連載特集

個人情報利用と保護の両立で開ける持続可能な医療の未来

公開日

2021年01月20日

更新日

2021年01月20日

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2021年01月20日

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北欧を中心に、医療のデジタル化が進んだ結果、個人が受ける医療の質向上に加え、医学研究や治療法開発などでもそのメリットが期待されています。一方、日本では個人情報の利活用について国民のコンセンサスがなく、医療のデジタル化は"先進国"に比べて1周も2周も遅れているとの評も。しかし、日本の医療を持続可能にするためにも、デジタル化推進は待ったなしといえます。これから日本が目指すべきものや可能性について、日本ユーザビリティ医療情報化推進協議会(JUMP)の森田朗代表理事に聞きました。

森田朗・日本ユーザビリティ医療情報化推進協議会代表理事(JUMP提供)

情報技術の進歩で医療に訪れた「第三の波」

アメリカの未来学者、アルビン・トフラーは1980年に出版した「第三の波」で、「農業革命」「産業革命」の次に「情報革命による脱産業社会」が訪れると予言し、医療でもデジタル化が進むと考えていました。ただ、医療は扱うデータ量があまりにも大きく、当時の情報処理技術では扱うことができないものでした。21世紀に入り、コンピューターの処理能力の劇的向上やスマートフォンにみられる機器の小型化、高速ネットワーク環境の整備、4K・8Kといった高精細映像技術の開発などによって基盤は整いました。

多くの医療機関では電子カルテを使い、レセプト(診療報酬明細書)の情報も電子化されています。そして、ビッグデータ解析によって、どういう病気が多くてどういう症状が現れ、それに対してどういう治療が行われてどのような効果があるか、といったことが分かる時代になりました。

例えば2、3年前からレセプトデータが個人と結びつかない形で利用できるようになり、「数百億円規模で処方されている薬が実はあまり有効ではない」といったことが分かるようになっています。それだけでも意義はありますが、一方でその薬が効く人もいます。どういう人に効くかが分かれば、もっと効率的に医療資源を使えるようになります。

そうした情報を幅広く利活用するためには、個人と結びついたデータの集積が不可欠です。そのことに関する賛否はありますが、まず、医療の情報化でどんなことが可能になり、どんなメリットがあるのかを説明しましょう。そのうえで、センシティブな個人情報をどう取り扱っていくべきかというお話をします。

データ活用で高まる個人向け医療の質

「データ」は、21世紀になって我々が使えるようになった貴重な"資源"です。それをどうやって活用するかが、まずは重要なポイントになります。

紙ベースでは、母子健康手帳というものを世界で初めて導入したのが日本で、世界に広がりました。成長の節目ごとの健康状態や予防接種歴などが一覧できる、貴重なデータ集なのですが、手帳をなくしてしまうと情報が全て消えてしまいます。

子どもが小学校に入学すると、健康診断、歯科・眼科・心臓・尿などのさまざまな検診を受けますが、これも紙で情報を保存しているため、卒業後5年たつと廃棄されてしまいます。なぜかというと、これらの検診は健康管理よりも就学の可能性を確認するためのもので、就学期間が終わるといらない情報だから、ということのようです。しかし、この貴重な情報は、電子化してIDでずっと追跡できるようにしていくと、本人にとっても国民にとっても非常に役立つものになります。

写真:PIXTA

理想は、出生前の胎児の時点から亡くなるまでのヘルスデータを使えるようにすることです。それで何が実現できるかというと、体質や既往歴などから、病気にかかったときに「あなたはこういうタイプだからこの薬がよく効く」といった、個別化された医療が受けられるようになります。また、同じような条件の人を参照して将来かかりやすい病気の分析とその予防が可能になるでしょう。また、処方薬の情報を一元管理することで、重複投薬や飲み合わせの問題(禁忌)を回避することができますので、より安全な服薬と、無駄な処方を防ぐことが可能になります。

このように、個々の患者に対する医療の質を高めるという効果は、たいへん大きいといえるでしょう。これはデータの1次利用の話です。

研究や医療資源の効率的利用に寄与も

2次利用の観点からは、医学研究や創薬でも、従来とは違った視点からの成果が期待できます。また、先ほど例として挙げたようにレセプトデータと結びつければ医療資源の効率的な利用にも貢献できるうえに、医療人材、機器、医薬品などの適正な配置や在庫管理にも使えるでしょう。収入情報とリンクすれば、医療費や保険料のより細かい傾斜負担を求めることもできるようになります。

さらには、例えば今回の新型コロナウイルス感染のような状況で、どういう人が重症化しやすいかといったデータや、いろいろな種類があるワクチンの効果や副作用についてのデータが時間とともに集積されれば、優先的に治療すべき人のフィルタリングといったことにも使えるでしょう。

高齢化が進む中で、日本は負担が少ない一方で今は高いサービスを受けられています。しかし、この状態を未来永劫続けることができないのは多くの人が認めるところでしょう。解決策として負担を上げる、サービスを下げるという選択がありますが、その中間として効率化を進めるのがあるべき姿ではないでしょうか。そのためのツールがITです。

プライバシー保護の仕方に工夫を

一番大きな争点は、個人情報の扱いでしょう。

少なくとも、医療に関しては個人情報を使って患者を助ける可能性が非常に高いのです。厳密に医療ではここまで使えるようにしましょうといったことを含めて、データ活用について基本的な哲学、コンセプトをまとめる必要があります。個人情報保護関連の法体系についても全面的に見直しが必要になるでしょう。

また、たとえ相手が医療関係者でも、見られたくない情報があるという方もいるでしょう。薬局では処方薬を見るとどういう病気にかかっているのか分かります。例えば、精神科と内科を受診していて別々の薬局で処方薬を受け取っている患者さんが、内科の処方薬を受け取るときには精神科の処方情報を見られたくないといったケースが考えられます。それに関しては、開示/秘匿する情報を自分で選択できるようにすることで対処できます。

IT先進国といわれる北欧のエストニアでは、医師にも看護師にも見せたくない情報は、自分でオプトアウト(非開示設定)できるというシンプルで進んだ仕組みを作っています。ただし、オプトアウトした情報が原因で禁忌の問題が起きるようなときのリスクは自分で負う必要があります。エストニアでは医師が電子カルテに書き込むと、そのデータは全国共通のクラウドに収納されます。ただし、そうしたデータをだれが見ることができるか、何に使ってもいいかは、原則として本人の意思で決めることができるようになっています。

さらに、若いときには他人に知られたくない情報でも、年を取ってそれまでにどういう治療をしてどのような薬を飲んできたかといった情報が重要になったら、もう一度オプトイン(開示設定)すると使えるようになるといったことも可能だそうです。

日本人は「ゼロリスク信仰」が強いですね。すごく効くけれど副作用もある薬を目の前にして、副作用が怖いからとその薬を使わないという発想に近いように思います。うまくコントロールして使えば、助かる人もたくさん出てくるのです。個人情報漏えいの心配は分かりますが、コントロールできる制度を作り、情報利用のメリットと、プライバシーをどう守っていくかを国民にしっかりと伝えていくことが必要だと思います。

そのためには、医療情報の利活用に関する法制度をしっかりと作って、個人情報の利用と保護の仕方を整理するとともに、国民の理解を深める必要があると考えます。

集めたデータは「つなぐ」ことで生きる

もう1つ大切なのが、データの「インターオペラビリティ―(相互運用性)」です。せっかく集めたデータも、「つなぐ」ことができなくては生かすことができません。

例えば電子カルテはベンダーごとにフォーマットが異なり、病院グループや大学系統ごとで違うという議論があります。海外でもさまざまなベンダーがありますが、つなげられなくては意味がないので、基本的なデータフォーマットに統一していこうという方向で動いています。日本の中でけんかしているうちに、海外で標準化が進んでいるのが現状です。

データは「ある」だけではさほど大きな意味はありません。つないで、集めて、分析することでその価値は飛躍的に向上し、その価値を医療の現場に生かすことで国全体の医療も個々人の健康もよくなります。

世界に後れを取らないために、漏えいを恐れて動かないのではなく、漏れないように最大限の努力をしながら個人情報を医療のためにもっと活用していく――そういう方向に、国民が意識を変えていくときに来ていると考えます。
 

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