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日本外科学会理事長、森正樹先生のあゆみ―外科医/研究者として

公開日

2021年05月20日

更新日

2021年05月20日

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2021年05月20日

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明治時代の発足以来、外科学の研究・学術の発展、外科医療の向上に寄与してきた日本外科学会で理事長を務める森正樹先生。森先生は2008年から大阪大学外科学講座の再編にご尽力され、また、治療が難しい消化器がんの克服に向けたがん幹細胞の研究分野に貢献し、2020年に紫綬褒章を受賞されました。これまでの足跡と思い、これからの展望を伺います。

「死」を意識した原体験

生まれは鹿児島県です。小学生の頃、床に落ちていたガラスの瓶を踏み、敗血症(感染症により生命を脅かす臓器障害が引き起こされた状態)になってしまいました。幼いながらに初めて「死」を意識し、恐怖を感じたことを覚えています。しかし、往診に来てくれた医師が諦めずに治療をしてくださり、危うい状態からなんとか回復しました。子どもの頃のこの体験が、医師になる1つのきっかけになったのだと思います。

外科医と研究者、2つの要素

鹿児島県の高校を卒業後、九州大学(以下、九大)医学部へ。元々は研究に興味があったので病理に進むつもりでしたが、サッカー部の先輩から強くすすめられ、1980年に医学部を卒業後そのまま九大の外科(旧第二外科、現在の消化器・総合外科)に進むことにしました。

1991年には米国ハーバード大学に留学の機会をいただき、消化器がんの悪性度に関する分子遺伝学的研究に従事しました。研究のバックグラウンドは病理学と分子生物学です。

帰国後は、九大の生体防御医学研究所に赴任。生体防御医学研究所は元々、温泉地として有名な別府にあった九大の「温泉治療研究所」と、「医学部附属がん研究施設」が統合してできた研究所です。赴任してからの4年間は助教授(今でいう准教授)を務めていましたが、前任の教授が定年で退職され、私が教授を引継ぎました。

大阪大学における外科学講座の再編―新たな試み

合計10年間ほど九大の生体防御医学研究所にいまして、大阪大学(以下、阪大)へ赴任したのは2008年です。

大阪大学医学部附属病院 写真:PIXTA

阪大へ呼んでいただいた当時、阪大で外科の組織改編があり、外科が1つのグループに統合されるタイミングでした。というのも、当時はどの大学にも「第一外科」「第二外科」があったのですが、その構造に伴うさまざまな不具合が起きていたのです。たとえばグループごとの派閥ができてしまう、患者さんがどちらの外科に行けばよいか分かりにくいといった状況が生まれていました。そこで第一外科と第二外科を再編して、臓器別体制に変える動きがスタートしていました。そのなかで診療規模の大きい消化器外科は2名の教授で担当させると決まったようです。そして1人は外部から招へいすることになり、私に白羽の矢が立ちました。もう1人は大阪大学出身の土岐祐一郎先生に決まりました。消化器外科に2人の教授ができたのですが、教室内と関連病院などの混乱を避けるために、土岐教授と相談して何事も1つの教室として運営しようと決めました。

武士に変装した先生

第119回日本外科学会学術集会のレセプションにて会頭の土岐先生(写真左)と侍に変身。2019年4月大阪

このような外科再編の試みは全国でもまだ珍しかったのですが、それが功を奏し、現在の阪大外科学講座の発展につながったのでしょう。阪大の外科学講座はとても活発な雰囲気になり、毎年たくさんの方が入局を希望してくれます。患者数・手術数も順調に増加し、私が赴任した頃に比べて論文数も2倍ほどに増えました。

この10年余りで皆が1つにまとまり、その中で風通しよく、互いに切磋琢磨する風土ができ上がったように感じています。これは、土岐先生の素晴らしい指導力はもとより、心臓血管外科をまとめる澤芳樹先生の卓越したリーダーシップとご支援があってこその結果です。皆さんには心から感謝しています。

昭和55年卒業の外科教授の集まりにて。澤先生(前列左から3番目)らと森先生(前列左)。2019年4月大阪

昭和55年卒業の外科教授の集まりにて。澤先生(前列左から3番目)らと森先生(前列左)。2019年4月大阪

「一樹百穫」 人を育てる大切さ

教育に関して阪大の頃から意識しているのは、「一樹百穫(いちじゅひゃっかく)」の考え方です。中国の古典『管子』に登場する言葉で、「人を育てることは大きな利益をもたらす、大計を成し遂げるには人材の育成が必要である」という意味があります。よい人材を育成することは、その時代のみならず100年後の医療を必ずよりよいものにすると信じています。

それから、後進の医師たちには「外科医になってよかった」と実感してもらいたいと思っています。本人が幸せであることは、とても重要ですから。もちろん医局人事のこととなれば全員が100%満足、というわけにもいきません。しかし、それぞれの場所で一人ひとりが存分に活躍できるよう、本人の努力や適性を配慮するべく丁寧にヒアリングを行い、できる限りサポートすることを心がけてきました。

忙しい外科医の「家族参観日」

外科医の忙しさについてはこちらのページでお話ししたとおりで、外科医は朝から晩まで手術やそれに付随する業務に追われることが多いです。時間が制限され、家族と一緒に過ごす時間が少なかったり、家族に仕事のことを理解してもらうのが難しかったりします。

このような課題を少しでも解決したいと考え、阪大時代には「家族参観日」の取り組みを始めました。1年に1回、スタッフは大学病院に家族を連れてきて、いつもどのように働いているのか、その勇姿を実際に見てもらう試みです。私も妻と子どもを呼んで、朝から夕方まで参観してもらいました。働く姿を見てもらうことで「お父さんはいつもこうやって仕事をしているのか」と理解を得る貴重な機会になっていました。今後は東海大学でも、この家族参観日のような取り組みを行えるよう調整していきたいと考えています。

医師 PIXTA写真:PIXTA

もう一度九州大学へ

2019年には九大へ再び呼んでいただき、主幹教授*の任命を受けました。阪大の場合はそもそも外科を統合しようという気運が高まっていたところに赴任したため、動きが非常にスムーズでした。しかし、九大の場合は2018年頃から第一外科と第二外科の統合の機運が高まってきたものですから、私がいた間にはまさに変革の過渡期という印象でした。九大の次世代の教授にはぜひ外科の統合を成し遂げていただきたいです。今後も九大の発展のために、私もできる限りサポートしていきたいと考えています。

*九州大学主幹教授:九州大学の教授のうち、競争的資金制度の研究代表者などであり、かつ、その専門分野における業績が極めて顕著であり、将来にわたり同大学における研究活動の推進に中核的な役割を果たすことが期待される者に、公平性・透明性のある選考により「主幹教授」の称号が付与される。

今後の展望―東海大学医学部長として

2021年4月には東海大学へ医学部長として呼んでいただきました。外科のみならず医学部全体がさらによくなるよう取り組む重要性を感じているところです。

大学医学部には臨床、研究、教育という3本柱があります。特に「教育」は大学の重要な機能ですから、重点的に考える必要があります。また、研究力を強固にするためには研究費の獲得が必須です。そのため、文部科学省や厚生労働省の科学研究費に関する申請を活発にすることが重要と考えています。また、大学病院は地域を守る“最後のとりで”ですから、地域の病院とも密な連携を取れる仕組みづくりに努めていきます。複数の附属病院の連携をいっそう高めることも大切で、オール東海として一体となって活動できるように工夫したいと思います。3本柱のいずれをも高めていくことが私の責務と考えています。

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