日本と米国で活躍する国際医療経済学者のアキよしかわさん(61)は、2014年に大腸がんのステージ3Bであると診断された。日本で手術を受け、米国のハワイで抗がん剤治療に取り組み、専門家と患者の両方の視点で著書『日米がん格差』(講談社)にまとめた。日米の違い、米国から学べること、そして患者の本心……。アキさんの思いは、がんに関わる多くの人のヒントになるだろう。【日本対がん協会・中村智志】
アキさんは、中学校を卒業後に1人で渡米した。
「『アメリカ人になろう』として、猛烈に勉強し、猛烈に仕事をしてきました。カリフォルニア大学バークレー校の大学院生だったとき、日本について調査・研究しました」
米国議会技術評価局(OTA)に出向し、日米協議にも携わった。そして、1980年代前半にゲノムプロジェクトに出合う。人の遺伝子が解明されれば、赤ちゃんのときに将来の疾患リスクがわかってしまう。リスクが高いと、民間が担っている米国の保険制度では、保険料が跳ね上がる。そこで、日本の国民皆保険制度も研究した。
「これらの経験が、医療経済学者を目指す原点です」
その後は学者として歩み、米国グローバルヘルス財団の理事長となった。全米の大学病院の経営分析、各種指標を用いたベンチマーク分析などを行い、ヨーロッパやアジアでも活動した。2004年、日本に進出。グローバルヘルスコンサルティング・ジャパン(GHC)を設立し、国内の多くの病院の経営改善に貢献した。
それから10年。2014年の秋、定期的に人間ドックを受けていた東京・四谷のクリニックで、大腸がんと診断された。半年前から下痢や血便があったという。
「淡々と、『乗り越えなければならない新しいチャレンジが来たか』と受け止めました。アメリカでは、人に自慢できないようなこともして、競争社会を生き抜いてきましたから」
がんは、国際医療経済学者として、患者の立場から医療を見るチャンスでもあった。GHC社長の渡辺幸子さんの紹介でがん研有明病院(東京都江東区)の専門医に会い、そのまま手術を受けることにした。
「日本で生まれアメリカに拠点を置く自分が、日本でがんが見つかった。日本で手術を受けるのが運命であり、責務である。そう感じました。また、告知を受けたら、身近な信頼できる人に相談することが大切だと痛感しました」
手術前の診断ではステージ2と言われていたが、最終的にステージ3Bと判明した。
手術は無事に成功したが、米国なら退院日にあたる手術後5日目でも眠気とだるさで病室内のトイレに行くのもつらかった。
「ベンチマーク分析では『是正すべき長期入院』になってしまう、米国よりも長い入院期間と、看護師さんの『数字に表れない優しさや明るさ』に救われました。患者になったことで実感できた気づきです」
アキさんは、手術後の抗がん剤治療をハワイで受けることにした。
「ハワイを選んだのは、日本とアメリカの中間地点だからです。アメリカの家族も来やすいし、私が仕事で日本に行くこともできます」
ホテルに滞在し、病院で点滴を受ける。それから48時間、腰に付けたポーチから胸に空けたポートを通じて抗がん剤を流し込む。強い吐き気に襲われ、吐き気止めの薬を服用すると、頭痛と下痢に悩まされる。記憶力や思考力が一時的に低下したこともあった(「ケモブレイン」という)。
「クイーンズメディカルセンターのキャンサーナビゲーションプログラムに支えられて、乗り切りました」
このプログラムこそ、アキさんがクイーンズメディカルセンターを選んだもう一つの理由であった。
簡単に言えば、研修を受けて知見を備えたキャンサーナビゲーターが、患者と適切な距離感を保ちながら、正しい情報や治療にたどり着けるように導く仕組みである。キャンサーナビゲーターには、患者の家族や、大切な人をがんで亡くした人が多い。
アキさんは、抗がん剤治療を受けながら研修に挑んだ。週2回、朝から夕方までの講義が、全部で6日間。キャンサーナビゲーターの心得、がんの基礎知識、がんが患者の精神に与える影響、低所得者へのケア……。「するべきこと」「してはいけないこと」は表の通りだ。
アキさんは、一連の治療が終わった後のほうが厳しかったという。
「身の置き所のない孤独感に襲われて、一番つらい時期でした。患者は、がんを忘れることはありません。おなかが痛いと、ひょっとしたら再発かな、と思ってしまう。検査で『肺に影があるかもしれない』と言われると、マティーニ6杯も飲まないと落ち着かない」
治療中は患者も“戦闘モード”に入っているし、周囲や医療者もそれに応えてくれる。ところがその後は、いったん日常生活に放り出されてしまう。
「爆音が耳のそばで起きてしばらく体が震える状態を、英語で『シェルショック』といいます。そんな感じです。このことは、キャンサーナビゲーションプログラムでも教えられました。私はプログラムに救われました。日本にも広めたいと考えています」
アキさんには、日本の患者たちに伝えたいことがある。
ひとつは、標準治療に対する認識だ。
「標準という言葉から、松竹梅の梅と思ってしまう人がいる。しかし、標準治療とは、現時点でのベストの治療です。米国では、標準治療をどこまで遵守しているかが問われ、病院間で遵守率を競っています」
もう1つは、「お任せ医療」からの脱却だ。
「患者が自分で決めて、選択に責任を持つという姿勢が重要です。『任せきり』にせず、正しい情報を武器に、がんに立ち向かってほしい」
がんになった後、アキさんの中で優先順位が変わった。競争に勝つことへの興味はなくなった。お金にも執着しなくなった。若い人を育てることへの関心が高まった。
「あと、鶏肉以外の肉を食べるのをやめたのです。ひとつはゲンかつぎかなあ。それ以上に、動物を食べたくなくなった。牛とか豚とか、生命を奪いたくない。ワインは毎日たしなんでいます」
がんサバイバー特有の孤独感は、今なお、アキさんを包んでくる。それを押し戻すかのように、朝晩に海岸を散歩する。
「子どものころに海辺に住んでいたことがあるんです。波の音を聞くと安らぎます」
がんと共に生きるには、誰もが、こうした時間や空間を必要としているのかもしれない。
「これからは、どうしたらがん医療がよくなるかをテーマに、政策提言などもしていきたい。がんになったことをきっかけに、『80歳まで仕事しよう』と思うようになりました」
アキさんはずっと、定期的にクイーンズメディカルセンターで経過観察を受けている。その際、必ずカウンセリングも受ける。キャンサーナビゲーションプログラムのひとつで、精神科医や臨床心理士、看護師などと30分から1時間ぐらい話す。「どう、最近の気分は?」からなぜか「週に何回セックスしている?」などまで聞かれる。
がんになって、「競争しなくていいんだ」というメッセージを自分に送れて、心の平安を得られた。米国西海岸にあった邸宅を売り、息子と娘、妻に贈与した(米国では贈与する側が税金を払う)。長男は自信過剰なタイプで、スタンフォード大学の大学院でバイオエンジニアリングを研究している。長女は逆に控えめで、オーストラリアで医師を目指している。折に触れて子どもたちに教養の大切さなどを伝え、妻と語らい、終活もできた。
2019年6月のカウンセリング。心の軌跡をわかってもらいたく、競争社会を生き抜いてきたカウンセラーを希望したら、60代ぐらいに見える白人の精神科医との対話になった。
「がんになって、安らぎを覚える人はたくさんいるよ。がんを受け入れ、自分と家族のことに専念すると、そうなるんだ」
「さて、少し困ったことに、自分はまだ生きている。この先どうしたらいいんだろう」
「そうだね、その質問も最近増えている。一緒に考えていこう」
カウンセラーは少し笑った。つられてアキさんも笑みを浮かべた。
次回は8月。そしてこの秋、アキさんは、がん発覚から5年を迎える。
*この原稿は日本対がん協会のウェブサイト内「がんサバイバー・クラブ」に2017年10月に掲載された記事をメディカルノートNews & Journal編集部と筆者が再編集しました。
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