名古屋市立大学病院 ・こころの医療センターセンター長、名古屋市立大学病院 ・緩和ケアセンターセンター長、名古屋市立大学病院 副病院長、名古屋市立大学大学院学研究科 精神・認知・行動医学分野 教授
近年では治る病気となりつつあるがん。しかし、診断を受けたり治療したりする中で、強い焦りや不安などのこころの問題を抱えてしまうがんの患者さんもいらっしゃいます。このような状態から、治療が望まれるこころの症状が現れることもあります。今回は、がんの患者さんがかかりやすい3つのこころの状態についてご紹介します。
60代の肺がんの患者さんの例です。「がんと診断されたときは頑張るしかないと思って、とにかく一生懸命治療を受けてきました。治療後の定期的な検診も、いつも不安を抱えながら緊張して受けていました。今回、肺に影があるといわれて、結局再発だと伝えられてからは、家族に迷惑をかけているという思いが強く、わけもなく涙が出てばかりです」
この連載でもお伝えしてきたように、がんになると、さまざまなストレスがかかります。それまでに経験したことのないような焦りや不安、落ち込み(抑うつ)などのつらい感情に襲われることがあるのです。
手術などの治療が終わり、病巣が取り除かれた後でも、「がんが再発したらどうしよう」といった不安感をお持ちの方は少なくありません。がんの患者さんの日常生活上の悩みを聞くと、30%以上の方が不安などの心の問題を抱えているという報告もあります。再発や転移への不安が代表的です。
進行がんを経験されたり、がんが再発したりすると、不安や抑うつ状態を経験される患者さんの割合はさらに高くなります。
本来、人はつらい状態におかれたとしても、自分自身で困難やストレスに対処して元気になっていく力が備わっていますが、何らかの原因でうまく働かなくなることがあります。そのような場合やあまりにストレスが強いときには、治療が望まれるこころの状態に発展しやすいのです。代表的なものが適応障害、うつ病、せん妄で、この3つが大多数を占めています。
適応障害とは、強い心理的ストレスのために、日常生活に支障をきたしてしまうような不安や抑うつなどの苦しみを経験している状態をいいます。一般的には、がんの患者さんに最も多いこころの問題がこの適応障害です。これまでの研究からは、大体10~30%程度のがんの患者さんに、適応障害が認められることが示されています
うつ病は、がんの患者さんの場合には、適応障害の抑うつが強くなった状態と考えていただいてよいでしょう。うつ病と聞くと、深刻な病気と思われる方もいるかもしれません。しかし、うつ病は、さまざまなストレスにさらされやすい現代社会においては、誰でも経験する可能性があるこころの問題です。わが国においては、がんの患者さんの少なくとも5~10%の方がうつ病の状態を経験するといわれています。
はっきりとした体の原因がないにもかかわらず、落ち込みが続き、同時に食欲が落ち、眠れない状態が何週間も続くようでしたら、うつ病の可能性があります。
せん妄は、軽い意識の混濁に、幻覚などのさまざまな精神症状を伴う特殊な意識障害のことです。何らかの原因、例えば、がんの進行による身体状態の低下や治療のために使用されるお薬によって脳の機能が低下し、起こることがあります。ストレスによるものではありません。
せん妄は、体の状態がよい時期には数%のがん患者さんにみられる程度ですが、がんの進行に伴って頻度が高くなることが知られています。特に病状が進んで、自宅で過ごすことが難しくなるような状態のときには、少なくとも30~40%の方にせん妄がみられるといわれています。病状が進行したり痛み止めの量が増えたりした後に、急に集中力が落ちたり、存在しないものが見えたりするようになったときにはせん妄の可能性があります。
がんの患者さんにとって、こころの問題が現れることは、とてもつらい状態です。しかし、適切なケアや治療で症状を和らげることも可能です。冒頭の患者さんは、外来の看護師さんに相談したところ院内の緩和ケアチームの心理士に紹介され、しばらく定期的なカウンセリングを受けることで元気を取り戻されたそうです。
がんの治療に取り組むうえで、こころの問題にきちんと対処していくことは弱さではなく、強さであると思います。強い焦りや不安、落ち込みなどのつらい感情が現れたときには、我慢せずに早めに主治医や看護師さんに伝えてください。
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