名古屋市立大学病院 ・こころの医療センターセンター長、名古屋市立大学病院 ・緩和ケアセンターセンター長、名古屋市立大学病院 副病院長、名古屋市立大学大学院学研究科 精神・認知・行動医学分野 教授
現在わが国では年間37万人以上の方ががんで亡くなっています。患者さんの死は、遺族にとっては死別の苦しみの中で生きてゆくことの始まりを意味します。がんに限らず最愛の家族を失うことは、ほとんどの人にとって人生で最大の苦しみです。このように、がんは患者さんのみならず家族にとっても大きな苦しみとなるため、サイコオンコロジーでは、がんを「家族の病」として捉え、家族もケアを提供されるべき存在として「第2の患者」と呼ぶことは前回ご紹介しました。死別した遺族のケアに際して最も重要なものの1つが「グリーフケア」です。今回は、患者さんが亡くなった後にご遺族はどのようなこころの動きをたどるのか、そしてグリーフケアとは何かについてご紹介いたします。
2年前にご夫君をがんで亡くされた72歳の女性Aさん。「夫ががんで闘病中は必死に支えてきました。つらいのは夫だろうという思いがあったので、とにかく私は頑張ろうと決めて気を張ってきました。実際に夫が亡くなった後は実感がわかず、もぬけの殻というのでしょうか……。そんな状態が何カ月も続きました。今もふとうちの中を見回すと夫がいるのではと思うことがあります。いないと気付いたときに、涙が出てしまうこともありますが、でもがんばって生きていることが夫に対する何よりの供養だと思うようになり、今はときどき友人と外出したりもするようになりました」
グリーフとは、家族の死を代表とする、大切なものを失った際にみられるさまざまなこころの反応を示します。一般的には深い悲しみや苦悩などのこころの状態がみられます。愛する人との死別によって悲しみを経験することは、人間にとってごく自然で普遍的なこころの動きです。一方で、死別は人が経験する出来事の中でも最もつらいものであることが医学的な研究から分かっています。死別は遺族の考え方や価値観のみならず、心臓の病気になりやすくなるなど身体的な健康にも影響を及ぼすことが知られています。
多くの場合、通常のグリーフ・プロセスであっても、遺族は年余にわたる時間を経過してようやく患者の死を受け入れ、新しい生活に進んでいきます。ある死別の理論では、気持ちが麻痺(まひ)したり現実感がわかなかったりといった「無感覚の時期」に続き、故人へのとらわれなどを中心とした「思慕の時期」、集中力低下や絶望や抑うつで特徴づけられる「混乱と絶望の時期」を経て、「立ち直りの時期」を迎える、といった段階をたどるとされています。もちろん、亡くなった患者さんとの関係や遺族の健康状態、周囲の状況などさまざまな要因に影響を受けるでしょうし、全ての方が個別的な経過をたどられますが、それでも一般的には長い時間が必要です。
グリーフケアとは文字通り、死別という深い喪失を経験した人に対するケアを指します。ある意味、死別は人生において最大のこころの危機状態とも考えられ、気持ちの落ち込み、どうしていいかわからないといった混乱状態などの強い苦痛を伴う気持ちの状態がみられることが多いものです。ですので、この時期は、過ごし方によってその後の心のありようが安定したものになるか、気持ちのつらさを抱えたまま過ごすのかを左右することになります。もし生活に支障があるような強い苦痛が続くようでしたら、ぜひ適切なケアを求めていただければと思います。
最も重要なケアは、死別を経験した遺族の悲しみや後悔、とらわれなどの複雑な気持ちに寄り添い、一貫して支持を提供することです。遺族の感情表出を促し、その声にしっかりと耳を傾け、批判や解釈をすることなく気持ちをあるがままに受け止めることがその第1歩となります。多くの遺族は、周囲の人から「早く忘れなさい」「いない人のことを考えても仕方ないでしょう」「いつまでも悲しまないで」といった、ちょっとした一言でさらなる苦痛を経験していることも示されています。そういった意味では、遺族の気持ちの表出を抑えることが大切なのではなく、むしろ「十分に悲しむことができるよう援助する」ことが重要とも言えるのではないかと思います。
これを遺族の立場に置き換えてみますと、死別後も亡くした家族のことや気持ちについて話す場が必要だということにもなります。もし周りにそういった方がおられましたら、何年たったのちでも、その家族の話に耳を傾けていただきたいと思います。
一部の遺族は、死別に際して自殺という悲痛な結末に至ってしまうことも知られています。苦悩が強すぎて、積極的なケアが望まれる状態を経験する遺族もいます。その例としてうつ病と適応障害、「複雑性悲嘆」を紹介します。
うつ状態に関してはこれまでもご紹介してきました。死別後のうつ状態に関しては、現時点において、診断基準を満たせば、一般的なうつ病と同様に扱うべきであろうと考えられるようになってきています。これは治療により苦痛が軽減するからです。従って、うつ病相当の状態が数週間にわたって続くような場合は、一般的なケアに加えて積極的な薬物療法など専門的な治療も考慮していただきたいと思います。
適応障害は、うつ病の診断基準は満たさない一方で、社会生活への支障が続く精神症状の場合に考慮すべきです。
複雑性悲嘆は、「持続性悲嘆」「持続性複雑死別障害」などさまざまな用語で提唱されている死別後の特異的な精神症状を指します。まだ単一の疾患群として確立した概念ではありませんが、死別から半年あるいは1年以上経過しても故人への持続的な思慕やとらわれなどが続く場合には考慮すべきです。複雑性悲嘆では、故人に関する幻聴や幻視などの幻覚や故人が経験した身体症状(痛みや倦怠<けんたい>感など)がみられることもあります。複雑性悲嘆の場合は、より強力かつ専門的なグリーフケアが望まれ、適宜精神保健の専門家との協働が望まれます。
個人的な内容で恐縮ですが、私が医学部5年生のとき、父親が50歳代で急逝しました。年末のあわただしい時期だったこともあり、周囲には知らせず、家族だけの小さな葬儀にしようと思っていました。結果的には周りの方の知るところとなり、多くの親族、知人や近所の方が訪れてくださり、大変忙しく過ごした記憶があります。悲しみを感じるというよりも、忙しさに紛れて日々を過ごしたという印象が強く残っています。父親は小さな会社を経営しており、残務整理がとても大変だったのですが、何もわかっていなかった私はほとんど役にたたず、母親が奔走していたことだけは記憶に残っています。葬儀や四十九日、一回忌、三回忌、十三回忌と重ねるうちに私自身のこころのなかの父の死の意味が少しずつ変わってくることも感じました。そういう意味で、こういった儀式の意義も実感することができました。
私が尊敬する元上司の国立がん研究センター名誉総長、垣添忠生先生は、ご自身ががんの研究者、臨床医、またがんを経験された患者さんであると同時に、最愛の奥様を肺がんで亡くされたという遺族としての経験をされておられます。垣添先生はその際の絶望と回復の軌跡を数冊の著書(「悲しみの中にいる、あなたへの処方箋」「妻を看取る日―国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録」「巡礼日記―亡き妻と歩いた600キロ」「亡き妻と歩いた四国巡礼日記―七十六歳の結願」)に克明にまとめられています。世界に名を馳せたがん研究者であっても、1人の遺族として経験する死の悲しみは多くの方と共通のものであることを伝えてくれています。そして誰1人として同じ死はありません。同時に人は悲しみの中にあっても生きていく意味をみいだすことができることも教えてくれています。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。