記事1『悪阻(つわり)とは? 悪阻の原因と症状、受診のタイミングについて』では、悪阻の原因としてエストロゲンやhCGなどのホルモンが関わっていることをご説明しました。妊娠中に増加するホルモンが嘔吐中枢を刺激し、悪阻が発生することはかつてから言及されてきましたが、それ以外にも悪阻が発生するメカニズムはあると考えられます。第一に挙げられるのは、マグネシウムと悪阻の関係性です。引き続き東京慈恵医科大学元教授客員教授/茅ケ崎市立病院産婦人科元部長の恩田威一先生にお話を伺いました。
マグネシウムは胎児・胎盤の成長および子宮筋収縮・抑制に必要な栄養素です。また、中枢神経に優先的に取り込まれます。さらにインスリン抵抗性を軽減します。また、赤ちゃんがお腹の中で発育する際や子宮収縮予防にも必要です。私は、このマグネシウムが血液中で不足することによって、悪阻が発生するのではないかと考えています。
妊娠初期では細胞内にマグネシウムが増加し、血清中のマグネシウムが低下します。これまでの白人を対象にした報告によると血清総カルシウム値も妊娠中に低下しますが、血清アルブミン値も低下するため、血清イオン化カルシウム平均値は妊娠初期にわずかに上昇しますが、有意差検定を行うと妊娠前と変わらないまま、しかし、血清イオン化カルシウム値の分散が大きく、此の値が高めで悪阻の症状が出やすい方もいると考えられます。
カルシウムとマグネシウムの生理作用は拮抗(力の同等なふたつの物質が互いに干渉しあい、効果を打ち消し合う)する仕組みになっています。そのため、イオン化カルシウムが増えていなかったとしても、比率的には血液中のイオン化カルシウム値が高まったことになってしまいます。このため、妊娠初期は高カルシウム血症の状態を引き起こしやすくなり、高カルシウム血症により腸の蠕動が抑制され胃液の分泌が亢進し、悪阻が発生・持続します。
福岡、その他の日本人報告者は悪阻の時期には血清イオン化カルシウムの増加がみられることを報告しています。血清hCGが高値なほど悪阻の症状が酷く、甲状腺ホルモンのfT4が高値なことが知られています。さらに甲状腺機能亢進時には骨吸収が増し血清カルシウム値が増すことが知られています。
さらに、私は日本人が白人に比べて同じ妊娠週数の血清hCGが高値であることを報告しています。さらに脱水を伴うと高カルシウム血症の症状が強く出ることが知られています。またナトリウムの摂取不足があると体内のカルシウム出納がマイナスになることが知られております。骨のカルシウムが血液中に溶け出すと推測されます。このことも血清イオン化カルシウム上昇に関与すると推測されます。
血清イオン化マグネシウムが高値なときには低マグネシウム血症も悪心や嘔吐を増幅させます。妊娠初期にはマグネシウムが細胞に大量に取り込まれるため(細胞内マグネシウムが増加しインスリン感受性が増します)、血清マグネシウム値が低下します。これと同時に妊娠末期に向けて空腹時の血糖値が低下しインスリン基礎分泌が低下し、副交感神経の活性化が優位となります。副交感神経が優位なほど、悪阻症状が強くなることがわかっています。血清マグネシウムは妊娠末期に向けて低下し続けますが、細胞内マグネシウムは、妊娠中期以降と妊娠前で同じ状態になります。妊娠末期に向けて母体血清中にインスリン抵抗性を増すホルモンが増えます。そのため悪阻の時期を過ぎると、多くの妊婦さんはインスリン抵抗性が増大し、インスリン分泌が増え、次第に交感神経活性優位になります。
マグネシウムは細胞分裂を行うのにも必要です。350種類以上の酵素のはたらきに関与しています。たとえばアンモニアを排泄する尿素回路や脂溶性の物質を排泄するのに必要なグルクロン酸産生にも必要です。悪阻の時ばかりではなく妊娠高血圧症候群の方でもマグネシウムが不足しているとの報告があります。マグネシウムは妊娠中、不足しやすくなる傾向があります。マグネシウムの摂取を意識する妊婦さんはほとんどおらず、日本人のマグネシウム平均摂取量も減少しているのが現状ですが、妊娠初期の悪阻を予防するために非常に重要なミネラルであると考えられます。
腸の蠕動低下は、腰腹部に腹帯をしたり、冷えた炭酸水を150ml以内の少量飲んだりすることにより、改善が望めます。
妊娠中に牛乳が飲めなくなる方がいます。これは、妊娠初期に血清中のイオン化カルシウムが高くなる方がいて、さらに妊娠すると妊娠前よりも体内の活性型ビタミンD3が増加するため、牛乳が容易に消化吸収されて体内に取り込まれることで、普段よりも血清中のイオン化カルシウムが増えやすくなるためだと考えられます。さらに妊娠中は、脱水により高カルシウム血症の影響が出やすくなります。マグネシウムを含んでいるバナナを牛乳と一緒に摂ると牛乳を飲んだ後に気持ちが悪くならない方もいます。
カリウムはマグネシウムと同様細胞内ミネラルであり、妊娠中、胎児や胎盤に大量に取り込まれます。そのため妊娠末期になると大幅に血清カリウム値は低下します。血清カリウム値の低下に伴い、腸の蠕動抑制や血清浸透圧の低下が引き起こされて、悪阻が増悪します。
カリウムを多く含む果物を食べると心地よく感じる方がいるのは、カリウムを補給することでこれらの状態が改善されるためです。
妊娠していないときには、塩分を通常の10倍摂取しても、逆に10分の1しか摂取しなくても、血液の中のNaは一定に保たれ、血清浸透圧が一定に保たれています。ところが、女性は妊娠すると全身の血管が拡張します。特に子宮、そのなかでも胎盤付着部の血管が拡張し、それに追いつくような形で主に子宮への血流量が増加します。このとき心臓の拡大に伴いANP(心房性ナトリウム利尿ペプチド)という物質も一緒に増加するのですが、ANPはナトリウムの排泄を促す作用を持ちます。このふたつの現象が同時に起こると、循環血液量の増加にナトリウムの増加が伴わなくなってしまい、血液中にナトリウムが不足するのです。
血清ナトリウム値が低下すると、血清浸透圧が低下します。血清浸透圧の低下の速度が急激なほど細胞内の浸透圧の調整が追いつかず、細胞のむくみが起こります。脳の細胞までむくむと脳が頭蓋骨に覆われているために悪心や嘔吐といった悪阻症状につながります。このような血液浸透圧の低下は妊娠6~12週にかけて急激に起こることがわかっています。
妊婦さんが「水を飲んでも気持ち悪くなる」というのは、真水の摂取によってさらに血清浸透圧が低くなることが原因となっているのです。
妊娠中は塩素も体内で不足しますが、塩素の不足によって、でんぷんの消化ができなくなることが知られています。
糖を分解する酵素「α-アミラーゼ」は、唾液や膵液で分泌され、塩素によってその活性が保たれます。つまり塩素のはたらきによってα-アミラーゼは正常に作用し、でんぷんをブドウ糖に分解できるということです。
妊娠中、血液中のナトリウムが足りなくなると腺房から分泌されたα-アミラーゼとナトリウムと塩素の内ナトリウムが導管で再吸収されそれに応じて塩素が再吸収されるために、α-アミラーゼが活性化せず、うまくでんぷんの消化ができません。でんぷんが消化されないと、小腸で糖分が吸収されず、大腸で腸内細菌によりガスに変化します。悪阻時には高カルシウム血症、低マグネシウム血症により腸蠕動運動が抑制され、腸に溜まったガスの影響も加わり麻痺性イレウスのような症状をあらわして食欲低下や不眠、悪心につながります。
悪阻を自覚している妊婦さんに飴と塩飴を舐め比べていただく実験を行ったところ、下記のような結果が得られました。
表のとおり、軽症の悪阻の方は飴・塩飴ともに「おいしい」と感じる傾向にありました。一方、悪阻が重い方はα-アミラーゼのはたらきが悪く飴が口腔内で消化されないため、飴がべとべとしているように感じ、おいしいと感じられませんでした。
一方塩飴は塩素を含んでいるため、α-アミラーゼが活性化して飴の糖類が消化吸収されやすくなります。このため、重症の悪阻の方でも食べやすくなったと考えることができます。
「塩分制限をしないと妊娠高血圧症になるのではないか」と考えている方は多くいらっしゃいます。実際、妊娠高血圧症にならないように自らナトリウム制限をする方が多数見受けられますし、周囲の方が制限させる場合もあります。しかし妊娠初期の場合は、塩分制限がかえって悪阻を悪化させると考えられます。
NEWMAN RL, et al. Obstet Gynecol. 1957;10:51-5. より
妊娠初期において体内のナトリウム値は若干減少します。この時期に塩分制限をしてしまうと、前述したように浸透圧の低下やα-アミラーゼの不活性化が起こり、悪阻が悪化してしまうことになるのです。
では塩分制限をせずに妊娠高血圧症候群を防ぐためには、何が効果的なのでしょうか。
妊娠後期になると、インスリン抵抗性・インスリン過分泌になって、尿細管からナトリウムの再吸収が促進されます。これにより、ナトリウムが体内にたまりやすくなります。インスリン過分泌では交感神経活性優位となります。その結果、妊娠高血圧症を起こしやすくなります。妊娠高血圧症候群の発症にはその他の因子も関与します。
ですから、妊娠高血圧症を予防する一つの方法として、インスリン抵抗性を軽減するようにすればよいのです。インスリン抵抗性を予防するためには、体重が増えすぎないように意識すること、マグネシウムを十分に摂取することのふたつが重要となります。
実は、このふたつを意識するだけで、軽症の妊娠高血圧症をある程度軽減することができます。妊娠高血圧症候群はさまざまな要因が加わり発症することが知られています。軽症と重症では発生原因が異なり重症妊娠高血圧症候群の発生には胎盤の形成障害が関与していることが知られています。重症時にもマグネシウムが不足しており、治療に硫酸マグネシウムの点滴が用いられます。
東京慈恵医科大学 元教授・客員教授 、茅ケ崎市立病院 産婦人科元部長、 慈誠会病院 勤務
恩田 威一 先生の所属医療機関
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