東京大学医学部附属病院の中川恵一准教授(放射線科)は、メディアなどで、がんについてわかりやすく発信している、いわば“伝道師”だ。がん教育にも熱心で、日本対がん協会のアニメ教材も監修している。そんな中川先生が、2018年12月に膀胱(ぼうこう)がんになった。当初は「まさか、自分ががん……」と青天の霹靂(へきれき)だったという。病状や治療、気持ちの移り変わりなどを伺った。【日本対がん協会・中村智志】
がんは自分で見つけました。2018年12月9日、先輩の病院で当直の手伝いをしていたとき、空いている時間に超音波エコーで自分の肝臓を診たのです。
というのも、2年ほど前から、肝硬変などの原因になりかねない脂肪肝があったのです。この日はふと気になって、膀胱も映してみました。すると、左の(腎臓から尿を送る)尿管と膀胱のつなぎ目である尿管口の近くに、白い影が見えました。
実は2017年6月に、超音波エコーで膀胱を見た際に、内壁に小さな影を見つけていました。しかし、忙しくてそのままにしていました。1年半がたち、それが大きくなったのです。膀胱を映してみたのは、心のどこかで気になっていたからかもしれません。
見つけた瞬間、「がんに違いない」と思いました。東大病院の泌尿器科の後輩にメールで画像を送ったところ、「膀胱腫瘍を否定できない所見」という返信が届きました。精密検査の結果、大きさ1.5cmのがんと判明しました。がんは筋肉の層までは浸潤しておらず、早期でした。血尿もなく、自覚症状はありませんでした。
生まれて初めての入院。12月28日、検査をしてくれた後輩の医師の手術を受けた。内視鏡による切除だ。尿道から直径1cm弱の鉄の棒を膀胱まで差し込み、電気メスでがん細胞を切除した。
手術は朝から始まりました。たった40分です。痛みはなく、下半身麻酔なので、モニターを見ながら医師と話していました。しかし、麻酔が切れると下腹部に猛烈な痛みが襲ってきました。
手術でがん細胞は完全に取りきれた。ステージ0の超早期だ。再発予防のため、手術の直後に膀胱内に抗がん剤を注入した。ただ、がん細胞の悪性度は3段階の真ん中の「2」。2の中でもハイグレードだった。
「1ならいいなあ」と思っていたので、かなりショックでした。膀胱がんは再発する可能性が高く、ハイグレードだと、1年以内の再発率が約24%、5年以内では約46%に上ります。手術後は3カ月に1度は内視鏡を使った検査を受けなければならず、心の中に重い錘(おもり)があるような感じでした。もし再発すると、同じ手術を受けることになります。
がん治療は、QOL(生活の質)の低下と引き換えに、将来の時間を手にするもの。ただ、未来は不透明です。
2019年の年明けから仕事を再開。手術の影響の血尿も1月半ばには出なくなり、スポーツジムにも通う。日常を取り戻したが、中川先生ほどのプロでも、がんとわかったときには、動揺を隠せなかった。
「私ががんに? なぜ?」
というのが最初の気持ちです。青天の霹靂でした。膀胱がんは人口10万人あたり10人程度の発生率で、がんの中でも珍しいほうです。危険因子は喫煙で、男性の膀胱がんの50%以上の原因と言われます。
しかし、私はたばこを吸いません。毎日早朝からスポーツジムに通い、30分のランニングなど運動を欠かしません。お酒も、家で2、3合の晩酌をするぐらいです。運が悪いとしか言いようがありません。
人間は、頭では「いつか死ぬ」とわかっていますが、いつも意識しているのは不自然です。生き物の本能でしょうか、そういうふうにプログラムされているのだと思います。
私もそうでした。日本人の2人に1人、男性なら3人に2人が生涯にがんになる。「がんになることを前提にした人生設計が必要です」などと講演で話したり書いたりしているのに、根底では、「自分はがんにならない」と思い込んでいました。
妻には電話で知らせました。心配させないように話しましたが、電話の向こうで泣き出しました。妻も、夫ががんになるとは想定していなかったのでしょう。
がんになったことで、日常生活や死生観が変わるという人は少なくない。中川先生の場合はどうなのだろうか。
死生観が大きく変わったわけではありません。それでも、「三人称の死」と「一人称の死」は違います。言葉としてわかっている死と、具体的に想起する死の違いでしょうか。論理が実感になるのです。
死のリアリティーが高まると、今を大事にしようという気持ちが出ます。
私は昔から「カルペディエム(carpe diem)」という言葉が好きです。ラテン語で「今を生きる」「今をつかめ」「時をとらえよ」といった意味です。刹那(せつな)主義ではなく、今を大切にする、今やれることはやっておこうという意味にとらえています。
カルペディエムは、具体的には、どんな形に現れているのだろう?
自分の体験を伝えようという思いも高まりました。日本経済新聞や日刊ゲンダイの連載で5回ぐらいに分けて書いたほか、週刊新潮にも載りました。一般の人に対してだけでなく、医療者にも伝えたいと考えています。
また、購入するワインの1本あたりの値段が上がりましたね。家で夕食のときに楽しむのですが、1本1500円ぐらいだったのが3000円ぐらいになりました。
あとは、遺言は書いておこうかなと考えています。ただ、夫婦の間でエンディングの話をすることはなく、普段通りです。
よく患者は「がんになったこともない先生に俺の気持ちがわかりますか?」などと迫る。中川先生も今回、本当の意味での「医療のリアリティー」を体感したという。
私自身の例でいえば、手術中、麻酔が効いていたときにはとても元気でした。後輩の医師となごやかに会話していました。下半身に関する情報が入ってこないぶん、脳は解放感にあふれていました。でも、麻酔が切れたら激痛です。その場面を、後輩の医師は見ていません。
患者さんには、医師と接している時間の向こう側に長い生活があります。今回、それを実感しました。どの医師も頭ではわかっていますが、これだけは、患者になってみないとわからないと思います。今後私は、本当の意味で、全人的に患者さんを診られるようになる気がします。
医療のリアリティーや全人的に患者を診ることの延長にあるのが、余命宣告だ。
私も余命を告げたことはあります。しかし今は、やめたほうがいいと思います。
生命は本来、動物も人間も、時間に縛られることが前提になっていません。そんな中で、3カ月などと残り時間を告げられると、人間はかえって生きにくくなるのではないでしょうか。つらさだけが募り、残りの時間のクオリティーが下がる気がします。
残り時間で人生をたたむ支度をする、という意味はあります。しかしそれは、余命を告げるかどうかには関係なく、必要なことでしょう。
自身の体験を積極的に語る中川先生が読者にくみ取ってほしいことは、「明日はわからない。できる範囲で体を守ってほしい」というメッセージだという。
自分ががんになるとか死ぬとか考えないのは、自然なことです。しかし、人間には言葉も知識もあります。人が死ぬことも、がんという病気があることも、防ぐ手段があることも知っている。
だったら、やれることはしたほうがいい。超音波エコーは無理でも、乳房を触ることはできます。リンパ腺が腫れていないか、手を当てることもできます。痛みのない血尿など少しでもサインがあったら検査を受ける。それだけでも全然違います。そこは、人間ならではの世界です。
膀胱がんとわかってから1年以上が過ぎた。中川先生は再発することなく、放射線科医として、また正しいがん情報の発信者として、活躍し続けている。
*この原稿は日本対がん協会のウェブサイト内「がんサバイバー・クラブ」に2019年2月に掲載された記事をメディカルノートNews & Journal編集部と筆者が再編集しました。年齢、肩書、医学的状況などは原則として初出記事を踏襲しています。
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