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日本医師会8年間の足跡――横倉義武先生のあゆみ第2章

公開日

2021年01月07日

更新日

2021年01月07日

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2021年01月07日

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第19代日本医師会会長、第68代世界医師会会長を務め、現在は日本医師会の名誉会長となっている横倉義武先生。福岡県のヨコクラ病院を原点として、福岡県医師会、日本医師会、世界医師会会長就任へと、どのように歩まれたのでしょうか。本記事では、横倉義武先生の足跡と当時の思いを伺います。【第2章】

福岡県医師会から日本医師会へ――運命の巡り合わせ

1990年に福岡県医師会の理事に就任しましたが、自分は若すぎるので当初は2期4年で辞めようと思っていたのです。しかし、運命の巡り合わせが重なって途中で退任できない状況となり、留任が決定。その任期中、1995年の阪神・淡路大震災が発生しました。

見舞いのため震災の4、5日後に伊丹空港へ。しかし兵庫県医師会は震災被害により壊滅状態で、代わりに大阪府医師会に置かれた出先の受付へ見舞金を託しました。残っていた公共交通機関を使い、やっとの思いで兵庫県立西宮病院にいた親戚を訪ねると、そこには震災で崩壊した街がありました。数多くの住宅やビルが倒壊し、ライフラインは途絶え、親戚からは「多くの方が亡くなった」と聞きました。

阪神・淡路大震災(西宮市の様子) 写真:PIXTA
阪神・淡路大震災(西宮市の様子) 写真:PIXTA

 

自分にできることはないか――。悶々としながら福岡県に戻り、すぐに日本医師会が派遣する救急医療のグループに参加、兵庫県芦屋市で避難者の健康管理などに携わりました。

気づくと、2期4年のつもりが、3期、4期と理事を続投。さらに1998年からは福岡県医師会の専務理事に任命されました。専務理事は全ての職務の調整に関わり、組織と活動を全体的に把握しなければ遂行できないため、毎日のように医師会に通っていました。当時はヨコクラ病院院長として朝のミーティング、入院カンファランスを行いながら、福岡県医師会の仕事を併行でこなしていました。そして4年後には副会長になり、さらに4年後の2006年に会長に就任、という流れです。

日本医師会では、2010年に副会長、2012年に会長に任命されました。どちらも選挙による決定です。阪神・淡路大震災の被災者支援でつながった18代目会長の原中勝征先生とのご縁や、当時の民主党政権と日本医師会との距離感など、さまざまな背景や経緯があり、私にお声がかかったのだと認識しています。

日本医師会での活動――まずは「役割の明確化」に着手

2012年に会長に就任する際、真っ先に考えたのは「日本医師会に対するマイナスのイメージを払拭し、その役割を明確にしなければならない」ということです。当時、日本医師会に対する国民の目はかなり厳しいものでした。日本医師会は国民の方々に信頼される組織でなければいけないと思いましたし、また、医療関係者には役割を広く理解してもらう必要があると感じていたのです。そこで「日本医師会綱領」を作成し、国民や医療関係者に向けたメッセージを発信する取り組みを始めました。

会長1年目の当時、東日本大震災の影響で福島の原子力発電所は全て停止していました。そのため医療機関における電力の確保が課題となり、全国の電力会社に対して電力の確保を要望し、さらに災害時における迅速な情報共有・通信体制の確保に努めました。また、原中先生が会長の時代に準備されていた「赤ひげ大賞」をスタートしたのもこの頃です。赤ひげ大賞の活動をとおして、地域に密着して人々に貢献する「かかりつけ医」の功績を称えるとともに、地域医療の大切さを国民に広く伝えることに尽力しました。

翌年2013年には、中医協(中央社会保険医療協議会)の委員を日本医師会の役員に戻すという人事的な役回りを担うとともに、かかりつけ医と病院の4機能(高度急性期、急性期、回復期、慢性期)を明確化すべく、4つの病院団体のトップとの協議の場を設定。議論を重ねて理解を深めたうえで合同提言を発表するに至るまで、水面下での調整に奔走しました。

また、「日本警察医会」という組織に代わる新たな全国組織を発足するための活動を開始。警察医とは、警察からの依頼に基づき死体検案(人間の死亡を医学的・法律的に証明するための調査、死因検索)や警察官の健康管理などを担う医師です。それまでの管理体制を見直し、各都道府県の医師会との連携、人材確保、大規模災害時も迅速な検案活動の推進などを行いました。

山積する課題に取り組む日々

2014年には、幸いにして無投票で会長再任が決定。1期目の取り組みを認めていただいたのだと思います。17年ぶりの消費税増税に対応し、医療に関する税制要望を提出。そのほか、常任理事の方々にご尽力いただき、日本専門医機構の発足、日本医師会の電子書籍アプリのサービス実施などを行いました。

2015年には、以前から課題となっていた日本医師会会員の減少に対する打開策を実行。また、さらなる少子高齢社会を見据えて「日医かかりつけ医機能研修制度」の整備をスタートし、かかりつけ医の育成・質の向上に取り組みました。

この年、台湾のウォーターパークで爆発事故(「八仙水上楽園爆発事故」と呼ばれる)が発生し、多くの負傷者が出ました。日本医師会として、日本熱傷学会と日本救急医学会に協力を仰ぎ、熱傷治療の専門医の派遣と医薬品など支援物資の提供を行いました。これがご縁となり、日本医師会は、台湾医師会および台湾路竹会(台湾の海外災害医療支援NGO)との間で、災害時における支援体制に関する協定を締結するに至ったのです。

台北の景色 写真:PIXTA
台北の景色 写真:PIXTA

 

3期目となる2016年には、日医かかりつけ医機能研修制度が正式にスタート。社会の状況に応じて見直した「医師の職業倫理指針」の第3版を発行しました。また、「日医IT化宣言2016」では率先してIT化に取り組む姿勢を世に示すとともに、標準化されたオンライン診療レセプトシステムの導入により、医療情報の互換性向上に努めました。

2016年10月には世界医師会の台北総会が開催され、そこで縁あって次期会長に選出されました。世界医師会に関しては後の項に譲ります。

2017~2018年には、受動喫煙防止対策の強化・実現するための署名活動で264万を超える署名をいただき(2017年8月時点)、かかりつけ医の終末期医療(人生の最終段階における医療)に対する意識を高め、地域住民と医療者の意識啓発を行いました。また、医療の課題に立ち向かうための理念を共有する「全国医師会・医師連盟 医療政策研究大会」をスタートしたのもこの頃です。さらに、日本医学会と協働し、英文医学総合オンラインジャーナル「JMA Journal」を創刊。優れた学術成績を広く世界に発信し、医学の高揚、医療の質の向上に貢献することを目指しています。

2019年には、日本医師会総合政策研究機構で「日本の医療のグランドデザイン2030」がつくられ、2030年に向けて日本の医療がどのようにあるべきか、医療をどのように設計・改善すべきか、という課題に対する日医総研の意見をまとめました。これは最終成果物ではなく、さまざまな意見を聴取して更新・成熟させていくものとしています。また、日本医師会と世界医師会で協働し、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC:誰もがどこでも保健医療を受けられる社会に)推進の一環として、「Health Professional Meeting (H20) 2019」を開催。世界におけるユニバーサルな保健医療を実現するためのディスカッションを行いました。

2020年はご存知のとおりCOVID-19による影響で、日本中が混乱に陥りました。そのようななかで、日本医師会を代表して釜萢敏(かまやちさとし)先生に情報発信を担っていただき、また、クラスターが発生する前にチェックする必要があるとの考えに基づき、唾液を用いたPCR検査など検査方法の拡大に関して発信を行いました。

世界中に新型のウイルス感染症が広がるという未曾有の事態において、国民の皆さんや医療者には大変な苦労があったことと思います。しかしながら日本医師会役員の皆さんには非常に助けられました。試行錯誤を重ねながら、COVID-19に対応するための対策を的確に進められたことに感謝しています。

*世界医師会での活動と現在の思い――横倉義武先生のあゆみ第3章に続く