甲状腺疾患中心の専門病院として得られた数々の知見を世界に発信してきた神甲会隈病院は、2022年11月5日に神戸市内で創立90周年記念講演会を開催しました。1932年に神戸の地に開院し、2022年12月27日に創立90周年を迎える同院はこれまで、新たに提唱した甲状腺がんの取扱い方針が海外のガイドラインに採用される、アメリカ甲状腺学会の機関誌「Thyroid」の編集委員に同院所属の医師が3人(赤水尚史、宮内昭、伊藤康弘)選出されるなど、国内のみならず世界の甲状腺医療に貢献しています。講演会では、米メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターのマイケル・タトル教授と、隈病院4代目院長の赤水尚史先生による特別講演が行われました。当日の様子をレポートします。
開会挨拶を行う隈夏樹理事長
開会挨拶を行う赤水尚史院長
隈夏樹理事長と赤水院長からの開会の挨拶に続き、特別講演1として、タトル教授が「甲状腺分化がんのリスク分類:診断前から最終経過まで(原題 Risk stratification in differentiated thyroid cancer : from pre diagnosis to final follow up)」の演題で講演しました。座長は隈病院名誉院長の宮内昭先生が務めました。
座長を務める宮内昭名誉院長
まずタトル教授は、隈病院がこれまでに果たしてきた甲状腺がん診療の進歩への貢献として、甲状腺疾患患者の予後予測に有用な「ダブリングタイム・ダブリングレイト・腫瘍進行予測計算機」の考案、「低リスクの甲状腺微小がんに対して手術をしないで経過を見て、もし進行したら手術を行う」というアクティブサーベイランスの提唱などを紹介しました。
続く講演では、甲状腺がんの診断と治療、再発リスク、セラピーにおける重要な点などについて以下のように話しました。
講演1の演者を務めるタトル教授
かつてのアメリカでは、甲状腺乳頭がんを持つ患者さんは基本的に甲状腺全摘および術後に放射性ヨウ素内用療法を受けていました。しかし、隈病院の宮内名誉院長の提唱によって行われてきた研究などから、低リスク甲状腺微小乳頭がんの多くはすぐに治療を必要としないことが分かってきたため、一人ひとりのリスクを考慮した治療プログラムを検討する考え方が広がってきました。
現在、当センターは結節を見つけた段階でリスク分類を開始しています。そのとき、細胞診(腫瘍の細胞を針で吸引し、がん細胞なのかどうか調べること)が必要なのか、甲状腺がんと診断するのは有益なのか、手術が必要なのかなどを、患者さんの年齢なども考慮して十分に検討します。
さらに、手術後は再発リスクについて考えることも非常に重要です。検査機器技術の進歩により、超音波検査で結節を見つけられるようになりました。同時に、「どの時点で治療を開始するべきなのか」という見極めが重要になっています。そのため私たちは、治療すべき時を判断するためのチェックリストを用意し、腫瘍のサイズ、腫瘍のボリューム(3次元の腫瘍構成)、場所、再発例か否か、腫瘍増大率などを確認しています。ここで非常に役立っているのが、隈病院が開発したダブリングタイム・ダブリングレイト・腫瘍進行予測計算機です。これを用いることで、がんの大きさ(体積)やがん細胞の数が2倍になるのにかかる時間を計算し、患者さんの予後を予測できます。同時に患者さんの希望を聞いて治療プランを立てます。手術後も長期的にリスク分類と経過観察を続け、長期的な治療のプランを立てます。
最後に、セラピー(薬や手術以外の治療・ケア)の側面で重要なことは、患者さんの望みを理解するということです。
患者さんには現時点でのリスクについてだけでなく、時間の経過とともにリスクがどのように変化するか、もし治療を受けるならどれくらいの効果が望めて、どういった副作用が起こる可能性があるのかについても包み隠さず話します。このようにして私たちは、患者さん自身の希望も取り入れながら、診察の度にリスク分類について見直すのです。患者さんが自分自身の病を理解するためのサポート役となり、共によりよい人生を目指していけることを幸せに思っています。
講演後はタトル教授に感謝状の贈呈が行われた(右:赤水院長、左:宮内名誉院長)
続いて赤水院長が講演を行いました。座長は日本甲状腺学会理事長の菱沼昭先生が務めました。
まず冒頭に、「周年事業」が持つ意味と、これまで甲状腺学会・内分泌学会で自身が携わった周年事業での感想を述べました。次に、バセドウ病診療において残された重要課題である眼症について、最近瞠目を集めている新たな治療法の進歩を中心に発症のメカニズムや臨床像など含めて紹介しました。講演の最後には、隈病院の今後の展開と抱負について述べました。また、90周年を記念して出版された4書籍である『甲状腺疾患の症例集』、『患者さん向けの本』、『隈病院の歴史を物語にした本』、『学術業績集』について紹介がありました。
講演の要旨は以下のとおりです。
演者を務める赤水院長
「周年事業」は、「長寿」のお祝いとは異なり「組織に新しい『変化』を起こす絶好の機会」と捉えることができます。これまで日本甲状腺学会の60周年記念や日本内分泌学会の90周年記念に直接立ち合う機会が自身ありましたが、その度に課題や問題点に着目して組織改革を企図しました。特に、日本甲状腺学会の60周年記念では甲状腺腫瘍への取り組みと外科系会員増を取り上げました。日本内分泌学会の90周年記念では、100周年を視野に次世代リーダーの育成を大きな目標としました。
バセドウ病診療は、抗甲状腺薬、放射性ヨウ素、手術の3つの治療法により甲状腺機能のコントロールが可能になってきました。しかしながら、バセドウ病三徴候の1つである眼球突出をはじめとする「眼症」に対する適切な治療法にはいまだ問題が多く、種々のアンメットニーズがあります。眼症はバセドウ病全体の30%程度に認められますが、甲状腺自体の病態や機能変動と必ずしも相関しないといった特徴を有しています。重症化すると複視、角膜潰瘍、神経圧迫による失明など外見のみならず大幅なQOL低下をきたします。現行の治療は、ステロイドによる治療が中心ですが、ステロイドでは完全にはよくならず、さらに副作用が強く出ることがあって使えない患者さんが少なからずいらっしゃいます。
そのような状況下で、新薬が待望されていましたが、眼症のモデル動物が皆無であることや活動期の検体を入手し難いというような理由で、その開発は遅々としていました。しかしながら、近年バセドウ病眼症の病態解析が進み、免疫的機序や情報伝達経路が明らかになって来ました。このような研究に基づいて、T細胞、B細胞といった免疫細胞やそれらから放出されるサイトカイン、TSH受容体抗体や抗IGF-1(インスリン様増殖因子1)受容体抗体といった自己抗原や情報伝達分子を標的とした新規治療薬が続々と登場し、臨床試験が実施されて有用な結果が公表されています。その中には、すでに米国で正式な認可を受け臨床現場で使用され、驚くほどの効果を示している薬剤があり、現在日本で治験が進んでいます。このように、バセドウ病眼症の治療においてパラダイムシフトが起こり、これまで困難であった同症の診療に新たな光が照らされることが期待されています。
隈病院の今後の展開として、甲状腺疾患に関わる全ての診療に対処できる「総合的甲状腺専門病院」となり、病気ではなく患者さん一人ひとりの安心と満足を実現する「全人的かつ個別化医療」を目指していく所存です。
閉会挨拶を行う宮内名誉院長
講演後、宮内名誉院長が閉会の挨拶として「隈病院は▽甲状腺疾患中心の専門病院として最高の医療を均等に提供すること▽専門病院としての社会的役割を果たすこと▽診療において患者中心の全人的医療を目指すこと▽職員が誇りを持って働ける病院を目指すこと――という4つの理念を掲げています。私はこれらの理念を常に重視し、努力してきました。そして目の前の患者さんだけではなく、まだ診たこともない、私たちが将来診ることもない甲状腺の病気の患者さんを診療する世界中のドクターたちに、診療上有用な情報を隈病院から発信するという気持ちで、院長を21年間務めました。
また、私が院長になって最初に与えられた命題は「次の院長を選ぶこと」でした。隈病院がよりよい病院になるためにはどのような人材が適切かを考え抜いた末、本年、赤水院長にバトンを渡しました。次は創立100周年に向けて、さらによい病院になるために発展していくことを期待しています」と話しました。
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