新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の治療薬として2021年7月に特例承認された抗体カクテル医薬「カシリビマブおよびイムデビマブ」は、11月に発症抑制薬として適応追加の承認を受けました。私たちはワクチンに加えてまた1つ、COVID-19に対抗する手段を手にすることができたことになります。この薬を開発・販売する中外製薬の奥田修社長CEOに、日本での導入がスムーズに進んだ背景、同社が対COVID-19で果たした役割などについてお聞きしました。
抗体カクテル医薬は、まずCOVID-19の感染症状が現れてから7日以内の軽症と中等症1までへの適応をとり、その後2021年11月に濃厚接触者に発症抑制を目的とした投与ができるようになりました。従来の静脈内投与(点滴)に加え、皮下投与(注射)での使用も同時に可能となりました。
COVID-19が1年半以上続いて国内の感染第5波に差し掛かった中での承認となり、患者さんの重症化を防ぎ、医療体制ひっ迫の軽減に貢献できたと考えています。こうした社会貢献度の高い薬を提供できることを、本当にうれしく思います。
抗体カクテル医薬はアメリカのリジェネロン・ファーマシューティカルズ(以下「リジェネロン」)が創製した、2つの抗体を一緒に投与する薬です。リジェネロンはスイスのロシュと協働し、アメリカ以外ではロシュが開発・販売するという契約を結びました。そしてロシュと中外製薬の戦略的アライアンスによって、日本では中外製薬がロシュの薬を開発・販売するにあたり優先交渉権を持っており、ロナプリーブのライセンス契約を結びました。
2020年12月にロシュから導入して2021年6月29日に申請、7月19日には特例承認に至りました。3週間という大変なスピードで日本の患者さんにこの薬をお届けできるようになったのは、我々の努力でなく、厚生労働省をはじめとする政府との連携、流通・医療機関など多くの方々の協力を得られたからこそだと思っています。
残念ながら、現在各国で感染が拡大するオミクロン株への活性の低下が報告されましたが、抗体カクテル医薬はデルタ株をはじめとするこれまでの主な変異株に対し、中和活性を保持することが非臨床試験で確認されています。今後も変異株の動向を注視しつつ、抗体カクテル医薬を必要とされる方にお届けできるよう対応していきます。
中外製薬は以前から抗体医薬に強く、その歴史は30年ほどさかのぼります。
1980年代にアメリカでバイオテクノロジーを使った創薬が行われるようになりました。中外製薬も同時期にバイオ医薬品の創薬へ挑戦し、エリスロポエチン製剤やG-CSF製剤を開発・発売しました(編注:エリスロポエチンは赤血球産生を促す造血因子の1つ、G-CSFは白血球の一種である好中球産生を促す因子の1つ)。このころから抗体医薬の基礎研究を行っており、1980年代の末ごろから、さまざまな研究開発をする中で次の方向性として抗体医薬品の創薬に取り組んできました。
そうした中でロシュと2001年に戦略的アライアンスを締結しました。このアライアンスは、日本では中外製薬がロシュの薬を開発・販売する優先交渉権を持ち、逆に中外製薬が創製した薬についてはロシュが海外販売における優先交渉権を持ちます。
この戦略的アライアンスが非常にうまく動いています。中外製薬は、ロシュの医薬品を日本で開発・販売することで安定的な収益が得られ、それを研究開発に投資することができます。また、中外製薬はバイオや抗体医薬の素地を持っていたので、それを強化してできた自分たちの薬をアライアンスによって海外で販売することができます。この「海外で販売する」ということに関しては、自前でやろうとすると多大なリソースの投入が必要になります。そこをロシュに任せられて利益も返ってくるという「Win-Winの関係」ができて好循環していくことで、中外製薬のバイオ、抗体医薬の技術がどんどん進化していったという経緯があります。
COVID-19関連ではもう1つ、トシリズマブが重要な役割を果たしています。これは中外製薬が創製した日本発の初めての抗体医薬で、IL-6という炎症に関わるサイトカイン(編注:細胞から分泌される低分子タンパク質)を阻害するはたらきがあります。2005年にキャッスルマン病という希少疾患への使用が承認され、その後関節リウマチにも適応が広がって全世界100カ国以上で使われています。
この薬がCOVID-19の重症肺炎に効果があるかもしれないという報告が2020年2月ごろに中国から届き、すぐにパートナーのロシュと協力して臨床試験を開始しました。当初はいい結果が出たり出なかったりでしたが、最終的には自分たちで実施した臨床試験のほか、イギリス中心で広く行われた医師主導治験の結果を踏まえてアメリカの食品医薬品局(FDA)も2021年6月に緊急使用許可を出し、その後これらの試験を含むいくつもの国で行われた臨床試験・医師主導治験によるメタアナリシス(編注:複数の研究結果を統合して分析する手法)の結果から、WHO(世界保健機関)がトシリズマブを推奨するという状況になっています。
トシリズマブについては、COVID-19の拡大が始まったころから需要の伸びが予測されたため、中外製薬の工場では生産を最大にするほか、ロシュ、ジェネンテック(米国にあるロシュの子会社)と協力して製剤化を実施する場所を増やしたり、CMO(医薬品製造受託機関)の追加を検討したりして製造キャパシティーを強化し、供給体制を整えるという努力も続けてきました。
COVID-19は感染、発症、軽症から中等症、重症――と、病態が変わります。それに対して、予防のためのワクチンがまずベースにあり、その後に抗体カクテル薬や経口薬、さらに暴走する炎症を抑止・攻撃するステロイドやトシリズマブと、病態ごとに適した薬が必要になります。
ワクチンの効果は6カ月程度継続するといわれており、その後の持続期間については検証が必要で、追加接種が有効とみられています。また、ワクチンが打てない人、抗がん剤治療や関節リウマチなどで免疫抑制剤を使うなどさまざまな原因で打っても抗体ができにくい人、さらにはご自分の意思でワクチンを打たない人もいます。こうした人たちには抗体カクテル薬による発症抑制が引き続き有効でしょう。治療薬も複数出ています。利便性の面では飲み薬もあると、医療全体としてはよいのではないかと思います。
中外製薬は、ロシュとのアライアンスの中で飲み薬の開発が進められていました。ところが、ロシュが共同開発していた米ベンチャー製薬企業アテアとの提携を解消することになりました。
COVID-19へのもう1つの対抗手段がワクチンです。治療薬とワクチンはまったく異なるビジネスで、中外製薬は現時点でワクチンに関する研究開発力も生産能力もなく、手掛けていません。
昨年来のCOVID-19に対する日本の製薬メーカーのワクチン開発について考えると、スピードと規模の面でグローバル企業と大きな差が出てしまったというのが正直な思いです。そうなった理由がいくつかあり、たとえばアメリカが見事だったのは、平時からワクチンだけでなく治療薬を含めて創薬のエコシステム(編注:複数の企業・団体などが協力体制を組んで共存共栄する仕組み)ができていることです。感染症対策は国防の一環として国を挙げて取り組む姿勢があります。アメリカではホワイトハウスが中心となって、ワクチンの生産については「この企業とこの企業がパートナリングしなさい」という指示があったようです。司令塔がしっかりしていると、そういうこともできるのだと思います。
また、日本でも使われているmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンは、がんワクチンとして使うべくCOVID-19以前から研究されていました。投資家からもその成果に期待して投資が集まっていたという背景もあります。
さらに、ワクチンは数万人規模の臨床試験をやらなければなりません。それを迅速にできる能力と資力が日本企業にあるか、通常からワクチンを作れる生産設備が十分にあるかという問題もあります。
また、COVID-19が拡大していく中で国内の感染者が諸外国と比べると少なかったため、臨床試験の結果を出しにくかったということもありました。
このように、日本でワクチンを開発するには越えなければならない障壁や整えるべき環境が多数存在するのです。
※本インタビューには医療用医薬品や開発品の情報が含まれますが、情報提供を目的としたものであり、プロモーションや広告、医学的なアドバイス等を目的とするものではありません。
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