自身のブログで2024年2月に舌がんの完治を報告した歌手・タレントの堀ちえみさんは、2019年に罹患を公表。タレントとして社会復帰を果たしてからは、がん早期発見の重要性を訴えるなど積極的に啓発活動を行ってきた。がんとの共生社会を目指す「ネクストリボン2024~がんとの共生社会を目指して~」イベントリポートの第2回は、堀さんの特別講演と、がん経験者の立場からがんという病気の捉え方や周囲の方に望むことなどを話し合ったパネルディスカッションの模様をダイジェストでお届けする。
イベント ダイジェスト【1】から続く
2019年2月に舌がんの手術を受け、舌の6割以上を切除して太ももから組織を移植した。早期発見できればこのような大変な思いをしなくてもよかっただろう。私は口の中にもがんができることをまったく知らなかった。口内炎だと思い込んで、リンパ節に転移するまでまったく気付かなかった。もし知識があれば、半年以上痛みが増したり、静まったりを繰り返している状態は普通の口内炎ではないと気付いて、もっと早く大きな病院に行けたと思う。
がんの告知は冷静に受け止めることができたと思うが、手術を受けた後は自分の顔と舌の状態、自分が置かれた状況に嘆く日々だった。15歳でデビューしてから芸能一本で生きてきたので、この先どのように生きていけばよいのかと困難に直面した。過去の行動の何がいけなかったのか、自分を責めてばかりいた。しかしある時「命があれば何でもできる」という言葉が空から落ちてきてスイッチが切り替わった。悩んでばかりいても始まらない。今の自分を受け入れ、これからどうすればよいか考えられるようになると、リハビリを頑張って社会復帰し、皆さんの前で話をしたり欲を言えば歌も歌ったりしたい――という自分の本当の気持ちに気付くことができた。将来のことを考え、前を向いたとたんに心が軽くなった。
一方で、もう1人の自分が「そんなことは不可能だよ」と思うこともあり、とても苦しんだ。そんな時、娘が「お母さんが無理だと思ったらもうそれでおしまいだよ。無理に社会に出る必要はないけど、お母さんがやりたいと思うのならやったほうがいい」と背中を押してくれた。今の自分の話し方は以前と違って恥ずかしいと思ったら、一生人前で話をすることはできない。これが今の私だと皆さんに受け入れてもらうところから始めなければいけないけれども、頑張って言葉で何かを伝えよう、自分にできることをこつこつとやっていこうと考えている。
第1部の最後は、堀ちえみさんらがんの経験者と、基調講演を行った大野真司さん(相良病院院長)らによるパネルディスカッションが行われた。発言要旨を紹介する。
*コーディネーター:辻外記子さん(朝日新聞編集委員)
いまだに社会では、がんは不治の病、がんになったら仕事を続けられるのか、という懸念がある。患者本人も、動揺したり絶望を感じたり、治療に専念しなければならないと考えたりしがちだ。そうなると、患者は社会から切り離されたり、社会参加が難しくなったりする。背景にあるのは、がんやがん患者に対する偏見や“スティグマ”といわれる負の烙印(らくいん)付けではないか。
がんに限らず、何らかの病気になったらこのように行動すべきだという社会的な規範役割が付与される。タルコット・パーソンズ(米社会学者)は「2つの権利と2つの義務」という観点から定式化した。病人には「社会的役割を免除される権利」「病気から回復する権利」がある。それに対応して「通常の役割を遂行できるようになる義務」「医療専門職と協力して回復に努める義務」があるとしている。ただ、これらは1950年代に提唱されたもので、念頭に置かれていたのは感染症などの一時的な病気だった。現代では病や障害と共に生きるという考え方が出てきており、異なる捉え方を持つことが必要ではないかといわれている。
がん患者は、病気になったので人生を諦めるという方向に向かいがちだ。患者となることで社会から隔離され、再び社会に戻るという回路が閉ざされてしまう。これは「社会的疎外」といわれる状況で、社会とのつながりが極めて弱くなる。
今、多くの患者が異なる生き方を示してくれている。治療を受け、体調の変化があるにもかかわらずスティグマや差別から解放され、仕事ややりたいことを続けていく。これはがんと共に生きるという新しい病人役割といえるのではないか。
がん患者を力づけるために、さまざまな関係者が協力することが大事だ。医療機関や関連学会だけでなく、企業や団体も連携することによって、がん患者を支える社会全体のしくみを作ることができると思う。
2020年末に自分の大腸がんが見つかった。それほど動揺はせず「早く手術や治療をしなければ」という気持ちだった。悩ましく思ったのは、それを家族や職場に、いつ、どのように伝えるか、だった。それは、社会や企業ががん患者に対してどのような見方をするのか十分に理解できていなかったからだ。臨床心理士から「言いたいと思ったときに言えばよい」と言葉をかけられ、納得できた。自分ががんになったときに一番大事だと思うのは、相談できる、会社や家族に言いづらい気持ちを表出できる場があることだと思う。
がん患者に対する周囲のサポートで必要なことは「がん患者を正しく知る」「多様性を尊重する」ことだと考える。患者はそれぞれ価値観や考え方も異なる。“沈黙”も含めたコミュニケーションによって相手を正しく知り、何ができるか、どのような支援があったらよいかを考えることが大事だ。また、それぞれの違いを尊重してこそ、新しいニーズや新しい見方を発見でき、場合によってはイノベーションにつながるかもしれない。違いを排除するのではなく包摂することで新しい価値や豊かさに出合えるのではないか。
患者側から希望を伝えることは難しく、会社を辞めたりやりたいことを諦めたりする気持ちになるかもしれない。しかし、それらを乗り越えた“病気の先輩”の知恵や交渉の仕方から勇気をもらうなどして、自分だけで抱え込まずに助けを求める勇気を持ってほしい。
2011年に長男が誕生し、その2~3カ月ほど後に肺がんがみつかった。翌年に副腎に遠隔転移が見つかり、多発転移が見つかった時点でステージ4と診断された。当時の自分は「仕事を頑張る」といった精神状態にはならなかった。
一度休職してから、初めて当時の勤務先の就業規則を確認し、休職できる期間、復職後どれぐらいの期間を置けば再休職できるかなどを知った。給料が減った分を補填してくれる社会保障制度があることも知った。
こうした経験から就業規則や社会保険制度の理解はとても重要だと思い、がんになった後に勉強して社会保険労務士の資格を取得した。今では、がん患者をサポートする側として仕事をしている。
支援者の立場としては、相談が終わった時に前向きになってもらえるよう心がけている。がん患者も1人の人間で、皆価値観が違う。就労支援をしていても、「これで仕事と治療の両立ができる」と思う人がいる一方「がんになってしまうとだめだな」との言葉を聞くこともある。相手の価値観や考え方を見極めて支援をするのが大切だと思っている。
がん患者の立場としては、その時々で気分や気持ちは変化する。周囲の方はそういったものだと理解し、温かく見守ってもらいたい。
医師として乳がんを専門に診療するようになってから、毎日1人か2人の患者にがんの告知を行い、治療と入院などの話をしていた。1人当たり30分ほどの時間を取り一生懸命説明をして、最後に「入院日はいつにしましょうか」と尋ねると、患者から「自分は助かるか」「手術は必要か」「すぐ入院しなければいけないか」といった質問が返ってくる。
乳がんの前は消化器がんの診療をしており、同じような説明をしていたが、乳がんの患者が尋ねるような質問をされることはほとんどなかった。消化器がんの患者はだいたい60歳以上で、成人したお子さんを含む家族が患者を励ますことが多かった。そのため、なぜ乳がんの患者からかみ合わないように感じる質問を投げかけられるのか、不思議に感じていた。
今から24年前の2月、乳がんの患者に同じような話をしたところ、患者から「入院しなければいけないのか」と質問された。率直になぜそのような質問をするのか尋ねたところ、「これから子どもの学校で卒業式、続いて入学式があり、手術の日程がどうなるか気になった」と答えが返ってきた。それを聞いて「自分が病気や治療のことを話している間、患者は今後の生活のことを考えていたのか。これではいけない」と気付き、患者の心理やコミュニケーションについて勉強するようになった。
それからは、まず患者に話したいことがあるかを尋ね、話を聞いてからがんや治療について伝えるようにした。そうした反省を込めて、今は病気を診るのではなく病む人をみるという姿勢でいる。
がん患者との接し方については、がんに限らず、弱い人に対して社会がどう向き合うかとの視点が必要で、社会のあり方から変えていかなければいけない。コミュニケーションは技術であり、身につけようという意識が必要だ。備えること、知ること、コミュニケーション――この3つがあってこそ、がん患者を迎え入れることができる社会になるのではないかと思う。
SNSの時代なので、皆さんの声が直接届く。手術が終わった後は「頑張れ」「よかった」という励ましのメッセージをたくさんいただいた。命は助かったけれど、先の人生をどう生きるか葛藤しているなかで、大きな励みになった。
一方で、日々の暮らしが戻ってきたころに「まだ生きているんだ」「がんになったのだからおとなしくしていろ」といった言葉が伝わってきて悲しい気持ちになった。ある時、ちょっとおしゃれをして髪を整え、顔色がよく見えるようにパールのピアスをして出かけたら「がん患者なのにピアスなんかして」と指摘された。主治医からは、移植する組織を摘出したため太ももが細くなったので、どんどん外出し、歩いて体力をつけるように言われていた。しかし、当時はがん患者はおしゃれをすべきではないし、外出もせず家でじっと療養しないといけないのかと、受け取ってしまった。
家族は、自分が当事者ではなくがんを経験したこともないので、私への発言や接し方でとても悩んだと思う。5年がたち「あの時、こんなふうに言ってはいけないのか」と言葉を選んでいたことを話してくれるようになった。
家族や周りの方に相談しても理解してもらいにくいときは、精神科を受診して話を聞いてもらった。気持ちがずいぶん楽になったので、時には専門家に相談する勇気も必要だと思う。
がんになった時、パートナーに「ごめん」と謝ったら「2人に1人はがんになるといわれているから、自分の時にはよろしく」と言われたことに救われた。がんはいつ誰がなってもおかしくない病気だと気持ちが楽になったことを覚えている。
ネクストリボン2024
主催:公益財団法人日本対がん協会、株式会社朝日新聞社
後援:厚生労働省、経済産業省
特別協賛:アフラック生命保険株式会社
協力:日本イーライリリー株式会社、大鵬薬品工業株式会社、株式会社ルネサンス
支援:株式会社メディカルノート
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。