今、世界で活発化するデジタル推進。2020年のコロナ禍、デジタル化とデータ管理の進むドイツでは、オンライン申請から数日後という速さで助成金が銀行口座に振り込まれたようです。一方日本はというと、特別定額給付金の支給まで数カ月もの時間がかかりました。この例が象徴するように、日本は「デジタル後進国」ともいえる状況です。今後デジタル化が進むことでどのような社会が実現するのか――。宮田裕章先生(慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授)にお話を伺います。
デジタル化のもっとも重要なポイントは、これまで画一的であった社会保障サービスなどの提供を個別化でき、本当に必要な人に支援を届けられること。そして、多様性を考慮した対応が、より素早く、低コストで実現できるという点です。
私が最近、河野太郎・行政改革担当大臣と共に取り組んだのは「シングルペアレント(一人親世帯)の貧困問題」です。一人親世帯には多くの場合、「非正規雇用」という問題がついて回ります。そこへさらに子や親の「持病」といった要素が加わると、生活の苦しさは相当大きなものになります。それは単なる足し算の苦しみではなく、掛け算でのしかかってくるような苦しさです。ところが、現状のシステムではそれらのデータが別々に管理されており実態が把握しきれません。さらに、本人が申請しなければ支援が受けられない場合も多い。また、日本の生活保護システムでは一定以上の貯蓄が許されず、生活する力を失ってからようやく支援が始まるため、そこから再び自立した生活に戻ることが非常に難しいという問題があります。
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では、デジタル化と情報の活用が進むとどうなるのでしょうか。まず、貧困の原因となる「一人親家庭」「非正規雇用」「持病」などのデータを一元的に管理・把握することで、その家庭の苦しみに見合った適切な支援を行うことができます。さらに、貧困のトリガーとなる要素を察知し、その段階での介入が可能になります。つまり、事態が本格的に悪化する手前の段階で「貧困に陥らないように」ブッシュ型でサポートできるということです。貧困のトリガーとなり得る要素は、たとえば子どもの体重の増加が通常の成長曲線から外れてきた、学力が低下したといったことがあります。
今の日本のシステムは、“最大多数の最大幸福(できるだけ多くの人の幸せを追求する)”を基盤とし、平均的な生活像・マジョリティを前提として作られたものです。しかしこれでは「多様性」に配慮できない。今私たちが目指すべきは、マイノリティを含めて誰も取り残すことのない、多様性に配慮した社会システムではないでしょうか。このような理想があっても、これまではアナログなシステムでコストがかかり過ぎるため、個別対応が難しかったのです。しかし今後デジタル化が進めば、大幅なコスト増なく個別対応が可能となるでしょう。これまでなら「奇麗ごと」と言われてしまったことが現実的に目指せる状況にある。それは非常にポジティブな変化だと思います。
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今、世界では医療情報を含むデータの共有・活用を推進する動きがあり、グローバルスタンダードになりつつあります。たとえば米国は電子カルテの一部を患者自身が閲覧できるように進めており、中国では国家が管轄して個人データの管理・活用を行っています。
デジタル化やデータ活用という観点で、日本は後進国といえるでしょう。実際、デジタル機器を学校の授業で使う時間に関してはOECD(経済協力開発機構)加盟37カ国のうち日本が最下位、さらに、スイスの国際経営開発研究所(IMD)がまとめた「世界デジタル競争力ランキング(2020年データ)」では63カ国中27位と先進国の中で最低クラスでした。その背景には、高度経済成長期に大規模なインフラ整備が行われた名残が大きく、デジタル化改革の機動性を欠いていることがあります。いまだにFAXを使っているのも驚きです。その逆が中国で、いわゆる“スマホ時代”のインフラと国の成長がシンクロし、デジタル化が急激に進んでいるのです。
日本のみならず世界共通の課題としてあるのが、データが偏在し、活用できていないこと。つまり、これまではインターオペラビリティー(相互運用性)が考慮されていなかったのです。デジタル化への道筋として、本来はインターオペラビリティーを向上させるのが理想的です。しかしその段階に到達するにはまだ超えるべきハードルがあります。それは、データポータビリティー(特定のサービスなどに蓄積されている個人データを本人へ還元または他サービスなどへ移行できる仕組み)の確立です。このような中、世界では今データポータビリティーの確立が進められています。たとえば、EUでは2018年のGDPR(EU一般データ保護規則)の施行でデータポータビリティー権が定められました。
データポータビリティーに関する日本の取り組みの1つに「医療情報基本法」の制定に向けた動きがあります。これは、医療情報の利活用と個人情報の保護を両立させるための新たな法律です。本人の同意だけによらない形で透明性ある運用を行い、データを適切に活用できる社会の実現を目指しています。医療情報基本法は、今後日本がデジタル後進国を脱するうえで非常に重要な役割を担うでしょう。
ここでお伝えしたいのが、医療情報基本法はデータの共有を強要するものでも、人々の権利擁護(自分らしく生活する権利を守る仕組み)を弱めるものでもないということです。データを単純にシェアするのではなく、誰がどのような目的でどの範囲のデータを使うかなどを「利用」の面でコントロールし、運用の透明性を上げます。
医療情報の活用事例として、たとえばイスラエルでは国民の医療の電子データが生涯にわたって記録されており、スマートフォンで処方箋の手続きを行えたり、医療データの統計からリスクの高い病気に関する検査などを実施したりできるのです。これらは健康寿命の延伸や医療費の抑制にも役立つとされています。
日本では2017年から「データヘルス改革」の推進が行われています。改革の大まかなイメージは、バラバラに管理されているデータをつなげる、ほかのデータと紐付けて活用するというものです。改革は着々と進んでおり、厚生労働省の発表によると、2022年度中には▽本人や病院などが医療情報(手術履歴などの情報)を確認できる仕組み▽オンライン処方箋システム▽PCやスマートフォンで自分の医療情報(健康診断・検診のデータ)を本人が閲覧・活用できる仕組み――が運用開始する予定とのことです。
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2021年9月にはデジタル庁が始動する予定で、新たな時代のデジタルを再構築するためのリーダーシップが期待されています。もっとも重要なポイントは「デジタルによって目指す社会」を徹底的に考えること、そして「誰のために何を実現するのか」というニーズ志向を忘れないこと。デジタルはあくまでも手段でしかない。これはDX(デジタルトランスフォーメーション:ITの浸透が人々の生活をあらゆる生活でよりよい方向に変化させること)の本質でもあります。
これまではデータを独占して富・利益につなげるという方法がゴールデンスタンダードでした。しかし今、その時代は終わろうとしている。「Technology for Social Good(社会貢献のためのテクノロジー)」という視点なくして企業が個人データを利用することは難しくなってきているのです。
国は2019年のG20(金融世界経済に関する首脳会合)で「DFFT(データ・フリーフロー・ウィズ・トラスト」の推進に言及しました。DFFTは、消費者や企業の信頼を確保しつつ自由なデータ流通を促進することです。世界で進むデジタル化とデータ活用を踏まえて、日本は独自のあり方を模索しているところです。
今後日本では、医療情報の一部から徐々にデータ管理とデジタル化が進み、そしてあらゆる分野でデジタル化が発展していくでしょう。そうしてようやく、本当に必要な人に支援が届き、誰一人取り残されることのない社会が実現するのだと思います。
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