新しい治療法や薬の開発などによって、乳がんは治癒を目指せる病気になってきた。治療成績の向上は世界中の医療者・研究者のたゆまぬ努力に支えられ、日本も少なからぬ貢献をしている。とはいえ、日本の乳がん診療には解決すべき課題も多く残されている。2022年に日本乳癌学会理事長に就任した戸井雅和先生(都立駒込病院院長)に、乳がん診療の発展のために学会が果たすべき役割、この領域の魅力などについて聞いた。
乳がんは1cmより小さい段階で見つければ、治る確率が非常に高くなります。5mm以下であればさらに治る確率が高まります。早期発見・早期治療は乳がん治療の“ゴールドスタンダード”であり、最小限の負荷で最大の成果を得ることができます。
そのために、一般の女性の方々には「ブレスト・キャンサー・リスク・アウェアネス(乳がんリスクの自覚)」をお願いしたいと思っています。これは、自分自身がどれくらいのリスクを持っているかを把握していただくことです。たとえば、遺伝性の乳がんというものがあり、血縁者に乳がんや卵巣がん、膵臓がんや前立腺がんを患った方がいる場合、リスクが高くなります。また、妊娠・出産歴のない方など女性ホルモン「エストロゲン」の影響を受けやすい方は、乳がんのリスクが高くなるという研究があります。それらに生活歴などを組み合わせてリスク評価をします。
乳がんは若い方でも発症することがあり、そうした方は上述のようなリスクをお持ちのケースが多いのです。そういったことを認識し、早め早めに検診を受けたり専門家に相談したりしていただければ、本当に早くがんを見つけることができます。
日本に限らずアジアで乳がんの患者さんが急激に増えています。日本では少し前まで「一生の間に15人に1人が乳がんになる」とされていました。私が医師になったころはおそらく25人に1人よりも少なかったと思います。今は「9人に1人」という時代になりました。そうした中で、現在のがん診療には“量”と“質”の2つの面で大きな課題があると考えています。
急増する罹患者数に対して、それを診る医師、看護師など医療者側の増加が追い付かず、アンバランスが生じています。そして、そのギャップがどんどん広がり、望ましい数に比べて医療者の数が足りなくなってきています。加えて、現在の乳がん診療は医療者以外のさまざまな職種の方のサポートがないと成り立たず、現場の負担がどんどん増えているという状況です。日本乳癌学会には何よりも人の育成、養成が求められており、十分な専門性を持った医療者を各職場、領域で育てていく必要があると考えます。
医療者の不足に対応するために、医師会の会員の先生方や乳がん専門のクリニックの先生方とタイアップしていく必要があると考え、現在新たなネットワークの構築が始まっています。この作業は学会と医師だけでなく、患者さんや市民、社会とともに動かなければ進めることができないということを、一般の方々にもご理解いただきたいと思っています。
質の面では、今の乳がんの診療に求められる知識や技術は年々高くなってきており、膨大な情報をハンドリングしないと最先端の診療を実施することは難しくなってきています。その端的な例はガイドラインのボリュームです。2000年代前半のグローバルな乳がん診療のガイドラインと現在のものを比べると、数十倍の情報量になっています。
先ほど、アジアで患者さんが急増しているとお話ししたとおり、おそらく世界の乳がん患者の半分以上はアジアで発生しています。それはすなわち、アジアの責任が増大しているということです。アジアから乳がんについての情報を発信することの重要性を、我々は自ら認識しなければなりません。
そうしたなかで、日本発の診断、治療法による世界への貢献は小さくありません。高周波によってがん細胞を破壊するラジオ波焼灼療法(radiofrequency ablation:RFA)、リンパ節へのがん転移の有無を調べる蛍光法によるセンチネルリンパ節生検は日本から情報発信された技術です。薬についても本庶佑先生の免疫チェックポイント阻害薬だけでなく、日本の技術で作られたHER2陽性の手術不能または再発乳がんに対する抗悪性腫瘍薬「トラスツズマブ デルクステカン(商品名:エンハーツ)」は世界のエポックメーカーになっています。
一方で、課題も山積しています。日本乳癌学会の将来検討委員会の中に
――など8つのワーキンググループを作り、診断や治療に関する新技術の検討やさまざまな課題の解決策などについて議論を重ねています。
日本乳癌学会は、日本の乳がん医療が抱える課題の解決に向け、これらの検討に特に力を入れています。
乳がんは、がんそのものが非常に多様性に富み、昔からさまざまな治療を組み合わせる「集学的治療」の代表として扱われてきました。それは現在も変わらず、非常に多くの治療法が必要ですし、異なるモダリティー(治療手段)を組み合わせることも求められます。
乳がんは「入り口が狭い」と感じる方がいるかもしれませんが、入ってみると恐ろしく幅が広く奥が深いのです。多くの研究者がいて長い歴史があってもなお、いまだに研究の種は尽きるどころかどんどん増えているという状況です。そうした研究によって、治療成績は少しずつではあっても毎年確実に向上するとともに、発見される乳がんも少しずつ小さくなってきています。
乳がん診療は非常に魅力的でやりがいもある領域ですから、ぜひ若い方たちに入ってきていただきたいと願っています。
1982年に医師になり4年目から乳腺・乳がんを専門とするようになって以降、患者さんからいただいた有形無形の感謝は心の深い部分に刻み込まれています。その時々で忘れられない症例の記憶は今でも残っていて、それらが臨床でも研究でも、私自身の原動力となっているのは間違いありません。
人のつながりにも恵まれました。大学や病院だけでなく基礎研究に携わった海外留学先でも、素晴らしい指導者、先輩、同世代の仲間、後進の人たちと出会うことができました。学会理事長の仕事も、そうしたつながりの延長線上にあると思っています。
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