年間1万1000人ほどが罹患し、2900人以上が命を落とす子宮頸がん(2019年データ)。以前は発症のピークが40~50歳代でしたが、近年は20~30歳代の女性にも増加しています。子育て世代の母親が家族を残して亡くなるケースが多いことから「マザーキラー」とも呼ばれる子宮頸がんは、原因の95%以上がヒトパピローマウイルス(HPV)の感染によるものです。HPVの感染を予防する「HPVワクチン」は2013年に小学校6年~高校1年の女子を対象に定期接種化(公費助成あり)された一方、安全性を確認するために一時的に積極的勧奨(自治体から対象者に個別に接種をすすめること)が差し控えられました。その後安全性が確認され、厚生労働省の専門部会は2021年11月12日、積極的勧奨を再開する方針を了承。国内の子宮頸がんリスクの抑制に希望が見えてきました。再開で具体的に何が変わるのか、対象者や親はどのように行動したらよいのかを稲葉可奈子先生(関東中央病院産婦人科医長)に伺います。
子宮頸がんを予防するHPVワクチンは、その有効性や副反応に関する検証が行われた後に2010年度から公費助成が始まり、2013年4月から定期接種がスタートしました。しかしその直後、副反応を疑う症状(接種部位以外で持続する疼痛など)に関する報道が流れ、それらの症状がワクチンによる副反応なのかを調査するために同年6月に積極的勧奨を一時差し控えるようになったという経緯があります*。積極的勧奨の差し控えにより、自治体から対象者への通知がほぼ行われなくなり、対象年齢の女子やその親がHPVワクチン接種の適切な情報を得ることすらも難しくなってしまいました。
その結果、公費助成の対象だった1994~1999年度に生まれた女子のHPVワクチン接種率が約70%であったのに対し、2002年度以降に生まれた女子では1%未満という非常に低い接種率に低下。2013年から現在までの「空白の8年」によって、その世代の子どもたちが本来予防できたはずの子宮頸がんにかかるリスクが大きく上昇してしまうのです。
*「積極的勧奨の差し控え」と「定期接種の中止」は異なる。HPVワクチンに関しては定期接種であることに変わりないが、積極的勧奨の差し控えにより自治体からの通知や情報提供が行われなくなった。つまり、対象者や親がかなり能動的に行動しなければ接種の機会を持てない状況だった。
副反応疑いの症状がみられた後、安全性を確認するために一時的に積極的勧奨を差し控えることはもちろん必要です。ただ、その後の検証などによってエビデンス(科学的根拠)が蓄積されていたにもかかわらず、8年にわたり積極的勧奨を差し控え続けていた点は解せません。この点については、私を含む産婦人科医など医療者がたびたび声を上げてきたのはもちろん、日本産科婦人科学会などアカデミックな団体も「積極的勧奨の再開を求める声明」を発表するなどしてきました。
社会の風向きがようやく変わってきたのが2020年頃のことです。地道な活動が少しずつ実り、世の中の雰囲気が変わったと同時にメディアの報道の仕方も変化しました。2021年8月には「HPVワクチンの積極的な接種勧奨の再開を求める署名活動」で5万8246人分の署名が集まり、田村憲久厚生労働大臣(当時)にその声を届けました。このような「民意の力」が、今回の積極的勧奨の再開を後押ししたと確信しています。
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HPVワクチンの積極的勧奨が再開される意義はとても大きいです。というのも、どんなに医療者や学会、再開を願う一人ひとりが地道に運動を続けたとしても、結局のところそれだけでは市民の不安は拭いきれない場面があり、自治体にとっても「国のお墨付き」がないなかで自発的に対象者へ通知を送ることはハードルが高かったからです。
また、メディア関係者の中にたとえ賛同してくれる方がいても「積極的勧奨が差し控えられているなかでHPVワクチンをどこまでポジティブに報道してよいのか分からない」と迷う場合が多かったと聞いています。しかし、再開によって状況が大きく変わっていくでしょう。
積極的勧奨の再開で具体的に何が変わるかというと、自治体から対象者と保護者に対して接種を促す通知および接種券の郵送が全面的に再開されます。また市町村の広報誌やポスター、インターネットなどを通じた情報提供も行われるようになります。HPVワクチンの場合、一般的には標準的接種年齢(中学1年相当)を迎える前に個別に通知されるはずです。
また最近は、小学校でがん教育が始まりました。これは国民の基礎的教養としてがんとがん患者さんに関する正しい知識を身につけることが目的ですから、その中で「子宮頸がんはHPVワクチンによって予防できる」という話が子どもたちに伝わることを期待しています。
HPVワクチンはすでに安全性と有効性が確認されています。乳幼児期に予防接種を行うのと同じ感覚で、怖がらずに接種いただけたらと思います。もし心配なことがあれば、かかりつけ医や接種を受ける医療機関にご相談いただき、納得してから接種を受けてほしいです。なお、定期接種の対象年齢は高校1年までという期限があります。全3回の接種に4~6カ月以上かかるので、無料で接種を完了するためには遅くとも11月中には初回を接種しましょう。接種の機会を逃さないようにご留意ください。
新型コロナウイルスワクチンで副反応が話題に上がりましたが、それと同じようにHPVワクチンでも一定の割合で注射部位のかゆみや痛み、赤みなどが現れる可能性があることを理解して接種に臨むことも大切です。厚生労働省のホームページには副反応などの詳しい情報が掲載されていますので、ご覧ください。
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空白の8年間に対象年齢だった女子へのキャッチアップ接種の公費助成も現在検討が進められています。早期のキャッチアップ接種がなぜ重要かというと、17歳未満でHPVワクチンを接種すると子宮頸がんの発生率を88%減少させることが分かっているからです(17~30歳の場合は53%減少)。これは厳密に17歳未満という数字が重要というよりも、考え方としては「セクシャルデビュー(性交渉開始)前に接種すること」の意味が大きいです。なお、すでに性交渉の経験があったとしても今後のHPV感染を予防することはできるため、HPVワクチン接種による予防効果は期待できます。
オーストラリアや英国、米国、北欧などはHPVワクチンを早くから国のプログラムとして導入し、HPVの感染や前がん病変(異形成と呼ばれる子宮頸がんの前段階)の発生が低下しています。特にワクチン接種と検診の両輪で子宮頸がんの克服にもっとも成功しているオーストラリアでは、世界に先駆けて2028年には新たな子宮頸がん患者はほぼいなくなると見込まれています。
HPVワクチンへの「反ワクチン運動」は北欧の国々などでも見られましたが、政府が主体となって毅然と即座に対応し、民間団体や学会などとも協力してエビデンスに基づいた情報を発信し続けました。それによりワクチン接種率の大幅な低下を防ぎ、接種率は回復しました。日本のように接種率が1%ほどにまで低下するというのは決して起こってはならないことで、今後のV字回復に大きな期待が集まっています。
若くして子宮を失う危険性があり、さらには命を脅かす子宮頸がん。適切な予防接種と検診で予防が可能な病気であるのに、それが十分に認知も活用もされていない状況を、私は産婦人科医として見過ごすことができませんでした。
さまざまな障壁がありましたが、多くの方が「子宮頸がんで命を落とす人を減らしたい」という思いに賛同・協力してくださり、本当に感謝しています。そして、とうとう積極的勧奨が再開しました。対象の方と親御さんは、自治体からの通知や提供される情報を確認し、接種の機会を大いに活用していただきたいです。
*11月30日まで、HPVとHPVワクチンに関する正しい情報を広く伝えるためのクラウドファンディングを行っています。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。