インタビュー

病院の定義。病院の歴史を紐解く

病院の定義。病院の歴史を紐解く
熊川 寿郎 先生

国立保健医療科学院 医療・福祉サービス研究部 主任研究員(再任用)

熊川 寿郎 先生

この記事の最終更新は2015年12月23日です。

日本において西洋医学でいうところの「病院」という概念が広まったのは、明治新政府が1868年に医療として西洋医学を全面的に採用するとした「西洋医術許可の布告」を出して以降のことです。つまり、それ以前の東洋医学のなかには、今日的な「病院」という概念は存在していませんでした。明治維新を契機に、突然医療提供体制が全面的に西洋化され、「病院」という概念が入ってきたわけです。それでは現代の日本において病院とはどのように位置づけられているのでしょうか。国立保健医療科学院医療・福祉サービス研究部主任研究官の熊川寿郎先生にお伺いしました。

西欧諸国においては、診療所と病院は別個のものとして作られてきました。中世封建時代には、病院は領主や富裕層により設立され、宗教の慈善活動の一環として運営されていた歴史を持ちます。このように西欧諸国における病院は公的な性格が強く、規模も比較的大きなものでした。今日でもヨーロッパの一般的な地方都市は人口が30万人くらいで、その中核に教会や学校と並んで病院があります。

それに対して明治維新以前の日本には、一般的な病院という概念がありませんでした。江戸時代の医療は漢方が中心であり、漢方医が自宅で療養している病人を往診する形が一般的だったのです。したがって、病人が漢方医のところに出向いたり、施設に収容されて治療を受けたりという形は一般的ではありませんでした。しかし明治維新以降、西洋医学が全面的に取り入れられたあとから診療所がつくられ、その診療所が大きくなって個人経営の比較的小規模な病院が全国に設立されました。

今日の日本の「病院」は「病床数が20床以上の医療施設」と定義されており、20床未満の病床を有する医療施設は「診療所」と定義されます。つまり日本においては、ベッド数が20床の病院から1000床以上の病院まで、ありとあらゆるタイプの病院が存在するのです。このことは日本の病院を説明する上での大きな特徴であり、明治以降地域の実情に合わせて民間の力で診療所と病院が作られてきた経緯を示しています。

日本の場合、国民が必要とする基本的な医療は政府が管轄する「医療保険制度」でカバーされています。一方で、医療行為という「サービス」を提供するのは民間の診療所と病院がほとんどを占めています。このように医療制度のファイナンスについてはパブリックセクター、デリバリーについてはプライベートセクターという形であることが最も大きな特徴です。

医療保険制度では「償還払い方式」(患者が受診時に一旦全額を支払い、後日保険者から保険給付として費用の償還を受ける方式)ではなく、「現物給付方式」(医療そのものを給付する方式で、患者は受診時に医療の全額ではなく一部負担のみを支払う方式)が採用されています。また、医療保険制度は分立していても診療報酬は同一であり、医療機関は経営原資のほぼ100%を診療報酬に依存している形になっています。つまり、日本においては、診療報酬によりデリバリーのあり方をコントロールすることが可能なのです。

医療を取り巻く環境が大きく変化するなかで、これまでの病院の顧客(患者)が、今後病院に何を求めてくるのかということを改めて考えることが非常に重要になります。場合によっては、今までの病院のミッション(存在理由)を変える必要があるからです。

地域医療ビジョンや地域包括ケアシステム(詳細は『高齢化対策と地域包括ケアシステム』)の新たな枠組みのなかで、たとえば、入院医療から在宅医療への移行という大きな流れがあります。しかしながら、そのことに対応しようとすると、現実的には非常に困難な問題を解決する必要が出てきます。

顧客たる患者の満足を獲得するために、病院や診療所はできるだけ質の高いサービスを提供したいと考えます。そうすると、小規模な病院や診療所であっても、地域のニーズにこたえようと努力をするのであれば、借金をしてでもMRI やCTなどの高価な医療機器を購入する、あるいは設備を良いものに更新することがあるでしょう。

一方、今日の医療を取り巻く環境の変化に合わせて、医療機関は地域特性を勘案した上で機能分化と連係を強化する必要があります。とはいえ、ある日突然「この地域の特性を考えると、あなたの施設はこのような機能を果たす必要があるので、機能を変えてほしい」と言われても、それまでのミッションや雇用や経営上の理由などから、組織のあり方を抜本的に見直すことは現実的に困難でしょう。

しかしながら、環境の変化に組織を適合させ顧客満足を追求しないと組織は消滅してしまいます。現場のリーダーは変化すること自体を拒むのではなく、変化することでこれまでに培ってきたものを失うことを恐れます。組織を環境の変化に適応させることにより新たな価値が生まれ、そのことが未来の顧客満足の獲得につながるという視点を持つことが、大変革期のリーダーには期待されます。

  • 国立保健医療科学院 医療・福祉サービス研究部 主任研究員(再任用)

    日本血液学会 血液専門医日本老年医学会 老年科専門医日本内科学会 認定内科医日本医師会 認定産業医

    熊川 寿郎 先生

    昭和大学医学部を卒業後、東京都老人医療センター血液科・免疫輸血科にて臨床に携わったのち、2003年に筑波大学大学院にてMBAを取得。その後、2004年に国立保健科学院経営科学部に就任し、2011年より同院医療・福祉サービス研究部部長、2015年より主任研究官。血液専門医として豊富な経験と知識を持つ傍ら、病院が組織として高齢化する未来に貢献していくためにはどうすればいいのかを研究し、医学と経営学の双方の観点から医療を見つめる、数少ない研究者のひとり。