国連のグテーレス事務総長は2023年、地球温暖化の進行が危機的な状況であることを「地球沸騰化」と表現した。2024年、地球はさらに暑さを増している。気温や海水温が上昇する温暖化に加え、雨の降り方など気象の異常、これらの気候変動の問題は、さまざまな形で私たちの健康に影響を及ぼすことが明らかになっている。気候変動対策について話し合う国連気候変動枠組条約第29回締約国会議(COP29)が2024年11月11日にアゼルバイジャン共和国で開幕した。これに合わせて、ヘルスケア企業として気候変動の問題に取り組んでいるアストラゼネカの堀井貴史社長に、気候変動がどのように健康に影響を及ぼすのか、同社の取り組む対策などを聞いた。
医学誌「The Lancet」が発行している気候変動と健康に関する国際的な年次報告書「ランセット・カウントダウン 健康と気候変動に関するレポート」や、世界経済フォーラムの「グローバルリスク報告書」など、気候変動が健康に影響を及ぼしているというさまざまなエビデンスが発表されています。
最新の報告の中には、2050年までに世界でさらに1450万人が「気候変動関連死」するという報告もあります。WHOが公開している情報によると、世界が直面した未曽有の危機であった新型コロナウイルス感染症(新型コロナ)によって亡くなった方の数は、最大だった2021年が約350万人でした。今後気候変動によって、新型コロナの4倍以上の方が亡くなるという試算で、気候変動による人々への健康や命へのインパクトがいかほどのものか、ご理解いただけるのではないかと思います。
では、気候変動で人が亡くなる原因は何でしょうか。
すぐに思い浮かぶのは、熱中症による死亡でしょう。日本で2021年に熱中症アラートが出された回数は延べ613回でした。それが2024年は延べ約1700回と、3年で2.8倍に増えました。これだけ暑い日が多いと、高齢者や基礎疾患のある方などは、熱中症で搬送され、最悪の場合亡くなるケースもあったかと思います。
しかし、熱中症による死亡だけが、気候変動関連死ではありません。気候変動は豪雨や台風など異常気象の原因にもなり、災害が起こると多くの方が亡くなります。また、海面上昇や大気汚染、生態系の変化も引き起こします。大気汚染は呼吸器疾患の増加につながりますし、夏の猛暑によって日本でコメの作柄が極端に悪化したように、気温の上昇によって農作物の品質が低下したり収量が減少したりすることや、家畜の健康の悪化、風水害による農畜産物への被害などによって食糧事情が悪化することも、人々の健康に悪影響を与えます。また、病原体を媒介する蚊などの生息域が拡大することで、感染症の流行地域が広がることも予想されています。
COPのような地球温暖化防止のための枠組みを議論する国際会議は、大変重要と考えています。
2023年のCOP28では初めて「ヘルスデー」が設定され、各国の保健大臣による会合で気候変動が健康に与える影響や対策などについて議論されました。また、気候変動の影響を大きく受ける途上国を支援するための「損失と損害(Loss and Damage)」基金の運用が合意され、世界各国から7億ドル以上の拠出(2023年12月4日時点)が発表されるなど、健康に与える影響への対策の必要性が議論され、財源確保もなされました。継続性をもって毎年議論することが重要です。
COP29では議題の1つに「子どもへの教育」があります。気候変動や環境問題は対策に取り組んでから結果が出るまでにとても長い時間がかかります。また、スケールが大きく、誰が何をしたらいつどんなことが起こるのか実感するのが難しい問題です。
長い時間軸でみたときに、未来を担う子どもたちが気候変動と健康の関係を理解することが大切ですし、我々大人は子どもたちの未来に対する責任があります。そのために「教育」という議題が入っていることはとても素晴らしいと思っています。
フランス・パリで2015年に開催されたCOP21で採択された新たな国際的枠組み「パリ協定」では、長期目標として「産業革命前と比較して気温上昇を2℃より十分下方に抑えるとともに、1.5℃に抑える努力を継続する」ことなどが盛り込まれました。ところが、2023年の世界平均気温は1.48℃高くなったことが観測され、努力目標に0.02℃まで切迫しています。そのため気候変動を止めることに悲観的な意見も見受けられます。しかし、私自身は世界中の皆で取り組めば、解決への道を拓くことができると考えています。
実際に、20世紀末には、フロンなどが原因で北極や南極上空のオゾン層が破壊される「オゾンホール」の問題ありました。しかし、国際的な取り組みでフロンガスの規制が行われ、現在オゾンホールは縮小傾向にあるとされています。
オプティミスティックでなければ、経営はできないと思っています。私自身、会社経営を担う立場からも、成功を信じて自社にできる対策を進めたいと考えています。
我々は人、社会、地球の健康を目指すことを掲げ、脱炭素目標「アンビション・ゼロカーボン」を掲げて各国で取り組みを加速させています。
Scope1&2として2026年までに自社事業による温室効果ガス排出量を2015年比で98%削減します。Scope3として、2030年までにカーボンネガティブを達成するとともに、バリューチェーン(企業における価値創造のための一連の流れ)全体で2019年比で50%削減します。さらに、2045年までにバリューチェーン全体で排出量を同90%削減するとともに、残り約10%未満の温室効果ガスの排出も世界中に2億本の木を植樹することで除去し、ネットゼロ(排出量から吸収量や除去量を差し引いて「正味ゼロ」とする考え方)を目指します。
アストラゼネカの国内における具体的な温室効果ガス削減の活動として、1つ目は電気自動車(EV)への切り替えをしています。製薬企業には医療機関を訪問して医師と情報交換するMR(医療情報担当者)がいます。彼らの使う社用営業車が全国に約2000台あり、うち約70%はすでにEVに切り替わりました。
2つ目は国内拠点で使用する電力の再生可能エネルギーへの切り替えです。国内の拠点は、東京と大阪のオフィス、滋賀県米原市の工場の3拠点のみですが、2022年末までに、使用する電気を全て再生可能エネルギーに切り替えました。米原工場ではソーラーパネルも利用し、工場の電力の約20%分の電気を賄っています。
3つ目に、Scope3関連で“移動のグリーン化”を進めています。JR東海、JR西日本と共に、国内初のCO2排出量実質ゼロの新幹線出張を実現しました。アストラゼネカの従業員の新幹線移動にかかる電力を再生可能エネルギーで調達するというスキームで、2024年4月から、パイロット的にアストラゼネカが最初に導入しました。導入企業が拡大される中で、10月には、JR九州を加えたJR3社がサービス名として「グリーンEX」を発表し、対象が九州エリアにも拡大されました。
また、アストラゼネカにはカーボンバジェットという考えが出張に取り入れられています。飛行機による移動はより多くの温室効果ガスを排出します。アストラゼネカは、各国の経営陣に対して、飛行機利用で排出される温室効果ガスの総量を大幅に削減する目標を立て、その達成を業績評価基準の1つにしています。私は日本の事業責任者として、トラベルポリシーを数年前から変えて国内の全従業員の飛行機利用もコントロールしています。
業界全体を見ると、ヘルスケア産業の温室効果ガス排出量は産業全体の5~6%程度と報告されています。排出量が多そうなイメージがある航空産業や海運産業が2%程度です。ヘルスケア産業は、患者さんが治療後もフォローアップを受けるなどの間にさまざまな医療資材が使われ、バリューチェーンも長くて大きいため排出量も多くなってしまいます。
こうした中、ヘルスケア産業の一部である製薬産業は、医薬品を製造する過程で多くのエネルギーを利用します。医薬品の製造が集中する中国やインドにおいて、工場のエネルギー調達を再生可能エネルギーに切り替える取り組みを複数の製薬会社と共同して進め、ヘルスケアシステム全体の脱炭素化を図っています。
我々は、国内でしっかりと気候変動対策のアクションがとられていくような取り組みを続けています。その1つとして、2025年4月から開催される大阪・関西万博のシグネチャーパビリオン「Better Co-Being」のブロンズパートナーとして、そして英国パビリオンのオフィシャルスポンサーとして協賛をしています。万博を気候変動という世界共通の課題を議論する舞台とし、具体的なソリューションやアイディアについて意見交換することで、気候変動対策を前進させていきたいと考えています。
一般の方にもご理解いただけるように、アストラゼネカがどのようにサイエンスやイノベーションを駆使し人々の健康や命、そして環境保全に貢献してきたか、そして私たちが目指す未来の医療の形を映像で紹介することも計画しています。こうした展示は、将来を担う子どもたちの教育にもつながると信じています。
最後に私個人が気候変動について思っていることと取り組みについてお話しします。
私には生まれたばかりの赤ん坊がいます。親として、自分の子どもに将来健康な人生を歩める住みやすい地球を残すことが責務だと、改めて感じています。私は滋賀県の出身で、子どものころは豊かな自然の中を駆け回り、琵琶湖で水遊びをして育ちました。ところが最近の夏はあまりに暑く、熱中症を避けるため「不要不急の外出を避けるように」と注意されて外遊びも自由にできません。こうした事態に心を痛めています。
気候変動や地球環境は、問題の大きさから、自分事として考えることは難しいのかもしれません。しかし、自分の家族や子どもという身近な存在を通して地球温暖化問題を捉えていくことで、自分自身が責任を持った行動をしなければならないことに気付くことができると思います。
一人ひとりの小さな行動が、やがて大きな力となって、気候変動問題の解決につながっていくと願っています。
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