DOCTOR’S
STORIES
挫折を乗り越え、患者さんの心と体の「痛み」を言葉で救う平田幸一先生のストーリー
小学校から高校時代までのあいだ、建築家になることが夢でした。きっかけは小学生のとき、たまたま高層ビルの建設をテーマにした映画をみたことです。これからの日本の未来を暗示するように、上へ上へと伸びていくビルの姿に感激した私は、「将来は高層ビルの設計にかかわる仕事がしたい」と思ったのです。
高校3年生までは、建築家として世界的に有名な黒川紀章先生の研究室に入ることを本気で目指していましたし、自分でも勉強はできるほうだと思っていましたから、まさか入れないことなど想定すらしていませんでした。
高校3年生の夏、当時通っていたドイツ連邦共和国の交換留学制度を利用して、私はドイツに短期留学しました。今思えば、私は受験というものを甘くみていたのかもしれませんが、受験生としての夏休みの期間をほとんどドイツでのホームステイで過ごしたのです。
そこでの生活は、日本と異なりあまりにも自由気ままでした。勉強机に縛られることもなければ、外野からのプレッシャーもありません。周囲がとても穏やかに生活している様子をみているうちに、自分だけ勉強するのがばからしくなってしまい、次第に勉強することをやめてしまいました。
当然ながらこの期間に学力は一気に低下し、そしてそのままモチベーションが戻らずに受験を迎え、私は受験に失敗してしまったのです。
「あれほど夢みていた建築の世界に入る道を断たれた」。
社会から自分が否定されたように思いましたし、大きなショックを受けました。これが当時10代だった私の初めての挫折です。私は、その反動から反応性のうつ状態に陥ってしまいました。
生きる気力をなくして、ただただ呆然とした毎日を送る息子をみかねたのか、母親が聖路加国際病院に私を連れていきました。そこで私は、聖路加国際病院精神科で当時医長を務められていた故土居健郎先生に出会います。この出会いが、私の人生を大きく変えることになったのです。
診察室で私の状況を知るや否や、土居先生は私にこう仰いました。
「いったい何を甘えているんだ。ここは君の来るような場所ではないし、君は病気なんかじゃない。現実から逃げないですぐに勉強に戻りなさい」
それは精神科の医師が患者に向ける言葉としては厳しいものだったように思います。しかし、その一言だけで、私の鬱々とした気持ちはどこかへ消え去ってしまったのです。
「ああ、そうか。すごいのはモノじゃない、人の力だ。人はこうやって人の言葉で癒されて、人の力で治っていく。建物だって、それを建てているのは結局、人じゃないか」
土居先生の一言を受けて、私は人の秘める力のすばらしさに気付きました。それから人を癒し、人を治せる医師になる決意をし、1974年に獨協医科大学医学部に入学したのです。
土居先生の影響もあり、医学生のときは話すことで患者さんを治療できる精神科医になりたいと思っていました。しかし、勉強を続けるなかで、精神科よりも自分でみられる領域が広く、救急処置も可能な神経内科に興味を抱き始めました(当時の精神科は現在に比べて、行える処置に限りがあったのです)。
一般的な臨床や特に睡眠に関する研究を一通り終えた大学院修了後の1986年8月、私は認知症を学ぶためにチューリッヒ大学へ留学しました。当時、日本ではまだ認知症の研究が進んでおらず、国内で認知症を学べるところはありませんでした。
そんな日本に対し、チューリッヒ大学では認知症を電気的神経画像から解析するという先進的な研究をしていたのです。私は、恩師であり認知症のニューロイメージング研究の第一人者であるDietrich Lehmann先生のもとで、高次脳機能研究をはじめ多くのことを学びました。彼がいなければ、私は神経内科医としてここまで成長できなかったでしょうし、獨協医科大学病院長として今ここにいることもなかったかもしれません。
帰国後も認知症に関する研究を行う傍ら、病院での臨床にも力を尽くしました。病院の外来で患者さんに接するたびに感じたことは、頭痛に悩む患者さんがあまりにも多いことでした。
当時、頭痛はまだはっきりとした分類がなされておらず、診断や治療も確立されていない時代でした。しかし、頭痛に苦しむ患者さんは治療を待ち望んでいる―。どうにかして患者さんの思いにこたえたいと、私は1998年、日本で初めて大学病院で頭痛専門外来を開き、頭痛に関する研究を開始しました。
外来で患者さんをみながら頭痛の研究を続け、現在は私1人だけでも年間約8000人の頭痛に悩む患者さんを診察しています。
医師になってよかったと思う最大の瞬間は、たくさんの人生を傍でみていられると実感できるときです。そして私は医師として一般的な治療ももちろん行いますが、患者さんたちの話を聞き、患者さんに言葉をかけることで病を癒すことを何よりも大切にしています。
以前、医師のご両親を持つ若い女性が私の頭痛外来にいらしたことがあります。
彼女は幼い頃から、ご両親の「医師になってほしい」という期待を受けて育ち、ご本人も非常に熱心に勉強に励んできました。しかし大学受験期になり、頻繁にひどい頭痛が現れるようになりました。あまりにも頭が痛むために勉強の内容が全く頭に入らなくなり、なんとかしてほしいという思いで私の外来を訪れたのだそうです。
私は、彼女が本当は勉強以外のことをしたいのだろうと推察しました。そこで、「本当は何が好きなのかな。誰にもいわないから、先生だけに教えてほしい」と尋ねてみました。すると彼女は次の外来診察時、自作の絵を持ってきたのです。
彼女が描いた絵をみて、私は吃驚しました。その絵が息を飲むほど美しく、目を離すことが困難なほどに素晴らしかったからです。長年の努力と才能がなければ決して到達できないレベルの絵であることは、素人目から見ても明らかでした。
その絵をみて即座に私は、「こんなに絵が上手なら、絵を描いて生きていこうよ。お医者さんになる人なんてたくさんいる。でも、この絵を描けるのはあなたしかいない」と伝えました。私の言葉を受けてようやく、自分が本当にやりたいことをしてよいのだと安心できたのでしょうか。彼女は1年間予備校に通ったのち有名な芸術大学に入学し、入学と同時に頭痛も治り、今でも元気に絵を描き続けています。
内科医は外科医のようにメスを使って人を治すことはできません。しかし、こうして言葉を用いて人を治すことができると私は信じています。実際、患者さんは自分の胸の内を話したり、誰かの言葉を受け取ったりするだけでも治ってしまうことがあるのです。少年の頃、私も土居先生の言葉に救われたのですから。
獨協医科大学病院神経内科の頭痛外来には国内外を問わず全国各地から患者さんに訪れていただけるようになり、初診まで相当お待たせしてしまうのが現状です。それでもいいから話を聞いてほしいという患者さんがいらっしゃるなら、私はいくらでも耳を傾けますし、その方の苦しみが癒されるように、最大限の言葉と、最大限の手を差し伸べていきたいと思っています。
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獨協医科大学病院
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