憂鬱(ゆううつ)なスギ花粉症の季節が間もなくやって来る。花粉症治療に携わる医師などは「花粉飛散が始まる2月上旬ごろから服薬を開始することで、本格的なシーズンの症状が和らぐことが期待できる」と早期の治療開始を呼びかけている。ただ、従来の薬では十分な効果が得られず「春先の3カ月ほどは仕事の生産性が落ちる」という重症患者も一定数いる。そうした重症花粉症の患者でも高い効果が期待できる抗体医薬が、2019年から使えるようになった。その作用や対象患者などについて、イーヘルスクリニック新宿院(東京都新宿区)の天野方一院長に聞いた。
「私は十数社で産業医もしていて、働く人を応援したいという気持ちを持っています。花粉症で仕事の生産性が落ちるなら、我慢せずに医療を使えば楽になり、仕事のパフォーマンスを上げられる可能性があることを多くの方に知ってもらいたいと思っています」と天野氏は強調する。
花粉症の薬は大きく分けて3つある。1つは、多くの方が使っている抗ヒスタミン薬や抗ロイコトリエン薬など従来の対症療法の薬。もう1つは、舌下免疫療法の薬。そしてもう1つが、2019年からスギ花粉症(季節性アレルギー性鼻炎)の治療薬としても承認された抗体医薬だ。
対症療法の薬は人によっては効果が限定的で、重症の花粉症では服薬してもくしゃみや鼻水、鼻づまり、目のかゆみなどから解放されないこともある。舌下免疫療法の薬は長期間の投与で“根治”を目指すものだが、花粉症の季節には使うことができない。
これらに対して、抗体医薬はより強力に花粉症の症状を抑え込むことが期待できる薬だ。日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー感染症学会がまとめた「鼻アレルギー診療ガイドライン2023年版」では、抗体医薬のオマリズマブ(抗IgE抗体製剤)について「抗ヒスタミン薬と鼻噴霧ステロイド薬の併用でも症状の残る患者に対して、鼻汁、鼻閉、流涙、眼のかゆみ、鼻の症状、眼の症状スコア、生活の質を改善する。……臨床試験での労働生産性及び生活障害のアンケートの結果より、重症以上のスギ花粉症患者の労働生産性の損失をほぼ1/3に減少させ、労働活動に関して実質的な利益をもたらす可能性があることが判明した」として、エビデンスの強さAで「実施することを強く推奨する」とされている。
イーヘルスクリニック新宿院でオマリズマブを投与した患者20人に「治療開始前の症状を10とした接種後の症状改善度」を尋ねたところ、11人が「2以下」と回答。改善度が半分に達しないとしたのは2人だけだった(グラフ参照)。
ただし、この薬は誰でも使えるわけではない。「重症または最重症*の季節性アレルギー性鼻炎(花粉症)で前シーズンでも重症な症状があった」「スギ花粉のアレルギー検査の結果が陽性だった」ことが保険適用の条件となっている。
*アレルギー性鼻炎症状の重症度分類で「重症以上」は、1日の平均くしゃみ発作または鼻をかむ回数が11回以上、もしくは鼻閉(鼻づまり)の程度が「1日中完全につまっている」あるいは「鼻閉が非常に強く口呼吸が1日のうちかなりの時間ある」とされる(鼻アレルギー診療ガイドライン2023年版より)。
ここで、花粉症の症状がどのようなメカニズムで起こるか、簡単に振り返っておく。
ヒトの体に病原体などの「異物(抗原)」が入ってくると、免疫のはたらきによって排除しようとする。免疫システムが花粉を抗原と認識するようになると、排除するためにIgEという抗体が産生され、免疫細胞の一種「マスト細胞」と結合。そこに花粉が“付着”すると炎症を引き起こす化学物質であるヒスタミンやロイコトリエンなどが放出され、アレルギー反応が起こる。
従来の代表的な治療薬は、放出されたヒスタミンやロイコトリエンなどのはたらきを抑えることで症状の緩和を目指すものだ。これに対して抗IgE抗体製剤は、花粉の侵入によって産生されたIgEに結合して、IgEとマスト細胞の結合を妨げる。つまり、アレルギー反応を引き起こす炎症性化学物質の放出を「元から絶つ」作用により発症を抑制する。
一方、薬がなくとも花粉症の発症を抑え込むよう体質の改善を目指すのが「アレルゲン免疫療法」だ。アレルギーの原因物質「アレルゲン」を少しずつ投与し、IgEとアレルゲンの結合を妨げるIgGという抗体が増加するなど免疫反応が変化することでアレルギー症状が和らぐことを期待する。日本アレルギー学会の「スギ花粉症におけるアレルゲン免疫療法の手引き」によると、「年単位で適切に行った場合、効果が長期間持続し、薬物の使用量を減らすことができる」とされる。以前は注射によってアレルゲンを投与していたが、舌の裏で溶かす錠剤が登場したことで、治療のハードルが下がった。舌下免疫療法はこの錠剤を使って治療を行う。
ただし、アレルゲン免疫療法はスギ花粉が飛散するこれからの時期は、アレルゲンに対する体の反応性が過敏になっているため新たに開始することはできない。治療開始は早くともスギやヒノキなど春の花粉飛散時期が終わる6月ごろからとなるため、治療を希望する場合でも、少なくとも今シーズンは別の対策・治療が必要になる。
「毎年、ひどい花粉症に悩まされているので、オマリズマブを試してみたい」という方もいるかもしれないが、投与までにはある程度時間がかかる。
「初めて、あるいは前シーズンに投与を受けていない場合、最低3回の受診が必要です。また、初診から投与までは原則として1カ月以上かかると考えてください」と天野氏。
投与までには
――という段階を経ることが必要という。血液検査の結果が出るまで1週間程度、抗ヒスタミン薬などの効果確認に1カ月程度かかる。花粉の飛散が始まらないと従来の薬の効果が確認できないため、目安としては1月中旬に初診、オマリズマブの最初の投与が見込めるのは3月ごろになる。
高い効果が期待できるが、ネックは薬価が高いことだ。オマリズマブは「バイオ医薬品」の一種。主に化学合成される従来薬とは製造工程が異なり、現状ではオマリズマブに限らずバイオ医薬品は全般に薬価が高くなっている。
オマリズマブは血中IgE濃度と体重によって投与量と投与間隔が決まる。投与間隔は2週間ごと、または4週間ごと。薬剤費の自己負担額は3割負担の場合で1カ月あたり約4500~7万円となる。
「ほとんどの方は1回あたりの薬剤費自己負担額が約9000~1万7500円、4週間に1度投与の範囲に収まります。初診から検査を経て3月初めに1回目、4週間後にもう1回の投与で、ゴールデンウイークのころまで効果が続くことが見込まれます。1シーズンの薬剤費自己負担額のめどは約2万~3万5000円になります。花粉症のつらさから解放され、通常どおりのパフォーマンスが出せるなら、これぐらいの負担は問題ないという患者さんも多くいます」と天野氏は説明する。
花粉症の社会・経済的な損失は甚大だ。ニッセイ基礎研究所が2021年3月に実施した「被用者の働き方と健康に関する調査」で「花粉症の症状があるときの仕事の効率は、症状がない時と比べて平均63%程度」との結果が出ている。また、パフォーマンスの低下によって1日あたり2215億円の経済損失が生じるとの試算をパナソニックが2020年に公表した。政府はこうした社会問題解決のため、2023年4月から「花粉症に関する関係閣僚会議」を開催し、花粉症対策初期集中対応パッケージを策定するなど、国を挙げて対策に取り組んでいる。
オマリズマブは花粉症の根治が期待できる薬ではなく、毎シーズン、一定期間ごとの投与が必要だ。
「『花粉症はつらいけれど、治らないので仕方がない。2、3カ月我慢すればよい』と、多くの方が思っているかもしれませんが、そんなことはないのです。今までの薬ではつらさがなくならないと思ったら注射もあります。注射で生活の質や生産性が向上したら、次の年に向けて舌下免疫療法を始め、スギ花粉の悩みから解放されることを目指すといった行動変容を起こしてくれる患者さんがいたらよいと思っています」と、天野氏は期待する。
一方、重症花粉症の治療で天野氏が懸念しているのは、自由診療によるステロイド注射を選択する患者がいることだという。「花粉症に対してステロイドの効果は確かに高いのですが、一定量以上のステロイドは副作用が懸念されます。ステロイドは花粉によるアレルギーだけでなく免疫機能全体を抑え込んでしまいます。だから効果が高いのですが、もっと重要な免疫本来の『病気を防ぐ』というはたらきも低下させてしまいます。オマリズマブはピンポイントで作用します。同じ注射なら、きちんと承認されて保険もきく薬を選んだほうがよいと思います」
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