外科医の手技や知識の獲得において、従来は先輩医師から後輩への厳しい指導が成長の一翼を担い、外科は“徒弟制”の要素が強いといわれてきた。しかし、時代の移り変わりとともに、この従来型の指導が後輩医師からパワハラと捉えられる可能性がある。このような背景のもと、2024年8月1~2日、福岡市で開催された第57回日本胸部外科学会九州地方会総会において、JATS-NEXT九州支部のメンバーが「現代の外科医が直面する指導とハラスメントの境界」と題したセッションを企画し、開催。産業医でもあり、福岡産業保健総合支援センター産業保健相談員、亀田高志氏が、パワハラが発生しないようにするための対応策や、パワハラと思われる事案が発生した際の対処法について、一般的な職場にも適用できる具体的な講演を行った。
この講演は日本胸部外科学会の人材育成を目的に設置された委員会「JATS-NEXT」の九州支部のメンバーが、世代間の「指導」と「ハラスメント」の解釈の相違を認識し、よりよい職場環境づくりのアプローチを模索するため企画したものである。
亀田氏の講演に先立ち、同学会九州地方会の会員を対象に実施した現場の医師の実感に関するアンケートの結果についてJATS-NEXTの大薗慶吾座長が紹介・解説した。
「指導の名のもとにしたパワハラを見聞きしたことがありますか」の問いに対し、約8割がパワハラが「ある」もしくは「あったと思う」と回答。また、「内科系と比較して外科系はパワハラが多いと思いますか」との問いには約6割が「そう思う」「ややそう思う」とした。
さらに、卒後10年目以上の指導者・先輩世代に対する「現在の研修医や専攻医は甘やかされていると感じますか」との問いに対しては、約4分の3が「そう思う」「ややそう思う」と回答。「パワハラを気にして、指導をしづらいと感じたことはありますか」との問いに対しては約6割が「そう思う」「ややそう思う」と答えた。
「あなたの指導がパワハラと捉えられたことはありますか」との問いに対し、卒後10年目以上の医師の約7割が「思わない」「あまり思わない」と回答した。一方で、指導を受ける立場の卒後10年未満の医師は、「指導医または上司からパワハラを受けたことはありますか」との問いに対し8割以上が「ある」「あったと思う」と回答。指導する側とされる側で認識に大きな差があることが浮き彫りになった。
アンケートは1012人を対象に実施し、214人が回答した。
こうした調査結果を受けて、亀田氏が登壇し(1)上述のアンケートから自由記述のコメントを検討して現状を確認(2)パワハラの定義と職場における実態を再確認(3)指導における具体的な留意事項とパワハラ被害を受けた場合の対処――について講演した。
アンケートのフリーコメントではまず、指導者側が「パワハラと捉えられたことがある」と感じた具体例がいくつか紹介された。たとえば、▽患者さんへの治療が遅れ、弊害が出たため少し厳しく指導したら○○センター(医療施設内の相談機関)にパワハラだと言われた▽高難易度手術の執刀機会がトレイニー(指導を受ける側)にとっては負担だった▽若手外科医が執刀した患者さんに重大な合併症が発生した直後にプライベートの用事を優先していたため、責任の在り方を指導した際、若手からは権利を主張する声が強かった――などの事例が挙げられた。
また、指導者側が指導する際に以前より意識していることとして、▽ストレートには言えなくなったと感じる▽できるだけ1対1では指導しない▽ハラスメントにならないか留意して、無難なことしか伝えていない▽指導の効果よりもハラスメントにならないことを重視▽訴えられないようにビクビクしている――といったアンケート結果が紹介されていた。
一方、卒後10年未満の指導を受ける側からは、約86%が▽威圧的な言動や態度の表現▽侮辱や軽蔑的な言葉の使用▽職場内でのうわさや陰口――などのパワハラを指導医や上司から受けたことがある、と回答。うち9割以上は「ハラスメントを受けたが耐えた」とした。亀田氏は「ハラスメントを受けた人はどうしてよいか分からない状態で、まず耐えるというのが普通の反応です」と解説した。
「指導」と「パワハラ」の境界については▽愛情の有無▽本人たちの関係次第▽育てようとする意思の有無▽こちらが指導と思っていても、パワハラと捉えられればパワハラ。境界はない▽指導される側の性格ややる気などを踏まえたうえでの、個々に合った“オーダーメイド指導”が必要になっていると感じる――といった意見が出された。
「どうすればパワハラをなくせるか」との質問には▽意識改革と教育▽システムの構築▽職場環境の改善▽世代交代とリーダーシップ――といったアンケート結果が紹介された。
アンケート結果を紹介したのち、あらためて、「パワーハラスメント」とは「労働施策総合推進法(パワハラ防止法)」で明示されたと解説し、(1)優越的な関係を背景とした言動であって(2)業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより(3)労働者の就業環境が害されるもの――であり、上記3要素を満たすもの、との定義を説明。(1)身体的な攻撃(2)精神的な攻撃(3)人間関係の切り離し(4)過大な要求(5)過少な要求(6)個の侵害――という代表的な言動の類型について何がパワハラに該当し、何がしないかの具体例を明示した。
そして、▽パワハラによる心身への影響にはどのようなものがあるか▽パワハラ行為を受けた後の被害者の行動▽被害者が専門家への相談を拒む背景▽勤務先の対応や勤務先によるハラスメントの認定▽民事裁判にまで発展する場合の流れ▽職場側の関係者にすすめている、事案への対応における留意事項――などについて具体例を交えながら説明した。
最後に、「指導における具体的な留意事項と被害を受けた場合の対処」について解説した。
指導する側には▽親・親族のようなスタンス▽部下が間違っていると決めつけない。罰しない▽「言わなくても分かる」とは考えない――という3つのマインドセットが必要であり、指導の際には▽違いを受容する▽過った反応はハラスメントになりやすいことに注意する▽コミュニケーションを工夫し適切な対応をする――という3つのアクションが求められる。医学教育の中では対患者・家族だけでなく今後は医局内での上下関係に特化したコミュニケーションの教育も重要になると述べた。
現在、指導を受ける立場の卒後10年未満の医師の多くは1996年以降生まれの「Z世代」である。この世代はデジタルネイティブと呼ばれ、他者に勝つことよりも自己実現や社会貢献に対する欲求が強い、と定義されている。そしてこの世代は▽“就社意識”が前世代よりも薄い▽転職ビジネスが盛んな時代に就職を迎えている▽外面的な価値観より内面的な気持ちを大切にする▽SNSなどの情報により実態に即した情報に触れやすい――こういった要素が背景となり、離職率が高まっていると説明した。
若手とのコミュニケーションには「傾聴」が重要だと指摘し、相手の話を否定せずに向き合い、感情を感じ取り、言いたいことを言えているかをきちんと確認することに留意しながら、相手に関心を持って話を聴いているという姿勢を示し、最後まで話を聴き、声色や表情も重要なメッセージと意識する――など傾聴実践のコツを伝授した。
ハラスメント被害を受けた人は、メンタルヘルス不調に陥り、身体にも影響が及び最終的に退職する可能性が高い。「人材の確保はこれからどの医療機関でも問題になってくると予想されるため注意が必要だ」と亀田氏は警告した。
被害を受けた場合のセルフケアとして(1)ストレス要因となっている加害者から離れる(2)ストレスを和らげる適切な対処を行う(3)家族・友人など支援者を確保し相談する(4)心身の不調を感じたら自身で対処するだけでなく、専門家に相談する(5)専門家の診断・指導に従い、必要な場合は療養してダメージから立ち直る――といったステップを推奨していた。
また、身近にハラスメント被害者がいる場合は▽手を差し伸べる▽安全と安心を確保▽情報収集を支援▽現実的な問題解決の支援▽周囲の人々とのかかわりを援助▽対処に役立つ情報提供▽専門家への紹介・情報提供――などが心理的応急処置のポイントと説明した。中でも「味方だと伝え手を差し伸べる」ことがもっとも重要と強調された。
講演の後には、本学術総会大会長含め、指導者側の医師から多くの反響、質問があり、関心度の高さがうかがわれた。
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