連載特集

乳がん克服し46歳で出産、芸人だいたひかるさんが語る「選択」―ネクストリボン2024

公開日

2024年03月29日

更新日

2024年03月29日

更新履歴
閉じる

2024年03月29日

掲載しました。
778219ca42

イベントダイジェスト【4】

「ネクストリボン2024~がんとの共生社会を目指して~」の第2部のトークイベント後半は、乳がんの治療後に不妊治療を再開し46歳で第1子を授かった、だいたひかるさん(お笑い芸人)が結婚からがん治療、出産までの経緯を、ときにユーモアを交えて話した。本稿では第2部後半2人の講演ダイジェストをお届けする。

イベント ダイジェスト【3】から続く

第2部 トークイベント「新たな患者サポートへの挑戦~治療後の生活も支えたい」

松浦成昭さん(大阪国際がんセンター総長)

がんといわれると、ほとんどの患者は大きなショックを受けて落ち込む。しかし、徐々にがんを治したいという気持ちになり、治療に前向きになっていくことが多い。

がん治療の手術、放射線、薬物療法は、実はどれも負担が大きい。患者は治りたいという強い思いで頑張るが、私たちの病院では、つらさを和らげる「緩和ケア」、副作用を軽減する「支持療法」に全力を挙げて、患者の心を支えるようにしている。

緩和ケアは、がんの最終段階に行われる医療だと思うかもしれないが、今は最初から行うべきだと考えられている。医師、看護師、臨床心理士、社会福祉士……多職種のチームで対応する。患者が抱える仕事や経済的な問題などさまざまな困り事にも対応する。

従来、病院の役割はそこまでだったが、最終的な目標はがんが治った後に元どおりの生活に戻ることだ。大事なことは食べることと動くことだと思う。がんになって患者が一番知りたいと思うのは「いつまで生きられるか」よりも「いつまで動けるか」だ。

何とか運動支援をできないかと考えてきた。入院中はがんリハビリでしっかり筋肉をつけるように頑張ってもらう。しかし、保険診療上、退院後はこのリハビリができない。退院してある程度元気になった人のために何かできないかと、運動専門家のパートナーを探していたところ、スポーツクラブを運営するルネサンスと意気投合した。2019年6月、大阪国際がんセンターに共同で運動支援センターを設立し、がんで生じた体の不調改善を目指す独自の運動プログラムを提供している。がんの知識を持ちながら運動指導をできる人が必要と考え、がん専門運動指導士を認定する制度も作った。特に心の問題は非常に大切なので、治療プロセスごとの心理状態を理解したうえで「寄り添い、共に歩む」運動のスペシャリストとしてサポートしてもらっている。

効果について、WHO(世界保健機関)の「QOL26」という資料に基づき満足度調査を行った。運動指導前と約4カ月経過後の時点で生活の満足度を聞いたところ、プログラム後は全体的に向上していたが、身体的な面よりも心理面や社会面などの項目の上昇が目立った。

私は四十数年間、ずっと医療に携わってきた。医師になりたての頃、がんはまだ“不治の病”といわれ多くの患者が亡くなった。昔はがんを治すことに全力を挙げていたが、今は治すだけでは不十分で、できるだけ元どおりの生活を取り戻してもらうことを目指している。がんを“克服”した人だけでなく、がんを抱えながら共生している人もサバイバーだ。そのような方たちをいかに支えるかも、これから大事になってくる。

がんは誰でもなる病気だ。正しい知識を持ち、治療を受け、その後は元の生活に戻る――ことが大切で、今まではそれを医療機関のみが担ってきた。これからは企業、地域社会、市民も含めて支えていくことが必要ではないか。がん患者だけに限らず、社会的弱者、障害のある人、被災者も含めて、皆で支え合っていく時代になったのだと思う。病院はその先頭になって頑張りたい。

第2部 トークイベント「不妊治療か、がん治療か46歳で出産した私の選択」

だいたひかるさん(お笑い芸人)

38歳で結婚した。当時「卵子の老化」がメディアで取り上げられていて、自分はどうなのだろうとクリニックを受診したら「急いだほうがよい」と言われ、あれよあれよという間に本格的な不妊治療を始めていた。

だいたひかるさん(朝日新聞社提供)

それまでは毎年、区から送られてくるクーポンを利用して乳がんと子宮頸(けい)がんの検診を受けていたが、不妊治療を優先していたため1年半間隔が空いていた。不妊治療の中でも一番高度な顕微授精に挑戦していた時、受精卵の移植手術予定日に不正出血があり移植が中止になった。不意に予定が空いて思い出して受けた検診で乳がんが見つかった。40歳だった。

医師から乳房を温存する手術もあると言われたが、夫に残した部分から再発する可能性があるので全部取ってほしいと言われ、全摘手術を選んだ。リンパ節に転移があることが分かり、その後半年間抗がん薬治療を受けた。抗がん薬はつらくて痩せるイメージがあったが、自分は太ってしまった。皆さん仕事を続けながら抗がん薬治療を受けていることを知り、自分もだんだん慣れてきたこともあり、最終的には調子がよい時にはマラソンもしていた。

仕事も再開し、平穏に暮らして3年がたったころ、43歳の時に局所再発が見つかった。全適したほうの胸にまたしこりが生じたので、手術で取り除くことになった。余命200年という人はいないのだから、今ある時間を大切にしていけばよいと思うようになった。

乳がんになった時点で子どもは諦めていた。ただ、不正出血で移植を中止したので、最後の受精卵が1つ残っていた。子宮も受精卵も残っているのに、受精卵を凍結したまま自分が長生きしたら絶対後悔する。一度でよいから凍らせていた卵を温かいところに戻してあげたいと主治医に相談した。「たった一度の人生だから応援する」と言われ、乳がんのホルモン治療を中断した。30歳代から不妊治療を始めたが成功しなかったので、この年で妊娠するとは思っていなかったが、無事に妊娠し子どもはいま2歳になった。

がんになって一番つらかったのは家族に迷惑をかけたことだ。やはり家族が一番ダメージを受ける。結婚して3年目でがんになり、夫には新婚でいきなり看病をさせることになった。

乳房の再建手術もすすめられたが、なければないでそれほど不自由はない。胸がなくなっても命があればよいんじゃないかと感じている。がんを隠しながら生活する人もいるが、がんを治療しながら仕事をバリバリこなす人、長生きしている人もいる。再々発してから子どもを出産した人もいた。今は新しい治療も出てきていろいろな選択肢があるので、がんになっても絶望する必要はないと皆さんにお伝えしたい。

ネクストリボン2024
主催:公益財団法人日本対がん協会、株式会社朝日新聞社
後援:厚生労働省、経済産業省
特別協賛:アフラック生命保険株式会社
協力:日本イーライリリー株式会社、大鵬薬品工業株式会社、株式会社ルネサンス
支援:株式会社メディカルノート

取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。

特集の連載一覧