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「100回生まれ変わっても外科医に」―大木隆生先生の思いと外科医療を取り巻く現状

公開日

2023年04月24日

更新日

2023年04月24日

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2023年04月24日

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第123回日本外科学会定期学術集会が2023年4月27〜29日、グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)で現地開催されます(後日アーカイブ配信あり)。会頭を務めるのは、東京慈恵会医科大学(以下、慈恵医大)外科学講座チェアマン(統括責任者)の大木隆生先生です。全国的に外科医が不足している中、大木先生が率いる同講座には志願者が途絶えることなく、2023年4月現在301人の医局員が在籍しています。外科医療を取り巻く現状やご自身の思いを大木先生に伺いました。

ポジティブなインフォームドコンセントが生む好循環

現在、大きな問題となっているのが外科医不足です。医学部の新設や既存の医学部の定員数増加などによって医師総数は年々増加している中、外科医を志望する若手医師は全国的に減少しています。その理由として、労働時間が長い、技術向上のため長い鍛錬が必要となる、医療訴訟のリスクが高い、給与が労働内容に見合っていないなど、いわゆる“3K”でコストパフォーマンスが悪いとのイメージを持たれていることが理由として挙げられます。

そのほか、「防衛医療」ともいえるようなインフォームドコンセント(医療行為について医師が十分な説明を行い、患者さんが納得したうえの同意)が蔓延していることも、外科医志望者数の減少につながっていると考えます。手術による死亡率や術中術後に生じる可能性のある合併症を事細かにあげつらったうえで「全て説明しました。手術を受けるかはご自身やご家族と相談して決めてください」と患者さんを突き放すようなインフォームドコンセントです。何かあったときに患者さんやご家族から「聞いてなかった」と言われないためのアリバイ工作にもみえます。

すると患者さんは「なぜ悪い話ばかりするのだろう。なるほど、これは裁判対策か」と容易に気付きます。その瞬間、医師への不信感がもたげます。患者さんの不信を感じた外科医はどんどん窮屈になり「もうやっていられない」という気持ちになるでしょう。すると患者さんの不信感はさらに大きくなり、両者の関係性は悪循環に陥ります。そんな輝きを失った外科医の姿を見た医学生や初期研修医は、自分も将来は外科医を目指そうと思うでしょうか。

患者さんが仮に大動脈(りゅう)と診断されたとき、患者さんと医師の間には目には見えない巨大な不安・恐怖・ストレスの塊が生じます。その塊が1kgだとしたら、防衛医療・アリバイづくりに走る医師は、塊の一部が1gたりとも自分あるいは病院のほうにこぼれ落ちてこないよう、患者さんとの間に高い防波堤を立てているようなものです。

患者さんは裁判を起こすために病院に来ているのではありません。ただ病気を治してほしい、その一心で病院に来ているのです。私はいつも、1kgの恐怖や不安、ストレスのうち2、30g請け負うことを心がけています。インフォームドコンセントでは、「100%手術が成功するとはお約束できませんが、一生懸命やるから任せてもらえませんか」「手術をすればいろいろ起こるかもしれませんが、このまま放置するよりはよいです」「一生懸命手術するので、一緒に頑張って病気をやっつけましょう」――とお話ししています。このような前向きな話をすると、結果が悪かった場合にわずかにリスクを負うことになります。しかし、そのマイナスを補ってあまりある益があると思います。たとえるなら、42.195kmのマラソンで最後の数百メートルだけ代わりに走ってあげるイメージです。私にとってはたかが数百メートルのジョギングですが、40km以上走ってきたランナーにとっては値千金です。つまり、1kgの恐怖やストレスの内、20gを医師が請け負うことで、残り980gの恐怖が半減するのです。私が20g請け負った結果、患者さんは500gも気持ちが楽になる、つまりトータルでは大きなストレス軽減になると考えます。外科医がこうしてポジティブな姿勢で病気に立ち向かえば、患者さんの気持ちも前向きになり、病気と闘う力が湧いてくるでしょう。そうすれば外科医も輝き、その周りには優秀な外科医が集まる。好循環が生まれるのです。

もちろん、こうしたインフォームドコンセントのベースには患者さんとの信頼関係が必須です。私は信頼関係を構築するため、外来ではじっくりと時間をかけて患者さんと対話し、通常は紹介元の医療機関にだけ渡す診療情報提供書を患者さんにも郵送するようにしています。

臨床実習中の医学生や初期研修医にインフォームドコンセントの大切さを伝えるために、私の外来に全員一度は立ち会ってもらうようにしています。今回の学術集会でも特別企画「インフォームドコンセントの功罪―理想のICとは―」と題した特別企画を用意しています。患者さんとの信頼感に基づいたインフォームドコンセントの重要性を学術集会の場で議論できれば患者満足度の向上のみならず、外科医の輝きも取り戻せると期待しています。

外科医療を取り巻く現状

2018年から始まった新専門医制度では、すでに必要医師数を確保できている都道府県・診療科に対し、医師採用数の上限を設ける「シーリング制度」が導入されました。志望者が減少している外科にはシーリングはかかっていませんが、ほか多くの診療科に採用上限が設けられています。しかし、希望する診療科が上限に達したからといって「定員が空いている外科に進もう」とはならないのが実態です。たとえば、東京都の皮膚科専門医取得の枠が上限に達してしまったら、空いている地方で皮膚科専門医を取得した後に、また東京都に戻ってくればよいからです。また、シーリングとは無縁の自由診療という選択肢もあります。実際に過去3年間の動向を見ると、美容系クリニックへの新卒医師の就職率は毎年過去最多を記録しています。こうした“逃げ道”がある限り、シーリング制度によって診療科の医師偏在、外科医不足の解消は期待できないでしょう。

また、冒頭で述べた医学部の定員が増えた背景の1つには、産科、小児科、救急診療科の医療崩壊が叫ばれていたことがあります。2006年、分娩中に脳出血を起こした女性が19施設から「受け入れ不能」とされた挙句、ようやく搬送された病院で出産後に命を落とした事件があり、社会問題にもなりました。これをきっかけに「妊婦さん、子どもの医療を守ろう」という風潮が広がり、これらの医療提供体制が強化され始めました。分かりやすい例が、東京都地域医療医師奨学金(特別貸与奨学金)制度です。大学6年間の修学費と生活費貸与の返済免除要件として、医師免許取得後は小児医療、周産期医療、救急医療、へき地医療のいずれかの領域で医師として従事することなどの要件が課されています。

これらの診療科は「子ども、妊婦、救急」などイメージしやすいため、ムーブメントになりやすいのだと思います。一方、これらの診療科以上に人手不足に陥っている外科医療を「何とかして助けなければ」という風潮にならないのは、外科のカバー範囲の広さが要因の1つだと考えます。「外科医療を救おう」と世間にアピールしても、具体的なイメージが湧かないため訴求力に欠けてしまいます。加えて、外科医の我慢強さも1つの要因かもしれません。慈恵医大をはじめ他大学の外科医を見ていても、どんなに過酷な労働環境にあろうと弱音を吐かない医師が多い印象を抱いています。外科医は「病院における最後のとりで」としての矜持(きょうじ)によって自らを奮い立たせている医師が多いように感じます。

「大医」を目指して

外科医の仕事は尊く、誇るべき素晴らしいものです。私は100回生まれ変わっても100回とも外科医になりたいと思っています。私はこれまで外科に対してポジティブなメッセージを発信し続けてきました。そうすると、患者さんともよい関係を築くことができて、素晴らしい人材が集まるものです。全国的には“外科一人負け”といわれている中、慈恵医大の外科学講座には現在301人の医局員が在籍しています。

「少医は病気を医す、中医は病人を医す、大医は国を医す」――中国古典の言葉ですが、慈恵医大の創設者・高木兼寛氏はまさにそれを体現しました。海軍軍医総監であった高木氏は明治時代、国民病と言われていた脚気の原因として食事の関与を疑い、海軍のみならず日本を脚気から救った人物です。高木氏は洋食や麦飯を食べている人に脚気は少なく、白米中心の食生活をしている人に脚気が多いことに気付き「脚気栄養欠陥説」を唱えました。一方、陸軍軍医総監で東京大学医学部卒業の森林太郎(鴎外)氏らは、脚気を伝染病の一種とする「脚気細菌説」を唱えていました。両者の意見対立は「脚気論争」として知られています。

高木氏は栄養欠陥説を訴え続けましたが、東大閥、陸軍、官僚機構にその考えは受け入れられませんでした。しかし、白米中心の生活を続けた陸軍からは戦死者の約3倍にも上る脚気による犠牲者が出た一方、パン、麦飯、カレーの食事に変えた海軍では脚気をほぼ撲滅したのです。こうして、日清戦争のみならず、その後海軍はバルチック艦隊を撃破し、日露戦争において日本を勝利に導きました。

私は高木氏のように国を医す「大医」でありたいと願っています。新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)流行初期の2020年5月、新型コロナ発生から半年間の経験とデータを元に「大木提言」を発表しました。

「医療界はゼロコロナを目指しているのに大木は何を言っているのだ」と多方面から非難の声を浴びせられましたが、安倍晋三元総理から「大木提言を読みました。一度詳しく聞かせてほしい」とご連絡をいただき、総理官邸で2時間もディスカッションをしました。その後私は未来投資会議のメンバーとなり「新型コロナとの戦いは長丁場になるので、“劇薬”である緊急事態宣言連発ではなく、Withコロナで教育・社会・経済活動との両立を」と主張しました。しかし、当時日本にはコロナベッドが50床程度しかなかったため、すぐに医療崩壊してしまう懸念がありました。そこで、コロナ医療に思い切った財政支援をすることで、国民が安心して暮らし、新型コロナに感染しても安心して治療が受けられる体制の構築も同時に唱えました。安倍総理は強く賛同してくれて、すぐさま予備費からコロナ医療へ1兆3000億円の拠出を約束してくれました。また引き続く膨大な財政手当が、日本のコロナ医療の充実に大きく寄与したと自負しています。外科医であり、医師であり、日本国民として「大医」を目指しこれからも尽力していきたいと思います。

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