現在、日本における大きな課題の1つである「働き方改革」。特に、これまで個人の善意によって、長時間の時間外労働が暗黙の了解とされてきた「医師の働き方」については、さまざまな議論がかわされています。大阪大学医学部附属病院(以下、阪大病院)は、大阪府下・阪神間だけでなく、全国から年間2万人以上の患者さんが紹介受診する病院です。こうした医療機関がきちんとその機能を保ったまま働き方改革を実現するためには、どのような取り組みが必要となるのでしょうか。2022年4月から同院の病院長を務める竹原徹郎先生に、同院が目指すものとそれに向けた取り組み、今後の展望などについてお聞きしました。
医師における「働き方改革」の適用は一般企業と比較して猶予が与えられてきました。大企業では2019年4月から、中小企業では2020年4月から時間外労働の上限規制が導入されていたのに対し、医師を含む特定の事業(業務)における時間外労働に関する罰則付きの上限規制導入は2024年4月からとなっています。これは、医師の勤務環境の改善には長期的な取り組みが必要になると判断されたためです。当院に限らず、どこの医療機関においても着実に進めるべき大きな課題であるといえます。
病院長としての仕事は、日々の診療を確実に回すため、あるいは地域の方々の期待に応えるために必要な経営・運営観点でのさまざまな調整を行っていくことです。これらは歴代の病院長のおかげで、ある程度の「メニュー」ができている状態です。一方で、医師の働き方改革は、これまでのメニューにはありません。それを一から作り上げ、自分自身の病院長在任期間中にベースを完成させることこそが、私の大きなミッションであると感じています。
医師の働き方改革における難しさは、「単に労働時間の上限を設定し、罰則を設けただけでは患者さんに悪影響が出てしまう」という点にあると思います。
当院は、高度救命救急センター*のほか、がんゲノム医療中核拠点病院**、臨床研究中核病院***などに指定される施設であり、「地域の医療の責任者」としての役割があると考えています。これらの役割をきちんとこれまでどおり、あるいはこれまで以上に果たしながら、医師の労働環境も改善していくことは決して容易ではありません。
一方当院では、医師だけでなく、働く職員一人ひとりがこうした病院の立ち位置に対して強い責任感と誇りをもっており、職種にかかわらず「阪大病院のため、ひいては阪大病院を受診する患者さんのために一丸となってそれぞれの仕事に取り組もう」という気持ちがとても強いのだということは、病院長に就任して改めて実感したことです。医師の負担を軽減するためにも、徐々にそれぞれの職種における業務範囲を整理し、合意を取りながらタスクシフティングを進め、病院一丸となって働き方改革に取り組むことが鍵になるのではないかと思います。そして何よりも、この改革によって、これまで以上に患者さんに安心と満足を提供できるようにすることが大きな目標です。
*高度救命救急センター:重症あるいは複数の診療科にわたる、重篤な救急患者を24時間体制で受け入れる役割(救命救急センター)に加え、広範囲のやけど、指肢切断などの特殊疾病患者にも対応する。
**がんゲノム医療中核拠点病院:がんの診療や臨床研究、治験、新薬などの研究開発、がんゲノム医療に関わる人材の育成を担うとともに、がん患者さんのがん遺伝子パネル検査を行う施設。
***臨床研究中核病院:日本における革新的な医薬品・医療機器の開発などに必要となる、質の高い臨床研究や治験を推し進めるための中心的な役割を担う、厚生労働省の認可を受けた病院。
医師をはじめとした職員の負担を軽減しつつ、診療における患者さんの安全性を向上させる取り組みの1つが、内閣府が主導する「AIホスピタル」事業の推進です。AIホスピタルは、AIやIoT(Internet of Things)、ビッグデータなどの技術を用いて「AIホスピタルシステム」を開発・構築し、先進的な医療サービスの提供を目指します。AIホスピタルシステムによって医療機関のさまざまな業務を効率化することで、医療従事者の負担軽減を実現します。これだけを聞くと医療従事者が中心の事業のように聞こえますが、WHO(世界保健機関)では2020年、患者の安全を守るためのテーマとして「Health Worker Safety : A Priority for Patient Safety(医療者の安全が患者安全のための優先事項)」と掲げていました。
当院ではAI医療センターを設立し実際の現場にAIなどを導入することで、診療レベルや安全性、サービスの向上、ひいては患者さんの治療への満足度の向上を目指しています。たとえば、長距離の歩行に不安がある、あるいは足腰に障害がある外来受診の患者さんなどに対しては、目的の診察室まで自動運転で移動させる実証研究が進んでいます。
また、医療の現場では専門的な話が多くなりがちです。そこで、患者さんの表情をリアルタイムで読み取り、納得度や理解度を判定することで医師に説明を促すAIの実証研究も導入されています。将来的に医師に代わって「デジタルの主治医」が説明を補足する、といったプロジェクトにも挑戦しています。
当院だけでなく、医療界全体のこのような取り組みに対し、「機械に任せるのは不安だ」と感じる方もいらっしゃると思います。しかし私は、あくまでこれらは医療従事者の「支援」を行うものであり、決して医療従事者が行っていることをAIやロボットで置き換えようとしているわけではないと考えています。こうした不安を解消できるように、目的や意図、AIの位置付けなどをきちんと患者さんに伝えていくことも大切にしなければなりません。
当院は1993年に現在の場所(大阪府吹田市)に移転しました。30年近くが経過した今、やはりところどころで老朽化などが見られます。そこで、2025年の春の稼働を目指し、数年前から再開発事業が進行しています。そのコンセプトが「Futurability待ち遠しくなる未来へ」です。建設中の統合診療棟には、病院が果たすべき高度な機能が搭載され、完成することによって医療機能が非常に大きく向上すると期待しています。
当院の特色は、やはり多くの患者さんが「高度な医療」を期待して受診している点だと思います。当然、高度なだけではなく安全であることも求められます。また、もう1つ重要だと考えているのは、きちんと患者さんに満足していただく、ということです。残念ながら、現在の医療では全ての病気やけがが治ることはありません。どうしても病気を抱えて生きていく必要が生じたり、命を落としたりしてしまうこともあります。そのような状況でこそ「患者さんが納得する」ということがとても大切であり、それが最終的な「満足」につながるのではないかと思うのです。
働き方改革、再開発事業など課題はいくつかありますが、本院は待ち遠しくなる未来に向けて患者さんのために着実にあゆんでいきます。
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