連載特集

がんサバイバーら4人が当事者の思いなど語る―ネクストリボン2024

公開日

2024年03月29日

更新日

2024年03月29日

更新履歴
閉じる

2024年03月29日

掲載しました。
E53db1a2fd

イベントダイジェスト【3】

「ネクストリボン2024~がんとの共生社会を目指して~」の第2部のトークイベントでは、清水公一さん(社会保険労務士事務所Cancer Work-Life Balance 代表)らがんサバイバーなど4人が登壇。がんになって考えたことや仕事との両立、がんとの付き合い方などについて、当事者としての思いを語った。本稿では前半2人の講演をダイジェストでお届けする。

イベントダイジェスト【2】から続く

第2部 トークイベント「自分らしく生きる~肺がんステージ4からの独立、出産~」

清水公一さん(社会保険労務士事務所 Cancer Work-Life Balance代表)

2011年に結婚、翌年長男が生まれたが2カ月半後に肺がんが見つかった。ステージ1と診断され、当時の5年生存率は73.6%だった。楽天家なので「大丈夫だ」と思っていた。しかし、その後副腎への転移が見つかって手術したところ、多発転移が見つかり診断はステージ4となり、放射線治療を受けた。当時、肺がんステージ4の5年生存率は4.2%で、主治医からは延命治療しかできないと言われた。抗がん薬治療を3年ほど続けたが、脳転移のコントロールが難しくなり、エンディングノートを書いたり身辺整理をしたりした。

2015年、非小細胞肺がんに免疫チェックポイント阻害薬のニボルマブが保険適用になり、投与を受けた。主治医からは「効く人は少ないのであまり期待しないほうがよい」と説明されたが、心の奥底では非常に期待していた。1カ月後に腫瘍マーカーの数値が下がり、2カ月後には腫瘍の縮小が確認された。「まだ生きていていいんだ」「もう少し家族と一緒にいられる」と思い、ここでもう1人子どもを持つ決断をした。抗がん薬治療で妊孕性(にんようせい)が失われる前に精子を凍結保存していた。次男が生まれた後、リンパ節に転移が見つかり放射線治療を受けたが、現在は寛解状態を維持している。

がんとの向き合い方では「好きなことを我慢しない」ことを大事にしている。治療中も子どものライフイベントや好きな乃木坂46のライブに行くといった予定を入れていた。子どものお遊戯会や運動会など、近い未来をみて希望を持てるようにした。治療中は無理をしないほうがよいと思う方も多いだろうが、好きなことをするために治療も頑張れる。周囲の方は、それができる方法がないか考え、後押ししてあげてほしい。

その後、社会保険労務士として独立した。患者の悩みとしてはまず治療がある。治療成績が向上したことにより、闘病生活が長期間にわたる患者も多くなってきた。そのため、働きながら治療できる環境や経済的な問題、自分の人生で大切なものは何か――そうした悩みがぐるぐる回っていると思う。

自分の場合は、家族と一緒にいたいという思いが強く、なおかつお金に困らないためにはどうしたらよいかと考えた。現在は社会保険、医療費、ケア、障害年金などの専門家として、患者の就労支援やサポートができるのではないかと仕事をしている。

闘病生活で支えになったのは、病気のことを何も知らない子どもの純粋無垢な笑顔だった。体を救ってくれたのは医療従事者の皆さん、心を救ってくれたのは乃木坂46、もちろん一番は妻の愛情だ。

がんになった過去は変えられないし、予想外のことも起きるが、精いっぱい頑張って生きていくしかない。がんになったことも含めて、自分らしく生きることができたと思える人生になればよいと思っている。

第2部 トークイベント「がんで働いちゃダメですか?~取材者から当事者に」

阿久津友紀さん(北海道テレビ東京支社編成業務部長)

現在、私は北海道テレビ東京支社に勤務しており、パートナーと2匹の保護猫を札幌に残して単身赴任をしている。4年前、46歳の時に健康診断で両側乳がんが分かった。その10年前には母が乳がんに罹患し、18歳の時には父を胃がんで亡くしている。がん当事者、家族、遺族まで全て経験している。

阿久津友紀さん(朝日新聞社提供)

2003年、報道記者の時に1人の若年性乳がんの患者と病院で出会い、取材をスタートした。その女性が一生懸命啓発活動を行っていたこともあり、一緒に活動を続けてきた。

健康診断で「ほぼ乳がん」といわれたとき、誰に伝えたらよいか分からなかった。パートナーに「ほぼ乳がんらしい」とだけLINEを送ったら、すぐに「やるべきことをやるしかない」と返事があり、その言葉に救われたと思っている。関係を継続できなくなるかもしれないと思っていたがいったんは安心して、次の検査を受けながら頑張っていこうと思えた。

そのとき、自分が取材していた皆さんと自分はきちんと向き合えていたのかとも思った。「がん患者は生きづらい」――患者が口々に言っていた言葉だ。「がんとは言い出せない」「世の中から排除されるのではないか」「がん患者なのにヒールをはいていいの? 温泉に入っていいの? 遊んでいいの?」――皆悩んでいると思う。自分がこのことに気付いてしまったのだから、きちんと世の中に伝えていかなければいけないと決意した。

最近は「仕事を辞めなくてもよい」と最初に伝えてくれる医師も多くなったと聞くが、会社にどう伝えるかは非常に悩んだ。当時、会社では報道で初めての女性管理職だったが、仕事を続けられないのではないかと思い込んでしまい、どんどん暗い気持ちになってしまった。今振り返れば、状況を整理しながらきちんと本当のことを話して、もっと早く解決する方がよかったと思う。

手術からは1カ月で仕事に復帰した。案外できたと自分では思っている。社内のがんサバイバー同士が連携を始めたことも大きい。皆で経験をシェアすることが力になった。そうした人が増えていくことで社会を変えていけるのではないか。

母は「がんになったとき普通に接してもらったことが一番うれしかった、だから娘にもそうしたほうがよいと思った」と話してくれた。パートナーにも感謝している。家族も第二の患者といわれるが、患者と同じような思いを抱えてしまうのだろう。そして、間違えたくないのでやってほしいことはきちんと言ってくれと言われ、できないことは助けてもらうことが大事だということも分かった。

自分ではどうしようもないことを耐える力をネガティブケイパビリティと呼ぶそうだ。それができるようになってからずいぶん楽になった。備えて、知識を得ていくことが非常に大事だと思う。転移や再発の不安はあるが、それを思うよりも目の前のことを楽しんだほうがよいと思っている。

患者の困り事はたくさん言ってもらって、どんどん改善していくことが必要だと思う。そのために、今後はそういった方々をつなげる、つながることを大事にしていきたい。せっかく生かしてもらった命のある限り、そのきっかけになればよいと思って、活動を続けていきたい。

イベントダイジェスト【4】に続く

ネクストリボン2024
主催:公益財団法人日本対がん協会、株式会社朝日新聞社
後援:厚生労働省、経済産業省
特別協賛:アフラック生命保険株式会社
協力:日本イーライリリー株式会社、大鵬薬品工業株式会社、株式会社ルネサンス
支援:株式会社メディカルノート

取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。

特集の連載一覧