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口から鮮血…喀血の恐怖から救うカテーテル治療―実施率8%の背景と診療の新常識

公開日

2023年07月20日

更新日

2023年07月20日

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2023年07月20日

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肺や気管支から出血し、口から鮮血を吐き出す喀血(かっけつ)。根本治療にはカテーテルを血管内に挿入して気管支動脈をふさぐ「BAE(気管支動脈塞栓術)」がある。しかしBAEを受けられずに、喀血に怯えながら生活している患者は多い。なぜ、治療を必要とする患者にBAEが届かないのだろう。20年以上、数多くのBAEを行ってきた石川秀雄先生(岸和田リハビリテーション病院 病院長/同院 喀血・肺循環センター センター長)に聞いた。

先方提供

喀血の恐怖にとらわれ眠れない日々

ある時、血痰(けったん)から喀血をきたした70歳代男性。後に根本治療であるBAEを受けることができたのだが、そこに至るまでの数か月間は喀血の恐怖と闘う日々だった。

喀血を自覚した男性は都内の大学病院を受診した。医師からは1日3回の止血薬服用指示を受けたが、喀血は日に日に悪化する一方。飲酒や入浴、アスピリン(虚血性心疾患に用いる血液をサラサラにする薬)の服用もやめ、さらにはベッドに横になるのも控えて喀血に備える生活を続けていた。やがてそんな日々にも限界を感じ、再び病院へ相談するも「BAEは脊髄麻痺(まひ)のリスクが高いため、緊急事態でない限り実施できない」と言われたという。その帰路、男性は2度も電車を途中で下車し、喀血の対応をしながら何とか帰宅。その後も喀血は続き、トイレや洗面台を染める鮮血が絶えることはなかった。男性は、いつ襲ってくるか分からない喀血に備えて一晩中ソファにもたれて過ごしていたという。

わずか8%のBAE実施率―喀血診療の実態

「この男性のように喀血に怯えながら毎日を過ごす患者さんは数多くいます」と石川先生は話す。喀血時に周囲を驚かせてしまってはいけないという心配から電車やバスに乗れない人、中には入浴時に喀血が起こったトラウマから長年入浴していない人もいるという。

そもそも喀血とは、肺や気管支から出血が起こり、口から血液を吐き出すことを指す。胃などの消化管から出血する「吐血」とは異なる。血液の色も、吐血は赤黒いことが多いのに対し、喀血は真っ赤なのが特徴だ。命の危険を感じるような咳や呼吸困難を伴うケースも多い。実際に大量出血による窒息で命を落とす例もあり、ある報告では喀血で入院した患者の院内死亡率は9.4%にのぼるとされている。止血薬で対応できない喀血には根本的な治療であるBAE が有用だが、日本の喀血入院症例に対するBAEの実施率はわずか8.4%にとどまるのが現状だ。

BAEが普及しない要因として「BAEを専門に行う呼吸器内科医が少ない」と石川先生。

「喀血患者さんを最初に診るのは呼吸器内科医ですが、BAEを行うのは多くの場合、放射線科医です。ただ、放射線科医は立場的にさまざまなIVR(画像下治療)をせざるを得ず、彼らにとって数ある手技の1つに過ぎないBAEの専門性を高めることは困難です。BAEは高度な技術を要します。ですから、循環器内科医や脳神経外科医が心臓や脳のカテーテル治療を行っているように、BAEも病態を深く理解している呼吸器内科医が行うべきなのです。呼吸器内科医が放射線科医にわざわざBAEの依頼をしなければならないという点も、BAE実施の妨げになっているでしょう」

続けて「BAEは大量喀血に対して緊急的に行うもの」という古典的な考えが現場に染み付いている点についても指摘。2022年に発刊された世界初のBAEガイドライン(CIRSE:欧州心血管IVR学会)では、慢性的に繰り返す喀血に対する待機的(あらかじめ予定して行う)BAEの適応が明記されている。こうした新たな常識を知らない医師が多いことに、石川先生は警鐘を鳴らす。

極めて低い脊髄梗塞リスク 金属コイルで0.06%

冒頭の男性を診療した医師が恐れていた脊髄梗塞については、その発症率の低さを示したデータがある。岸和田リハビリテーション病院が東京大学康永研究室と共同で行った研究(日本のDPCデータによる全国調査)では、BAEによる脊髄梗塞の発症率は0.19%と報告されている。注目すべきは、「金属コイル」と呼ばれる塞栓物質を使用した場合の脊髄梗塞発症率が0.06%と極めて低いことだ。対して、日本で多く使われてきたゼラチンスポンジは0.18%、国内外の一部施設で使われているNBCA(医療用瞬間接着剤)は0.71%との結果である。この研究結果を受けて、CIRSEのBAEガイドラインは「ゼラチンスポンジの単独使用は推奨しない」と明言している。

「CIRSEのBAEガイドラインは、私たちが行ってきた慢性喀血に対する待機的BAE、金属コイルによるBAEを追認する内容といえるでしょう。私自身、BAEを3678例(1998〜2023年7月1日実績)行ってきましたが、脊髄梗塞を経験したことは一度もありません」

BAEがもたらす効果は

「冒頭に紹介した男性はBAEで止血に成功し(所要時間28分)、日常的な喀血を抑えることができました。後日、感謝の手紙もいただきました。今もお元気に過ごされているそうです」と、石川先生は穏やかな表情を見せる。

BAEがもたらす効果は科学的にも証明されている。1つは、入院中の死亡率減少効果を示したデータだ。入院後2日以内に人工呼吸器を装着した約1万2000人の重症喀血患者を対象に、人工呼吸開始後3日以内にBAEを行った患者とそうでない患者を比較した結果、BAEを行った場合の入院中死亡率の有意な減少が示された。

また、BAEによる長期止血効果に関して、石川先生らの報告でBAE実施後の止血率は1年後で90.4%、2年後で85.9%とされている。さらに、BAE実施後の身体的/精神的QOLの明らかな改善効果を示した論文も2021年に発表している。

「BAEを広く普及させるために科学的根拠(エビデンス)は必要不可欠です。岸和田の地から世界に向けて積極的に査読英語論文を発表しているのはそのためです」

続けて、日々の臨床にかける思いも語る。「当院には全国から多くの患者さんが来院され、約半数は大阪府外の方です。慣れない環境で治療を受ける患者さんのために、“世界一リラックスできる癒やし系のカテ室”を目指しています。内装面では天井を空模様にするなどの工夫を凝らしていますが、それ以上に大切にしているのがスタッフやカテ室全体の雰囲気です。ピリピリとした雰囲気にならないように、カジュアルに会話をしながら治療をしています。そもそも術者が緊張しているのは技量や自信がない証拠。患者さんには簡単に伝わります。鼻歌まじりで治療するくらいの余裕がないといけないと思っています。またBAEを受けていただく患者さんには、喀血やBAEについてまとめた資料をたくさんお渡ししています。人は分からないことに恐怖心を抱きますからね。ゆっくり資料に目を通してもらい、ご本人やご家族が納得感を持ったうえで治療を受けていただくよう心がけています」

国内初のガイドライン発刊も間近―喀血診療の未来

喀血診療の今後については、「患者を一定の施設に集中させる『センター化』が必須」と石川先生。岸和田リハビリテーション病院と東京大学康永研究室の共同研究では、全国でBAEを実施した641施設のうち約半数はBAEの年間件数が1例以下との結果が示されたという。さらには、うち100施設は約8年間でわずか1例のみであった。

「十分な症例数を経験できなければ、術者レベルのみならず、組織レベルでの技術向上は見込めません。技術向上は、合併症の減少と治療成績の向上につながります。BAE発展のためには、一定の地域内(北海道・東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州)に喀血治療を専門に行う拠点を作る必要があるでしょう」

また呼吸器内科医が共通の技術的知識を持つ必要があるとし、BAEテクニカルマニュアルの必要性についても言及。「20年来蓄積してきたBAEテクニックを広めたいと考えています。投稿先は未定ですが、すでに呼吸器内科医のための金属コイルによるBAEマニュアルをほぼ執筆し終えたところです」

2023年中には日本呼吸器内視鏡学会から国内初となる喀血ガイドラインが発刊される予定だ。石川先生は喀血ガイドラインワーキンググループ(座長:丹羽崇先生)の委員として発刊に向けた準備を行っている。「BAEは特殊な治療法との認識を持っている呼吸器内科医はまだまだ多くいます。ガイドラインが出ることで『喀血をみたらBAEを行う』という考えが普及することを心から願っています」

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