古代中国から日本に伝来し、独自の発展を遂げた「漢方」。明治維新の波にのまれ医学としての存続が危ぶまれた時代もありましたが、現在は医療用漢方製剤として数多く承認され、患者さんの治療に役立てられています。1893年に創業し日本の漢方の歴史を支え見つめてきた株式会社ツムラは、漢方製剤の製造と販売に力を注ぐかたわら、漢方製剤の処方機会拡大に向けた新たな可能性にも挑戦し続けています。代表取締役社長CEO加藤照和氏にその進化と思いを伺いました。
国内の医療用医薬品の市場規模は10兆円ほど(2020年データ)で、この規模は2015年頃から変わっていません。医療用医薬品のうち漢方の割合は1.6%と数字としては大きくありませんが、数量ベースで見ると医療用漢方製剤の市場は2010年から2020年にかけて拡大し続けています。
漢方製剤市場拡大の背景にはいくつかの要因があります。中でも高齢化の加速は特筆すべきポイントでしょう。高齢になると複数の病気を抱える可能性があります。そのときに臓器別・診療科別の治療をしようとすると薬の数が増え、いわゆるポリファーマシー(多剤併用:臨床的に必要以上の薬が投与、あるいは処方されている状態)の問題が起こります。しかし漢方製剤は多成分系医薬品で、1剤に複数の効果・効能があるため、複数の病気を抱えている方の治療に対応できる場合があります。このことから、高齢者疾患領域における漢方治療が進んできているようです。
また、女性の就業率の上昇も要因の1つと考えられます。総務省「労働力調査」によれば、女性の労働力人口は1985年に2367万人(総数に占める割合:39.7%)でしたが、2017年には2937万人(同:43.7%)と上昇しました。また年齢階級別に見ても、2007年から2017年にかけてほぼ全ての年代で働いている方の割合が上昇しています。
女性は一生のうちで体の状態が変化しやすく、さらにストレス社会の影響も相まって心身の症状を抱えてしまうことがあります。たとえば、冷え性や更年期障害(のぼせ、不眠、イライラ)、血の道症(月経・妊娠・出産など女性のホルモンの変動に伴って現れる心身の症状)といった症状にお困りの方が多くいらっしゃいます。そのような心身のさまざまな悩みに対して漢方製剤をお役立ていただけているようです。
漢方製剤の原料は植物を中心とした天然物由来の「生薬」です。天然物は基原種の違いや成分のバラツキがあることから、製造するうえで難しいのは医薬品としての品質を均質に保つことです。たとえば、ワインの出来は原料であるブドウの品種や質、作り手、その年の降水量や日照時間などに左右されます。植物を中心とした生薬も全く同じことが当てはまります。このような状況でいかに均質性を担保するかが、漢方製剤の製造における最大の課題といっても過言ではないでしょう。
この課題を踏まえてツムラは、常に一定の品質を有する漢方製剤を製造するために、生薬の契約栽培化に取り組み、生薬産地の固定化や栽培方法の指導等を行うことによりツムラの品質基準に合格した生薬だけを使用し、原料である生薬のバラツキを制御しています。また、原料生薬の産地を複線化することで気候変動や天災などによる影響を最小限に抑えるよう努め、生薬生産者とできるだけ長期で契約し、安定的に調達できる体制を整備しています。
また、漢方製剤の製造工程では、生薬をロット毎に含有成分のデータを蓄積・管理し、さらなる成分バランスの最適化を可能にしています。独自の製造ラインの開発で、抽出したエキスの成分変化を最小限に抑え製剤化し、最終製品である漢方製剤の均質性を実現しています。
原料生薬の産地の固定化および調達先の確保については、2代目・津村重舎の時代から40年ほどかけて中国との深い信頼関係を構築してきました。1976年に医療用漢方製剤が薬価収載される際、安定的な調達を実現するためには国相手の話し合いが必要だということで、中国の政府関係者に直談判しに行ったという記録が残っています。
ツムラは、漢方製剤市場拡大のための重点施策として▽高齢者関連領域▽がん領域(支持療法)▽女性関連領域の重点3領域に活動を集中させ、これらの領域において治療満足度が低い疾患に対する医療ニーズ等を重点課題として取り組んでいます。
まずは高齢化が進む日本で高齢の方特有の病気、特に複数の病気を抱えている状況などに対して漢方製剤が貢献できる可能性を追求すること。たとえば、フレイル(健常から要介護に移行する中間段階)の予防・改善に漢方製剤を活用する道筋が見えてきました。現在、平均寿命と健康寿命の差は男性が約9年、女性で約12年といわれています(2016年データ)。この差をいかに埋めるかが、今後の日本の大きな課題になるでしょう。
また、年々患者数が増加している認知症は、病気に伴う行動・心理症状(BPSD)が問題になるケースも多くあります。漢方製剤はBPSDに対して有効性を発揮し、ご本人やご家族・介護者の負担を軽減することが期待されます。
がん領域では、こちらのページでお話ししたように抗がん剤などのがん治療に伴う副作用を漢方薬が軽減することが分かってきました。現在は医療ニーズが高く新薬治療が難しい領域で、医療用漢方薬が特異的に効果を発揮する疾患にフォーカスしてエビデンスを構築する「育薬」を精力的に進めています。
さらに、女性の生涯就業率上昇に伴い、「健康的に働き続けたい」というニーズが高まっています。ライフステージの移行によるホルモンバランスの変化や乱れはさまざまな症状をもたらす場合があり、そのような状況に悩まれている方々の声にお応えする漢方製剤は今後ますます需要が高まるでしょう。
厚生労働省が循環器病対策推進基本計画を策定していることからも、高齢者心不全の予後管理等は大きな社会問題であると考えています。さまざまな心臓の病気の結果として起こりやすく、高齢の方は特に注意しなくてはならない心不全。その患者数は120万人ほどで、2030年には130万人にのぼると見込まれています。高齢化が進む日本では、患者数が爆発的に増加するいわゆる“心不全パンデミック”が近い将来起こるだろうと予測されています。
このようななかで、医療用漢方製剤で治療に適応するべく、大規模な研究を進める動きがあります。最近では循環器領域の講演会でも「心不全×漢方」領域が注目されています。今後、臨床上の有用性を裏付けるエビデンスの構築を進めていくことが急務です。
近年、さまざまな分野で進んでいるDX(デジタルトランスフォーメーション:デジタル技術による生活やビジネスの変容)。私たちは漢方バリューチェーン(原料生薬の栽培・調達、品質管理、漢方製剤の製造、販売と情報提供という一連の流れ)全体を通してDXが必要であると考えています。
具体的には、まず生薬栽培のデジタル化・自動化です。たとえば、生薬の種まき・雑草取り・摘芯(生長を促すために茎の先端の芽を摘み取ること)という育成の過程を、いかに人海戦術によらない形に変えていくかという発想があります。
また、品質管理の過程で発生する生薬の選別作業をAI(人工知能)や色彩選別などの技術を使って自動化するという可能性にも着目しています。ロボットによる工場の自動化はすでに完了していますので、さらなる進化として監視・トラブルシューティングの一部を自動化することを検討中です。
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