い領域に進むことが大前提です。とはいえ、当時の医療界は心臓や脳の疾患など、未解明のものがあまりに多く、一体どの分野に進めばいいのか迷いました。
そんななか、最終的に選んだ場所は神経内科でした。決め手になったのは、研修で出会った神経内科の先輩医師の存在です。それは、私の将来を決定づける運命的な出会いになりました。
名古屋第二赤十字病院の神経内科。そこには安藤 哲朗先生(現・安城更生病院 副院長)と白水 重尚先生(現・白水クリニック 院長)という2人の医師が在籍されていました。研修で彼らの指導を受けること、教えてもらえることがとにかく楽しかったのです。
治療が難しい希少疾患が多いことが影響しているのか、神経内科医には「頭は良いが、マニアックで暗い」というイメージを抱いていました。
しかし、名古屋第二赤十字病院の神経内科の雰囲気は「暗い」とは180度異なります。とにかく明るく楽しい診療科だったのです。楽しいといっても、決してお気楽ということではありません。知識や経験も豊富な医師が、鮮やかに診断し治療をする。その姿を見ているだけでワクワクしたのです。
「神経内科って、こんなにかっこいいんだ」
そう思った私は、神経内科医になることに決めたのです。
晴れて神経内科の道を進み始めた私ですが、転機となったのは「研究」への気付きでした。先にお話ししたとおり、神経内科の分野には原因すら解明されていない疾患が多くあります。そのようなケースでは、研究こそが解明の重要な鍵になります。
しかし、そのあたりの事情を頭では理解しつつも、研究はその成果が見えづらいため、
「研究の結果が本当に患者さんの役に立つのだろうか」
という疑問を拭うことができないでいたことも事実です。直接患者さんを診療する臨床に長く携わっていた私は、ダイレクトな反応に慣れていましたし、それがない研究は不安で仕方なかったのです。
しかし、私が携わったSBMA(Spinal and Bulbar Muscular Atrophy:球脊髄性筋萎縮症)という希少疾患の研究が、運よく治療薬の開発につながりました。研究が、わかりやすい形で患者さんのところまで届いたのです。
この体験は、私にとって大きな転機になりました。疾患の謎に迫り、研究を続けると、実際に患者さんの治療につながることもあるのです。
ご存知の通り、研究は論理的にものごとを考えなければいけない世界です。まず仮説を構築し、データ解析や実験を通してその仮説の正当性を検証していきます。
研究の過程では、うまくいかないことももちろんたくさんあるでしょう。しかし、困ったときにどのような選択をするのか、それこそが非常に重要です。積極的に人にアドバイスを求めることも大切でしょうし、自分ひとりで考えぬかなければいけない局面もでてくるでしょう。研究には、自分が考えていたことが世に出るという大きな醍醐味があるので、大きなやりがいがあります。
しかし、私は「うまくいかないこと」がある意味ではそれ以上に重要なことだと考えています。人生は前進の連続ではありません。自分が正しいと思って進めてきたことでも、予行通りに進まなかったり、他の研究者から厳しい科学的批判を受けたりすることも少なくありません。ときに立ち止まりながら、ときに軌道修正しながら経験を積む。このプロセスがとても大切なのではないでしょうか。
私は研究をしているうちに、自分が考えていることを論理立てて証明できるようになりましたが、これは実生活や臨床現場でもとても役立ちます。
研究と同様、人生にはうまくいかないこともたくさんあります。私は、プラスとマイナスのうち、プラスが少し上回っているくらいがちょうどいいと思っています。
2015年、名古屋大学大学院医学系研究科 神経内科学の教授に就任しました。責任が増した分、大変なことも多いのは確かです。しかし、教授になってから非常に視野が広がったと感じています。
いろいろな立場の方とお話しする機会が増えたからこそ、様々な考え方に触れることができるようになりました。
黒人初の大リーガーであるジャッキーロビンソンは、こんな言葉を残しています。
「A life is not important except in the impact it has on other lives.」
これは「誰かの人生に影響を与えることができるからこそ、人生は大切である」という意味です。
これは医療にも通じることだと思い、この言葉を大切にしてきました。我々医師は、患者さんの人生を変えられる存在であり、患者の人生をよりよくすることが使命だと思っているからです。
お話ししたように、私は「何もないところから新しいものを生みだす」ことを諦め、「隠された答えを見つけだす世界」を求めて医学の道に進みました。
しかし、実際に医師になってみて思うことがあります。それは医療の世界にも「新しいものを生みだす」部分がたくさんあるということです。シナリオライターに憧れていた頃の自分に通じるものを、医師になってから体験することができたのです。
医学は、まだまだ未開拓な部分が大いにあります。特に神経内科には、原因や治療を解明すべき疾患も少なくないのです。まだまだ新しいことを生みだすことができる世界であると考えていますし、それは医療界の使命なのでしょう。
私は、神経内科医として、常に「まだまだ新しいことができるんじゃないか」という気持ちを持っています。自分の努力の証を残したいという思いもあります。教授に就任してからは、後進の医師や学生にも支えられています。私には、彼らが活躍できるよう指導する責任もあります。
信頼できる仲間とともに、新しいものを生みだしたい。その思いが希望となり、今日も私の背中を押してくれているのかもしれません。
この記事を見て受診される場合、
是非メディカルノートを見たとお伝えください!
名古屋大学医学部附属病院
名古屋大学大学院医学系研究科 小児外科学教授
内田 広夫 先生
東京大学大学院医学系研究科 消化器内科学 教授、名古屋大学大学院医学系研究科 消化器内科学 客員教授
藤城 光弘 先生
名古屋大学医学部附属病院 小児外科 講師、東邦大学医学部 非常勤講師
田井中 貴久 先生
名古屋大学医学部附属病院 光学医療診療部 病院助教
今井 則博 先生
名古屋大学大学院 医学系研究科精神医学 特任准教授
藤城 弘樹 先生
名古屋大学腎臓内科 教授
丸山 彰一 先生
名古屋大学医学部附属病院 心臓外科 病院講師
徳田 順之 先生
名古屋大学医学部附属病院 循環器内科 病院助教
平岩 宏章 先生
名古屋大学 大学院医学系研究科腫瘍外科学 教授
梛野 正人 先生
名古屋大学 大学院医学系研究科ウイルス学 教授
木村 宏 先生
名古屋大学医学部附属病院 病院助教
佐橋 健太郎 先生
名古屋大学医学部附属病院 消化器内科 医員
飛田 恵美子 先生
名古屋大学医学部附属病院 消化器内科
池上 脩二 先生
名古屋大学医学部附属病院 皮膚科/名古屋大学医学系研究科 皮膚科 准教授
武市 拓也 先生
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