激動の「昭和」、バブル崩壊後の長い停滞の「平成」を経て、日本は2019年、新しい「令和」の時代を迎えました。戦後の高度成長と人口増を背景に日本の社会保障制度は充実し、特に「国民皆保険」によって誰もが質の高い医療を少ない負担で受けられるようになりました。しかし、「失われた30年」の間に少子高齢化の顕在化が進み人口減少社会に転じた日本で、この制度が維持できるのか疑問視されています。それだけにとどまらず、さまざまな物事が危機に瀕しています。来るべき新しい時代に向けて、私たちは日本人として、あるいは地球に住む77億人の1人として、どう行動すべきでしょうか。日本の医学系132学術団体(2019年11月現在)を擁する医学アカデミアの中心、日本医学会第7代会長の門田守人先生に、縦横無尽に語っていただきました。(News & Journal編集部)
医療や社会保障制度に限らず、今や日本は、世界はどんどんおかしな方向に向かっている。表面的にはそれぞれ別々の問題のようだが、よくよく見ると根底にあるものは1つだ。いろいろなテーマで考えても、それぞれを突き詰めると日本の1番大きな課題が見えてくる。
まずは医療に関する問題で、国民皆保険から考えてみる。少なくとも、高度成長期と同じことをしていては絶対に続かないということは、はっきりしている。高齢人口が増えることによって、必要な医療費はどんどん増えている。その一方で支える側の働く年齢層は減っている。
誰が考えてもこのままでは持ちこたえられないのは明らかだ。考えていないのか、知っていても、先のことだからと目を背けているのか、あるいは本当に知らないのか。全体像を見ないで、医療を受けるときに「(健康)保険がきくからいいじゃないか」と、目の前のことだけを考える人が大勢いるんだろう。だけど、数百万円、数千万円を超える治療でも、健康保険と高額療養費制度で、自己負担は10万円ぐらいで行うことができる(編注:所得などによって負担額は異なる)。それで助かる人がいることはもちろん素晴らしいことではあるが、保険財政がどんどん圧迫されていることもまた認識すべき事実だ。全体として何に比重を置くべきかを考え、本当の意味での価値観を見出せるのが「人間力」だ。正しい価値観を持つために必要なのが人間の教育であり育成であり、教養だ。
ところが今の教育は、知識をつめ込んでも教養や人間力をつけるということをしているとは思えない。人間というよりも機械を作るようなものだ。それをやっていったらどうなるか。やがて人間はロボットにとって代わられ、AIになり、シンギュラリティー(編注:「技術的特異点」と訳される。人工知能が自己学習や自己改良により人間を超える優秀な知性を持つようになる時点のこと)になって人間はいらなくなる、と見る人たちもいる。
それが本当かどうかは別として、人を人として育てるということをきちんとやっているところがあるのだろうか。これが現在、すべての問題に通じる根本的な課題だ。
最近「血液クレンジング療法」とかいうのが問題になってるけど、似たようなものでホメオパシーなんかは昔からイギリスなどでそうっとやられていたし、日本の地方でも「民間療法」としていろいろな“治療”が行われてきた。人間は弱い動物だから、何かがあった時にはたとえ信じがたいことでもすがってしまう。きちんと教育を受けていても、だ。一方で、人間は欲の動物でもある。もうかれば何でもする人間もいる。誇大広告によるニセ医療というのも、そういう人間がやっているのかもしれない。
信じがたいものを信じてしまうこと、欲のためには何でもしてしまうことなどに対して、何かできるとすれば、人間としての正しい教育、正しい人間形成を考えるしかないのではないか。
第2次大戦が終わった直後には、世界中で「人類は平和に戻らなければならない」と考えられていた。科学者が集まって「ラッセル・アインシュタイン宣言」(編注:1955年、当時の第1級の科学者ら11人が連名で核兵器廃絶、科学技術の平和利用を訴えた宣言文)というのが出されたりもした。戦後10~15年ぐらいは、真摯(しんし)に人間のあるべき姿を考える人たちがたくさんいた。
今では逆の方向に向かう指導者が地球のあちこちに出てきて、地球・人類滅亡に向けての道をどんどん進んでいるように思える。気候変動の対策をして、温暖化を止めなければ世界中で大変なことが起こるともいわれている。それなのに「地球が壊れても石油が大事。我が国が、我が国が! ほかは知ったこっちゃない」……そんな考え方は地球の破壊につながるということを分からない人がなぜこんなに大勢いるのだろうか。
世界中の人間の知恵がなくなり……というよりも目の前の、今の利益をどう上げるかが何にも勝る価値観になっているようだ。
気候変動の話でいえば、最近、電車の中で背広の襟にカラフルな丸い「SDGs(持続可能な開発目標)」のバッジをつけている人がたくさんいる。その人たちはみんな、意味を理解しているのだろうか。「持続可能な開発」といいながら太陽光など再生可能エネルギーに真剣に取り組んでいるかというと、日本ではあまり進んでいない。温暖化対策の国際会議に行けば、環境NGOによって対策に後ろ向きな国が選ばれる「化石賞」の常連だ。政治、経済の中心にいる人たちの基本的な発想は、長続きじゃなく「どっちが安いか」、今のもうけだ。
東京―大阪を新幹線で移動すれば2時間半、新幹線ができる前は特急で7時間、もっとさかのぼって江戸時代の徒歩なら半月、参勤交代は1カ月かけて移動していた。それを1時間にするのにリニアモーターカーを走らせようとしているけど、消費電力は新幹線の3倍ともそれ以上とも言われている。速ければいい、ならば昔の人たちは大阪まで行くのに時間がかかって不幸だったのか。科学の進歩だとみんなが思い、そっちの方がいいものだと自分に言い聞かせ、そして地球をだめにしている。
日本だけでなく世界中で、同じことが起こっている。戦後75年の間、利益追求、成長に向かってきた。そう考えると、人間に欲というものを与えてしまったことがそもそもの問題なのかもしれない。
「サイロ・エフェクト」という本が少し前にはやった(編注:ジリアン・テット著、2016年、文藝春秋社)。日本語で言えば「タコつぼ論」だ。地球全体を1つのタコつぼで考えるならいいが、それぞれが小さなタコつぼの中のことだけを考え、ほかのことは知らないとやっていたら、もう地球がもたないところに来ている。
気候変動など、しっかりと物事を考えるというバックグラウンドがないところに、問題だけがどんどん噴き出している。表現型はいろいろあるけれど、そうしたものを食い止めてこれからも人類が生き続けるために本当に考えるべき大切なことは1つだ。それは、さっきも言った人間を人間たらしめる、人間力をつけるための教育を世界中でやっていくこと。そして、今の資本主義ではなく新たな価値観を、世界中で共有すること。
自分のことを考えるのはもちろん当然ではある。そんな中でも周囲のことを考える、日本全体のことを考える、さらに言えば地球全体のことを考える……環境問題に代表される今の問題は一人ひとりがそのようなマインドで考え、発信していくことで世の中は変わるはず。そして、そのような考え方を持てるような教育体制を整えていくことが必要だ。
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