キャリア形成期における出産に伴う休職。そのタイミングの選択は、多くの働く女性を悩ませる問題です。女性医師の場合はそこへ「研究活動」が加わり、選択がさらに難しくなるケースも。滋賀医科大学(以下、滋賀医大)を卒業し、附属病院で小児リウマチ外来を開設するべくキャリアを積んでいた佐藤知実先生(近江八幡市総合医療センター 小児科 部長/滋賀医科大学医学部附属病院 小児科 非常勤講師)は、同大学のスキルズアッププログラムを活用し、仕事・研究・出産全てを諦めない道を進みました。思いをかなえるまでのあゆみやどのようにプログラムを活用したのか、お話を伺います。
※プログラムの詳細と発足までの経緯についてはこちらの記事をご覧ください。
※滋賀医科大学の取り組みの詳細はこちらをご覧ください。
昔から子どもが好きで、病気で困っている子どもを助けられる仕事をしたいと思っていました。先天的な慢性疾患や難病などで苦痛や生きづらさを感じている子どもたちを医療の力で手助けして苦痛を取り除き、周りの子と同じように生活できるようサポートしたいという気持ちが強かったです。
小児リウマチ医になろうと思ったのは医学部4年の頃です。免疫学の授業がとても興味深く、適切に治療すれば患部の痛みを抑えて日常生活を送れるという可能性を知り、その道に進むことを決心しました。
そう決めた理由には日本における小児リウマチをめぐる課題も関係しています。たとえば「トシリズマブ」という薬がありますが、これは一般病院では投与が難しく、処方には小児リウマチ医(日本小児科学会認定の小児科専門医、日本リウマチ学会認定のリウマチ専門医の両方の資格を有する医師)の管理・診療が望ましいとされています。ところが実際には、小児リウマチ医の数は非常に少なく(全国に70人程度)、不在のエリアも多いため、治療薬はあるのに投与できないという残念な状況が生まれていました。当時は滋賀県もそのような状況であったため、私は小児リウマチ医になり、母校の滋賀医大で小児リウマチ外来を開くという夢を持ったのです。
通常、小児科医は専門性を高める前に小児救急や新生児医療、かぜなどの一般的な病気の診療を一通り勉強する必要があります。そのため、私も滋賀医大医学部を卒業した2006年から2年間の初期臨床研修を経た後、6年ほどは複数の医療機関で一般小児科を学びました。そしてご縁があり、2012年10月から2014年3月までの1年半、横浜市立大学(以下、横市)で小児リウマチの研修(国内留学)を行うことになったのです。
横市ではたくさんの小児リウマチ患者さんを診ることができました。小児リウマチは患者数が少ない希少難病ですが、だからこそ専門的な診療を提供する横市には患者さんが多く紹介されてきていたのです。そのおかげで多くの実りある経験を積むことができ、2014年4月に滋賀医大へ戻り、念願だった小児リウマチ外来を開始するに至りました。
それまで滋賀県内に小児リウマチ医がいなかったこともあり、外来開設後は多くの患者さんを紹介いただいています。小児リウマチの正確な診断には「無投薬の状態」であることが非常に重要です。すでに何らかの薬物治療が始まっていると正確な診断ができません。その点についても地域の医師たちが理解して当院に紹介してくださるので、小児リウマチの患者さんを適切な治療に結び付けられる例が多く、とても助かっています。
2016年に滋賀医大の大学院に入学しました。これには2つの理由があります。1つは免疫学の基礎研究をしたいという強い思い。もう1つは、大学院生になると病棟主治医の業務(夜間の呼び出しや当直など)が免除されるため、業務が調整しやすい期間に妊娠・出産というライフイベントを重ねようという考えです。後者は女性医師がキャリアを途切れさせないための1つの選択肢としても知られています。
後者に関しては、現場での仕事に加えて妊娠・出産と大学院での活動を両立できる可能性があると知って非常にうれしかったです。というのも、私は昔から「医師の仕事をずっと継続していきたい」と考えており、そのためには大学院での研究活動と妊娠・出産いずれかを諦める必要があるかもしれないことを覚悟していたのです。しかし尾松先生に声をかけていただき、滋賀医大のスキルズアッププログラムに参加したおかげで医師のキャリア継続、大学院での研究、出産という3つ全てを諦めることなくかなえられました。
実際にそれらの両立を支えてくれたものの1つに、滋賀医大の学内保育があります。産休期間の前後にプログラムを利用したことで生後57日から学内保育所に子どもを預けることができ(住んでいる地域は待機児童が多く、通常の保育所ではもっと長いブランクができてしまうことが予測された)、外来は3カ月だけ中断したのみで継続できました。また大学院のほうは基礎免疫学の権威ある雑誌に研究成果を論文発表し、半年遅れの4年半で学位を取得することができたのです。
滋賀医大の学内保育所については、プログラムを受ける人は優先的に預けられたので非常に助かりました。保育所には7:00~21:00まで預けることができ、夜間保育(8:00~翌11:15※毎週金曜日)や病児保育(7:30~18:00)も行っています。同じ敷地内にあるので移動時間も最小限で済み、乳児がいる場合には3時間ごとに授乳に行くことも可能です。
また、プログラムに参加することで滋賀医大の附属病院に所属する医師の身分が保証されたため、その間は学会関係の専門医の研修期間と見なされ、結果的に大学院在学中に日本リウマチ学会専門医・指導医、日本小児栄養消化器肝臓学会指導医、日本小児科学会指導医を取得することができました。これは専門性の向上を望む医師にとって非常にありがたいことです。
医学部卒業から現在までの大まかな流れ
子どもがほしい場合、女性は妊娠・出産で仕事を中断しなければなりません。私のように3カ月で済むこともあれば、切迫早産や出産の合併症などで数カ月寝たきりになる場合もあり、それを前提に準備しておくことが重要です。私の場合は、義父母の力を借りるために妊娠前に夫の実家を2世帯に建て替えて同居をスタートしました。
仕事面では、患者さんには絶対に迷惑をかけられないので不在中の対応を考えました。新設した小児リウマチ外来の基盤を作ることはもちろん、外来を診てくださる代理の医師も探し、幸運にも2人の医師が入ってくれることに。産休・育休中、丁寧に診療を進めてくださり本当に感謝しています。彼らの協力がなければ妊娠・出産は難しかったでしょう。
現在は近江八幡市立総合医療センター小児科にて一般診療とNICU(新生児集中治療室)の診療、虐待対応などを行い、滋賀医大では週2回小児リウマチ外来を担当しています。
滋賀医大の小児リウマチグループには産休中に代理をしてくれた2人の医師がおり、さらに最近は新たに2人の医師が「小児リウマチを担当したい」と言ってくれています。将来を見据えてグループの応用力を上げる必要があるため、私は海外留学でキャリアを構築することを計画しています。2022~2023年をめどに子どもを連れて欧州の医療機関に留学できるよう調べているところです。
今お仕事をされている女性医師の中には、職場に当直できる医師が少なかったり、ずっと先まで外来予約が埋まっていたりして「いつ妊娠できるのだろう」と途方にくれている方もいるかもしれません。しかし命を預かる仕事をしている以上、妊娠や出産に理解のない医師はほとんどいないはずです。医師の代理は医師にしかできません。上司や同僚、後輩がきっと助けてくれますから、十分に相談してみてください。少し前から出産や子育てなどのライフイベントに関する計画や希望を話し合っておくことも大切です。周りに頼ったり甘えたりしながら、ご自身の人生計画を進めていってほしいです。
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