連載がんと生きる

アンパンマンを抱きしめて~難病WAGR症候群でも目いっぱいに歩む~

公開日

2020年02月27日

更新日

2020年02月27日

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2020年02月27日

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千葉県で暮らす小学校1年生の長谷川伊織くんは、生まれたときからWAGR症候群(11p13欠失症候群)である。患者数が全国で100~200人という難病だ。腎臓がんを含む4つの症状が特徴。個人差はあるが、知的な発達も遅く、伊織くんは言葉をしゃべれない。しかし、アンパンマンが大好きで、五感を目いっぱい伸ばして歩んでいる。【日本対がん協会・中村智志】

がんを含む4つの症状

おばあちゃんのお迎えで保育園から帰ってきて、長谷川伊織くんは、母のまどかさんに抱きついた。

「伊織、お帰りなさい!」

「ブー! ウーッ!!」

「お歌うたった?ダンスした?お昼寝は?」

「ブー、ウー、ふふふふふ」

伊織くんは部屋の奥へ走ると、ランドセルを持ってきた。iPadを取り出し、「どんぐりマン」を聴き始めた。2019年3月、小学校に入る少し前のことである。

伊織くんのWAGR症候群は、11番染色体上の一部の領域(11p13)が失われることで発症する。主に、ウィルムス腫瘍、無虹彩症停留精巣などの泌尿生殖器異常、精神発達遅滞の4つの症状がある(4つの英語表記の頭文字がWAGR。4つ全てが現れるとは限らない)。腎機能障害、過食、睡眠障害などを併発するケースもある。

ウィルムス腫瘍は、腎臓にできるがん。WAGR症候群の2人に1人がなる。無虹彩症は、虹彩がないか不完全な状態で、目に入る光の量を調節できない。伊織くんは視力0.1ぐらいで、白内障もある。

最低5個ぐらい、腫瘍らしきものがある

まどかさんは、千葉県内の総合病院で麻酔科の医長を務める。医師であっても、WAGR症候群という病気は縁遠い。

だから、2013年1月の4カ月健診のあとの染色体検査でわかるまで、伊織くんがWAGR症候群とは思いもよらなかった。ただ、「私のことを見てくれないなあ」「散歩に行ってもすぐに寝ちゃうなあ」などと感じてはいた。

1歳になって停留精巣を手術。そのころ、病院のエコー検査で「なんかもやもやしている。念のため、MRIを撮ったほうがいい」と指摘された。結果は「両方の腎臓に、最低5個ぐらい、腫瘍らしきものがある。このまま何もしなければ、確実にがんになる。抗がん剤治療を受けたら、がんにならない可能性もある」だった。

1歳の誕生日を病院で迎えた伊織くん
ぜんそくで入院して、1歳の誕生日を病院で迎えた伊織くん(2013年9月)=長谷川まどかさん提供

「私の気持ちなんて、誰にもわからない」

抗がん剤治療で入院したのは、2013年の年末。伊織くんは1歳3カ月であった。3月末に退院し、5月まで治療を続けた。5つの腫瘍に増減はなく、一部の形が崩れた。

入院中、まどかさんはさまざまな思いにとらわれた。「入院すると、その倍の時間、発達年齢が遅れると言われているんです。置いて行かれるような気持ちになりました」

さらに、些細な事柄が気にかかった。

病院のスタッフがおもちゃを持ってきてくれるが、伊織くんには遊べない。「ありがとうございます。うれしいです!」と受け取りつつ、心の中でため息をつく。

伊織くんは理由もわからずかんしゃくを起こしたり、食事を取らなかったりした。医師に訴えたら、「うちの娘も同じですよ」と慰められ、かえって深い溝を見出す。

そのうえ、夫や実家の母にも、「なんで先生たちに感謝しないの?」とたしなめられた。

「私の気持ちなんて、誰にもわからないんだ」まどかさんは、だんだんと、孤独の袋小路に追い込まれていった。

退院後も、保育園への再入所、病院や市役所、入学を考えている盲学校とのやりとり……交渉や調整を一手に引き受け、ときに矢面に立った。

「伊織がいることで、周囲の子どもたちもいろいろ学ぶ」

一方で、伊織くんは着実に成長している。「坂道を登るような曲線ではなく、停滞してグンッ、の繰り返しです。最終的には、小学校中学年ぐらいの知能にまで発達するようです」

2018年12月、保育園の発表会では劇「不思議の国のアリス」に出演。両側から男の子と女の子に手をつないでもらい、演じきった。行事では、ほかの園児との差を痛感し落ち込むことが多かったまどかさんも、誇らしかった。

祖母の蝶朱美さんも語る。「小さなことがすごくうれしく、幸せを実感しています。伊織がいることで、周囲の子どもたちもいろいろ学んでくれる。伊織は貢献しているんです」

夢は2人で海外旅行

まどかさんは、患者家族会「日本WAGR症候群の会」(2012年9月設立)の代表も務める。

家族会員は15世帯。交流や情報交換、会報の発行のほか、医療・福祉・教育の関係機関に働きかけもする。

ホームページでは、一般向けのわかりやすい解説と同時に、医療者や研究者へ向けた記述も載せる。東京女子医科大学の山本俊至先生と面談を重ねて、2015年には、山本先生が作成したWAGR症候群の診断基準が日本小児神経学会に公認された。

日本WAGR症候群の会は、国際的な患者家族支援団体(IWSA)ともつながっている。まどかさんは、悩みがあると、SNSに書き込む。すると、世界中の人から助言が飛んでくる。

印象に残っているのは、次の言葉である。「親が子どもの限界を勝手に決めてはいけない。子どもは絶対、親の想像を超えたことを成し遂げてくれるから」

まどかさんの夢は、「伊織が、彼なりに自立して、愛される環境の中で、自分で物事を選んで生活すること」と、「10代後半になった伊織と2人で海外旅行に出かけること」だという。その年齢まで元気で、かつ自立していてほしいという願いも込められている。

腹時計の正確さが証明された

2019年4月9日、伊織くんは小学校に入学した。国語と算数以外は、普通学級で過ごせることになった。

きちんと時間で動き、掃除などもある小学校生活は、保育園とは勝手が違う。当初は登校をぐずることもあったが、同級生らが手をつなぐと、うれしそうにスキップを始めた。

ただ、想定外の“難題”があった。給食である。3時間目が終わる頃が、保育園の給食の時間にあたるため、4時間目の後まで待てず、食べたがるのだ。そんな様子も、まどかさんには成長の証に映った。

「腹時計の正確さが証明されましたね。毎日少しずつ、新しい生活の流れに慣れてきているようです。デイバイデーです」

マラソン1km完走!

それから約1年。壁にぶつかりながらも、伊織くんは「デイバイデー」で過ごした。

日本ブラインドサッカー協会が主催するキッズトレーニングや7月のキャンプへの参加、9月から10月にかけての扁桃腺の手術……。

12月初めの地元のマラソン大会では「1km小学生男子」に出場、スタート後に転んだり何度か立ち止まったりしたものの、伴走者のまどかさんに必死についていき、完走した。ゴール後は自分の足を満足げに指さした。まどかさんも楽しめた。

「10年ぶり以上のレースに興奮しました。これまでは伊織の活動に付き合う形でいろいろな経験をして、それはそれで楽しかったのですが、自分が本当に好きなことに一緒に取り組めたことで、自分を取り戻せた気がしました」

平仮名を書けるようになった

12月末には、3歳から通っているピアノ教室の発表会があった。まどかさんが伴奏し、動物や友だちの名前を呼ぶと「はーい」と返事するという歌で、伊織くんは「はーい」のタイミングで、黒鍵をジャーンと叩いた。全員で米津玄師の「パプリカ」を合奏し、歌い、ダンスをすると、伊織くんも踊った。今もその動画を繰り返し見ては、踊っている。

ピアノ発表会
2019年12月のピアノの発表会。楽しんで参加していたという。=長谷川まどかさん提供


何より大きな成長は、“コミュニケーションを取る力”だろう。

担任の先生が両手を差し出して、「右手は牛乳、左手はジュース。どっちが好き?」と聞くと、どちらかの手を指して答える。同級生とも同じ方法で“会話”をする。

絵本を読み聞かせると、ちゃんとおかしい場面で笑う。「食べ物、乗り物、動物」を題材にした作品が好きで、ベストは「食べ物」だという。

平仮名も書けるようになった。小学校では、日記を書く宿題が出る。まどかさんが「朝、お母さんとホットケーキを作りました」としゃべると、伊織くんは「あさ……」と書く。意味もわかっている。最近は、右手と左手で2つの題材を示すと、自分で選ぶ。

日記
伊織くんの日記。この日は、映画「おかあさんといっしょ すりかえかめんをつかまえろ!」を見に行った。=長谷川まどかさん提供


これまでも、絵カードを選んで、主に希望や要求を意思表示できた。だが、文字を覚えれば、抽象的な事柄まで伝えられる。同行支援の人から「伊織くんのウーには、いろんなウーがある」と言われたというが、伊織くんの中ではしっかり、言語の芽が育まれている。少なくとも、他者や外界と楽しく接触し、さまざまなものを吸収しているように見える。

「これからは、親以外の人ともたくさんかかわることで、世界を広げていってほしい」

母の願いは、自然と実現していくだろう。

 

*この原稿は日本対がん協会のウェブサイト内「がんサバイバー・クラブ」に2019年4月に掲載された記事をメディカルノートNews & Journal編集部と筆者が再編集しました。年齢、肩書、医学的状況などは原則として初出記事を踏襲しています。

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