病気になればどのような医療機関も受診でき、質の高い医療を安全に受けることができる――多くの国民はそれを当然と思っているのではないでしょうか。しかし、米国医学研究所(IOM)は1999年に、医療過誤による死亡者数は年間4万4000~9万8000人に上ると推定し、これは自動車事故、乳がん、エイズによる死亡者数を上回ると報告しています。また、2017年の経済協力開発機構(OECD)の報告によると、高所得国では平均して10人に1人の患者さんが入院中に安全ではない医療による害を経験しているとされています。
人間が関わる限り、医療でもミスやエラーが発生する可能性は避けられません。これらを未然に防ぐことは、国民の生命の安全に直結する重要な課題です。この課題に取り組む医療従事者や医療関係者、さらに、患者さんやご家族が、より安全で質の高い医療の実現を目指して学び合う場として「医療の質・安全学会」は2024年11月29、30日に横浜市のパシフィコ横浜ノースで第19回学術集会を開催します。大会長の荒井有美さん(北里大学病院医療安全推進室副室長/医療安全管理者)に、安全な医療について学ぶことの重要性や今学術集会の特徴などについて話を伺いました。
今回の学術集会のテーマは「学びを続ける。~The Power of Sustainable Learning~」としました。医療は常に進化し、技術や知識が刷新されていくなかで、患者さんに最善の医療を提供するためには、避けられる害を最小限にし、たとえ害が発生してもその影響を少なくすることが重要です。同じ薬効がある薬でも人によって効き方に差があるなどの個別性や、治療法が未確立な疾病の存在などの不確実性があるなかで、医療者は自分の経験や他者の研究によって確立された知識を駆使し、常に学びを続けています。
個々人が学んだことを医療界全体で共有し、医療者にとって、患者さんに最適な医療を提供し続けることがもっとも重要です。しかしその過程で、治療する患者さんを間違えてしまったり、異なった薬を飲ませたりするような人的要因による「ミス」「エラー」などは、完全に防ぐことはできていません。医療現場で発生するさまざまな安全上の問題を、インシデント報告や実地調査を通じて収集・共有し、再発防止の方法を検討すること、さらに成功事例やうまくいっている取り組みを共有して学び合うことが、より安全な医療の実現につながると考えています。
医療者だけでなく患者さんやその家族の方も一緒に医療安全の取り組みに参加することや、心理学、建築学、工業などさまざまな学際的な分野の皆さんと安全な医療を提供するために必要なことを学ぶことも重要です。医療が高度化、複雑化すれば、それに伴ってさまざまな問題点と解決策が生まれるため、学び続けることが求められます。今学術集会のテーマは、学び続ける力を持ち、より安全で、さらに質の高い医療を実現することを目指すという決意表明であり、社会に向けての宣言でもあります。「学びを続ける」の後にあえて「。」を付けることで、私たちの決意が揺るがないことを強調しました。また、今学術集会では初めてロゴマークを作成しました(トップのポスター画像参照)。ロゴは、その学会のビジョン(展望)を示すものです。今回は「学び」がテーマであることを表すため、本の上で医療者が輝いているイメージでデザインしてもらいました。
医療の質・安全学会は「多職種」「学際」がキーワードであり、学術集会のプログラム構成もそれを意識して企画されています。アカデミックでありながら、実践研究や実体験に基づく成果など、日常的な活動について、現場の実践者からも発表ができる場になっています。また、今回は「海外から学ぶ」という意味で、海外からの講師も複数招聘しています。
私はもともと薬剤師として約10年働いた後で看護師になり、医療安全の管理者というキャリアを積んできました。その中で実感したのは、同じ医療界でありながら、看護師と薬剤師の認識や常識はまったく異なるということです。それは決して悪いことではなく、各分野の専門性に基づいて一人ひとりの患者さんと向き合い、医療を提供しています。患者さんによりよい医療を行うことができる一方で、残念ながら、さまざまな専門家が介在することが原因のコミュニケーションエラーにつながってしまうこともあります。私は薬学を学び、看護学を学んだことで、身をもってそうした職種ごとの違いによる危うさを体験してきました。しかし、1人で全ての分野を習得しなければ安全な医療が提供できないということはありません。チーム医療では、各専門家が、自らの専門知識をほかの専門家に分かりやすく説明できることも重要です。多職種が集結する今学術集会は、それぞれの専門性の立場で意見交換しながら知識を高めていく場であったらよいと思っています。
医療機器や設備の技術的進歩が果たす役割はとても重要で、今回の学術集会では、医療安全に関わるさまざまな製品や取り組みを紹介する約75社の企業展示が予定されています。医療分野では、こうしたメーカーの技術支援が患者さんの安全向上に大きく貢献するとともに、医療現場のスタッフの負担軽減にもつながっています。職種によっては、通常の業務の中ではなかなか会う機会がないメーカーの方々とも、医療現場で困っていることや、このような製品があるとよいといったことを直接話す機会となります。
なお、医療の質・安全学会学術集会では、特に優れた展示を選考委員会が選び表彰しています。
日本における医療安全の取り組みは、特に1999年の重大な医療事故を契機に大きく進展しました。いくつかの病院での事例が社会的関心を集め、医療安全対策が本格的に推進されるようになりました。また、病院には私のような「医療安全管理者」という役割が置かれるようになりました。
通常、医療は、医療者の努力により安全に行われています。しかし、人が人を診る以上、医療には不確実性が伴い、内在するリスク(危険)を完全に避けることも難しい状況です。その中でどのような問題があり、それにどう対処していくかを体系化し、同じ問題が繰り返されないようにしていくことが、私たちの仕事の1つです。
安全な医療を提供するのは当然です。しかし医療が進歩し、さまざまな新しい治療が生み出される中で、安全ばかりを過剰に注視するあまり、危険を躊躇することで新たな治療への挑戦などをやめてしまうことは、本来の医療の目指すことと相反していると思います。
治療を受ける際に患者さんが自分で治療法を選ぶための、「インフォームドコンセント(患者さんが治療の内容やリスク、メリットを十分に理解したうえで、治療に同意すること)」や「共同意思決定(シェアード・ディシジョン・メイキング=患者さんと医療者が一緒に治療法を決めるプロセス)」という考え方が広まっています。このとき、治療の危険性についてもきちんと患者さんに説明するために、過去の事例やデータを提供することも重要だと考えています。
若手医療者や、医療職以外を含む幅広い分野の人たちに医療安全研究の魅力や重要性を知っていただきたいと考えています。
医療安全に関連した研究分野にはまだ多くの課題があり、未開拓の分野に挑戦できること、そしてさまざまな分野の現場の意見を聞き、共に考えることができることも魅力です。
医療の質・安全学会では、自分の専門分野に限らず、診療科や職種を超えて最新の知識や技術を得られます。特に特定機能病院などでは医療安全管理に関わる医師、看護師、薬剤師の配置が求められており、学術集会ではそうした異なる職種の人たちがネットワークを作る場も提供しています。
今回の学術集会では、無料託児所を準備しました。これにより、子どもを預けられずに学術集会への参加をあきらめていた女性スタッフも安心して参加していただけます。また、小学生以上のお子さんは各会場に入場できるほか、小学生を対象にした医療体験や医療安全を考える「キッズ医療アカデミー」も開催します。このような取り組みは近年当たり前になっているかもしれませんが、今学術集会の大きな魅力の1つだと思っています。ぜひご家族でご参加いただければと思います。
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