高本眞一先生は東京大学医学部で胸部外科教授をつとめ、現在は三井記念病院で病院長をされています。高本先生は心臓血管領域で多くの世界的実績を残された一線の臨床医であると同時に、最愛の奥様を乳がんで亡くしておられ患者の家族としての経験もお持ちです。このように「医師」と「患者の家族」双方としての経験を通じた医療のあるべき姿についてのお考えを『患者さんに伝えたい医師の本心』(新潮新書)にまとめ、出版されました。今回は高本先生に患者さんと医師との関係のあり方について伺いました。
みなさんは「医師」という言葉から何をイメージしますか?
「病気の知識を持ち治療を行う人」でしょうか? 確かにそれは正しいでしょう。では、少し考えてみてください。その知識というものは果たして完璧なものでしょうか。また、何をもって完璧と言えるのでしょうか。
医学が進歩したとはいえ、病気におけるすべての段階でのメカニズムが解明されているわけではありません。受精卵という細胞からこの複雑な人体が形成されていくという神秘に思いを致せば、今得られている医療の知識というものは、真実と考えられるもののうちのごく一部、氷山の一角に過ぎないと言わざるを得ません。
たしかに病気に対する知識を持って治療を行うのが医師であり、日々医学も進歩していくでしょう。しかし、「今現在」分かっている知識を駆使して治療するだけであり、患者は自らの生命力によって病気から治っていくと考える方が正しいと思います。そう考えると大きな「命」というものの前では医師もちっぽけな存在でしかないのです。
私自身、妻を乳がんで亡くしたという経験から身をもって実感したことでもあります。私は心臓血管外科が専門なので、乳がんという全くの専門外の病気に関しては一般の患者さんと同じ立場でした。そのとき、担当の乳腺外科の医師にどうか見捨てないでほしいという、すがりつくような気持ちを持ちました。また同時に、命というものは人間を超えた大きな力で動かされているのだと実感しました。
ですからその大きな、偉大な「命」の持ち主である患者さんご自身が、「自分の命に責任を持つ」という自覚を持って頂きたいのです。つまり医師の言うことが正しいとして全てを鵜呑みにするというのではなく、ご自身でも病気や伴うリスクについて主体的に勉強し、理解を深めていくことが「ご自身の命に責任を持つ」ということになるのだと思います。
自分の妻の病気の経験から、医師としての私自身も患者さんに寄り添って「ともに生きる」ということへの意識が強くなりました。「ともに生きる」ために患者さん側が責任をもって努めることしては、たとえば簡単な例であれば「手術前には呼吸機能が落ちて痰が出やすくなるからタバコをやめる」「体調を整えて手術を受ける」「医師、看護師などとも患者の側からも信頼関係を築く」ということが挙げられるでしょう。このように、患者さんご自身が大切な命に責任を持ち、医師、看護師、薬剤師などの医療スタッフとともに1つのチームとなって「ともに生きていく」という姿勢で治療に臨むということが質の良い医療に繋がると考えています。
患者さんが病院を選ぶ際に一番気になるのは、やはり治療成績ではないでしょうか。しかし、その数字が良いというだけでは質の良い医療とはいえません。医師や看護師などのスタッフがどれだけ親身になってくれるのかということも医療の質に大きく関わってきます。
しかし、それを知ることは簡単ではありません。手術を受ける前に外来に行かれると思いますが、その際の病院のスタッフの対応から病棟での対応をだいたい推測出来るので、それを参考にされるというのも良いでしょう。挨拶をしてくれる、話を聞いてくれる、あとは病棟がきれいであるということも、快適に過ごすためには考慮すべき要素かもしれません。
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