連載がん“当事者”のこころを支える「精神腫瘍学」を知っていますか?

耳慣れない「サイコオンコロジー」が必要とされるわけ

公開日

2019年07月04日

更新日

2019年07月04日

更新履歴
閉じる

2019年07月04日

掲載しました。
59c095494e

名古屋市立大学病院 ・こころの医療センターセンター長、名古屋市立大学病院 ・緩和ケアセンターセンター長、名古屋市立大学病院 副病院長、名古屋市立大学大学院学研究科 精神・認知・行動医学分野 教授

明智 龍男 先生

この連載のタイトルは「がん“当事者”のこころを支える『精神腫瘍学』を知っていますか?」です。この「精神腫瘍学=サイコオンコロジー」という医学、医療の領域はまだまだ多くの方にとってなじみのないものだと思います。私自身の自己紹介も兼ねて、今回はサイコオンコロジーという新しい領域をご紹介したいと思います。

がん手術後に主治医が精神科を紹介

60代の女性のAさんの例です。「がんと診断され、手術までは、あれこれ考える暇もなく、あっという間でした。ただ手術の後のからだの状態が思ったよりもつらくて、退院して家に帰ってからも横になってばかりでした。わけもなく涙も出てきますし、夜も眠れない状態が続いたので、心配した主人が外科を受診したときに一緒についてきてくれたんです。主治医の先生に、同僚の精神科の先生のところに行くことを勧められました。抵抗があったのですが、つらい状態を抜け出せるなら……と思って思い切って受診しました」

精神科医への相談

サイコオンコロジーはなぜ必要とされるのか

サイコオンコロジー(Psycho-Oncology)は、患者さんとご家族を含めた“がん当事者”の、がんと「こころ」の関係を扱う学問領域のことをいいます。サイコロジー(Psychology:心理学)、サイカイアトリー(Psychiatry:精神医学)およびオンコロジー(Oncology:腫瘍学)などの用語から成る造語で、日本語としては前述のように「精神腫瘍学」と翻訳されています。日本サイコオンコロジー学会という専門の学会もあります。

サイコオンコロジーは、欧米でがんの診断病名を患者さんに伝えることが一般的になった1970年代に産声をあげた、まだとても若い学問です。

なぜ、このような学問が必要とされるようになったのでしょうか。

この連載の前回前々回でもご紹介したように、がんと診断されることは大変なショックです。多くの患者さんは頭が真っ白になってしまったり、病気を認めたくなかったりといった、強い気持ちの動揺を経験します。特に診断から1~2週間ぐらいの間は「これからどうなるんだろう」といった不安を抱く▽「がんになるなんてもうだめなのか」といった絶望的な気持ちになる▽食欲が落ちる▽眠れなくなる――などの心身の変調が一過性に出やすくなります。ただ、これらはだれでも経験する当たり前の心の動きです。

実は、多くの方は数週間ほどたつと、気持ちのつらさは続いていても、「家族のためにも、頑張っていい治療を受けよう」「がんになっても元気に過ごしている人もたくさんいる」など、少し新しい視点でがんを見つめることができるようになります。

しかし、がんに伴うストレスが極めて強かったりその他のストレスなどが加わったりすると、このように考えることができない方も多くなってきます。そうした患者さんには、がんそのものの治療に加えて、こころのケアが必要となります。

サイコオンコロジーは、こうしたがん患者さんやご家族を精神医学的あるいは心理社会学的にサポートして最善の治療が受けられるようにすることで、患者さんの生活の質(QOL)向上支援を目指すことを目的の1つとしています。

変わる「がん」のイメージ

では、さまざまな病気がある中で、なぜ、がんは特にこのようなサポートを提供される必要があるのでしょう。

病気はさまざまな面で社会から影響を受け、独特の「イメージ」があります。疾患の性質を的確に表現していないということで「痴呆」が「認知症」という名前に代わったことをご記憶の方も多いのではないでしょうか。

それでは、皆さんは「がん」という病気についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。「怖い病気」「痛みで苦しむ病気」「死を連想させる病気」「治療すれば治る病気」「ノーベル賞を受賞した本庶佑先生の免疫療法」などさまざまなイメージが浮かぶのではないでしょうか。かつては亡くなるまでがんであることを隠しておく人がほとんどでしたし、そもそも患者さん本人にがんであることを知らせないことも多々ありました。しかし最近では、芸能人や政治家などの有名人もがんを公表することが珍しくありません。

数字から見る「がんという病」

そのように、受け止められ方も変わってきたがんという病気を、数字の面からご紹介します。がんは1981年にわが国の死亡原因のトップになり、現在も第1位のままです。国立がん研究センターの「最新がん統計」によると、現在、がんによる死亡者数は年間37万人を超え、総死亡者数の約30%を占めています。2016年は約99万5000人にものぼるなど、毎年100万人近くの方が新たにがんと診断されています。

私たちが暮らしている今の時代では、2人に1人の方が生涯のうちにがんを経験する時代なのです。このようにみてみますと、がんは誰でもかかる可能性のある病気といえそうです。

がんの患者さん

一方で、がんになっても5年以上生きている患者さんの割合が半数を超えるなど、新しい治療が飛躍的に進歩している病気であるとも言えます。少なくとも、「がん=死」という連想は一昔前のもののようです。

このように、がんになる人、治療を受ける人が増えています。そして、治療が進歩しているにもかかわらず、いまだにがんと向き合うことを大きなストレスと受け止める人が多数います。そうした社会の情勢が、サイコオンコロジーが必要とされる背景となっているのです。

なぜサイコオンコロジーという学問を選んだか

私は郷里の広島の大学を卒業後、精神科医の道を志し総合病院で働いていたのですが、国立がんセンターのサイコオンコロジー部門の開設に参加させていただく機会に恵まれました。1995年のことです。それまでがんの患者さんのこころのケアに悩むことも多かったので、私には絶好の機会でした。以降、約10年間、私自身は精神科医として国立がんセンターでの職務に没頭していました。2004年からは名古屋市立大学の精神科で働いています。また、先にご紹介しました日本サイコオンコロジー学会の代表理事を務めています。

「がんとこころ」「こころとがん」のかかわりを明らかに

サイコオンコロジーには、大きく2つの柱があります。その1つは前述のように「がんが患者さんとそのご家族のこころに与える影響」を明らかにし、そのケアの方法を考える、日常の診療にとても関係の深い領域です。もう1つは「こころや行動が、がんの罹患(りかん)や生存など身体的な転帰(病気が進行して行きついた結果)に与える影響」を研究する領域です。これは、例えばある種の性格やストレスなどの存在ががんへのなりやすさに影響するのか、病気と前向きに闘うと長生きできるのか――といったことを調べる領域です。

冒頭でご紹介したAさんへの対応は、このうち1つ目の柱にあたります。

診察の結果、Aさんは軽いうつ状態でした。お話をうかがうとともに、きもちの負担からくる症状であることを伝えて、少量の抗うつ薬と睡眠薬を処方しました。そうしたところ約1カ月でずいぶん元気になられ、睡眠薬も中止することができました。その後しばらくして抗うつ薬も中止し、今では元気に過ごしておられます。いまAさんは「なぜ、あのときはあんなに悪い方向にばかりものごとを考えていたのだろう」と、不思議な気がするそうです。

 

  ◇  ◇  ◇

 

この連載では、がんとこころを扱うサイコオンコロジーという領域の内容について、一般の方に知っていただきたいことや役に立てていただけそうな情報を中心に紹介していきたいと思っています。

取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。