末期がんの患者さんが、住み慣れたご自宅で最期を迎えるための「在宅緩和ケア」が今、注目され始めています。
増える独居世帯や老々介護のご家庭でも、入院することなくご自宅で安楽に過ごすことは可能なのでしょうか。また、「看取る」側のご家族が抱える不安を、医師はどのようにケアしているのでしょうか。年間140件もの看取りを行うクリニック川越の院長・川越厚先生にお話しを伺いました。
クリニック川越(東京都墨田区)では、末期がんの患者さんの場合、墨田区だけでなく、台東区、江戸川区、中央区、千代田区など、車で20~30分を要するエリアにお住まいの方も対象に含め、診療を行っています。このように広範囲にわたる診療を行う理由は、がん患者さんの在宅緩和ケアには高い専門性が必要であり、各地域に点在する一般診療所では対応が難しいこともあるからです。
当院のように、厳しい症状を抱えるがん患者さんにも在宅緩和ケアを提供するための、一定の施設基準を満たして届け出た診療所を「在宅緩和ケア充実診療所」といいます。
過去には、在宅ケアにおいてはご家族の介護も不可欠と考えられてきましたが、在宅緩和ケア充実診療所が初めから関わることで、過去には難しいと考えられていた独居や老々介護のご家庭でも、住み慣れた家での生活を最期まで続けることが可能になりました。
しばしば、「本当に一人暮らしでも在宅緩和ケアを受けられるのか?」という質問を受けることがありますが、私はご自宅で最期を迎えることは「当たり前」にできることである、とお答えしています。そのために様々な法やサービスが整備され、在宅緩和ケア充実診療所が生まれたと考えてもよいでしょう。
在宅緩和ケアは、いわゆる「お金持ち」の方しか受けられない高額なものである、と考えている方も多いようですが、これは誤った認識です。
実際には、生活保護を受けていらっしゃる独居の末期がん患者さんなどもいらっしゃいます。また、ご家族がおらず、民生委員の方の連絡により医療の手が必要だとわかる患者さんも存在します。
当院の患者さんの中には、「住み慣れた我が家で残りの時間を過ごしたい」という積極的な意思を持ち、在宅緩和ケアを選ぶ方も多々おられます。しかし、それ以上に多いのは、病院や介護施設では為す術がないと診断され、紹介状を持ってこられる方々です。
ですから私自身も、病院や施設では受け止めきれない患者さんを、その方の持つ背景などは一切問うことなく、在宅で看取ることを使命としています。
前項で述べた通り、当院には病院からの紹介で来られる患者さんが多数おられます。こういった患者さんの中には、ご自身が余命の短い末期のがんであることを知らされていない方もいらっしゃいます。そのため、まずは紹介状に書かれていることの中から、患者さんご自身に伝えるべきことを見極め、噛み砕いて説明します。
このようなやり取りが発生することからもわかるように、死期を前にされた患者さんをケアするにあたっては、精神面のケアが肝要です。
EMB(根拠に基づく医療)が最重要視される現代、誰もが同じ質の医療を提供できることが求められ、診療もマニュアル化されています。
しかし、在宅緩和ケアに関しては、EMB以上に、患者さんやご家族との信頼関係が最も大切であると考えます。よりよい信頼関係を築くために、私は患者さんに「あるがまま」になっていただけるようなコミュニケーションを心掛けています。そのためには、医師側も懐を開き、心を通じ合わせることが大切です。
在宅緩和ケアと病院や施設での緩和ケアを比較すると、両者には様々な違いがあります。
当院の場合は、患者さんと接する時間が非常に長いことが特徴です。
また、医療の質や医師に要求されるものも、非常に高いと考えます。
私の考える在宅緩和ケアとは、「人が死にゆくときに関わる医療」であり、人間がその人生の中で繋がれていった沢山の鎖を、上手に外していくというものです。
具体的に、医療に焦点をあてて鎖とは何か考えてみましょう。なんらかの病気を持っている方の多くは、高血圧の薬、高脂血症の薬と、複数の薬剤を服用しています。これらの薬も沢山の鎖の一種であり、私たちは適切な判断力をもって外せる薬は外していきます。
一部の病院では、鎖を新たに増やしてしまうような医療行為も見受けられますが、これは1か月ほどで亡くなってしまう患者さんに行うべき医療ではありません。
何を続け、何を外していくか-この見極めは医療者として十分な経験を積んでいなければ難しく、それゆえ、医師に要求されるものは高いと考えるのです。
在宅緩和ケアを受けられる患者さんの多くは、ご家族と共に残りの時間を過ごしたいと思う一方で、「自分が家にいることが、家族の負担になっているのではないか」「入院すれば、家族は今まで通りの暮らしを送れるのではないか」という自責の念にさいなまれています。
一方でご家族は、「やれることは全てやりたい」というお気持ちと、ご自分にも家族や仕事があり、全てをささげることができないという現実に悩まれます。このようなジレンマが交錯する中で、私は「家族の役割とは何か」を一家族ごとに考え、調整を行います。
また、2017年9月から、当院は2床の有床診療所となりました。介護する家族が体調を崩したり、家を空ける用事ができた場合や一人暮らしで不安が大きくなった場合などに、在宅ケアから一時的に避難できる場所「小さな宿泊所」として、ご利用いただけるようになりました。
たとえば、患者さんには腰の悪い奥さんがいるとします。奥さんには介護をしたいという気持ちが強くあるものの、体は思うように動かず、「自分には何ができるのか」と懊悩されています。
このようなとき、私は「奥様の“役割”は、そばにいて手を握ってあげることです」とお伝えします。ずっとそばにいて手を握り続けることは、医療者にはできないことであり、患者さんにとっては大きな安らぎとなる重要な役割です。
上記はご家族が家にいる場合の例ですが、仕事や家庭を持っている方は、患者さんに常に付き添うことはできません。こういったご家族の役割は、手を握りつづけることではなく、少しだけ生活パターンを変え、患者さんと共有する時間を増やすことです。
ご家族には、患者さんの心の中に「家族が自分のために生活を犠牲にすることは忍びない」という想いがあることを理解してほしいとお伝えし、仕事をやめる必要はないとお話しします。
仕事帰りに同僚と飲みに行く、スポーツジムに行く、こういった生活のパターンや習慣をその期間だけ調整し、患者さんと過ごすためにまっすぐ帰宅するだけでよいのです。
また、ご家族には「末期がんの患者さんは、最期まで比較的元気であり、ADL(食事や排せつなど日常生活動作)が保たれた状態で過ごされるケースが多いこと」、「ケアの手が必要になるほど調子を崩されるのは、最後の1週間であること」をお話しします。また、“そのとき”が来たら、介護の負担を軽減するために、介護保険制度を適切に利用しましょう、というお話もします。
このほかにも、在宅緩和ケアを受ける患者さんのご家族が抱える不安は尽きません。苦しむ姿をみるのではないか、本当に自宅で看取ることは可能なのか、小さな心配事が胸に蓄積し、増大していくこともあります。
これらの不安を早期に解消するために、ご家族には「救急車を呼ぶのとは異なり、家族間のもめ事など、些細な困りごとでも電話してほしい」ということをお伝えします。
「24時間、いつでも電話していいんですよ」という言葉により、安心されるご家族も多いものです。
患者さんは死を迎えると、物理的にはその場からいなくなってしまいます。しかし、のこされたご家族は痛みや悲しみを背負って、これからも生きていかねばなりません。ですから、私は家族調整とは「家族ケア」であると捉え、それぞれの役割を考えていきます。
在宅ケアにおいて危惧されることのひとつが、医師の誤った家族調整により、うまくいっていた家族が掻き回されバラバラになってしまうことです。逆に、適切な家族調整を行えば、散り散りだった家族がひとつになり、患者さんを看取ったあともまとまりをもって生きていかれます。これこそ、私たちの行う「家族ケア」です。
在宅緩和ケアとは、適切な症状緩和により、患者さんに自分らしい生活を最期まで貫いていただくことにとどまりません。患者さんを支えるご家族が、家で看取ることができたという満足感を抱き、悲しみを乗り越えて生きていけるよう手助けすることも、私たちの重要な役割なのです。