大動脈弁狭窄症や大動脈弁閉鎖不全症に対して、自分自身の心膜(心臓を取り囲む薄い膜)を使って大動脈弁を再建する手術があることをご存知でしょうか。この手術では、自分の組織を使用するため、抗凝固薬(血液をさらさらにする薬)を飲む必要がないなどの大きなメリットがあります。
今回は、自己心膜を用いた大動脈弁再建術を積極的に実施している、浜松医療センター心臓血管外科部長である田中敬三先生に手術の方法やメリットについてお伺いします。
自己心膜を用いた大動脈弁再建術とは、患者さん自身の心膜(心臓を取り囲む薄い膜)を使って3枚の大動脈弁を作成し、弁輪部(弁の周囲)に縫合する手術治療です。大動脈弁狭窄症や大動脈弁閉鎖不全症などの大動脈弁膜症に対する根治手術として行われます。
これまで、大動脈弁膜症の手術治療は「弁置換術」が標準的な治療法でした。これは、悪くなってしまった弁を人工弁(機械弁または生体弁)に入れ替える治療法です。
機械弁はカーボンや金属などでできた人工弁で、耐久性に優れている一方で、抗凝固薬を生涯服用し続けなくてはいけません。
生体弁はウシの心膜やブタの心臓弁でできており、抗凝固薬の服用は数か月程度でよいというメリットがありますが、手術後10年以降にある程度の割合で弁の劣化が起こると報告されており、機械弁と比較して耐久性に劣るという問題点があります。
また、弁置換術自体、弁輪部に人工弁を支えるためのステントを装着する必要があります。このステントがあるために、ステントの厚さ分だけ弁口面積(血液が心臓から出ていく通り道の広さ)が小さくなります。
すると、血液が心臓から大動脈へ流れにくくなることで、心臓にかかる負荷が大きくなってしまいます。特に、小柄な女性の場合には、大動脈弁口面積がもともと小さい方も多いため、ステントによる影響をさらに受けやすい状態にあります。
このような弁置換術が抱える課題を克服するべく、自己心膜を用いた大動脈弁再建術が東邦大学医療センター大橋病院の尾崎重之先生によって開発されました。
次章では、本手術の具体的な方法と治療の流れについて解説します。
まずは、大動脈弁を作成するための心膜を採取します。心膜は大動脈弁再建術に使用するだけではなく、心臓破裂の修復などにも使用される利便性の高い組織です。
心膜を採取してできた欠損部は、人工的に作られた心膜シートで補填します。
採取した自己心膜の強度を上げるために、グルタルアルデハイドという特殊な溶液に10分ほど浸します。グルタルアルデハイドを浸透させることで、正常な大動脈弁に比べて4倍以上の強度になります。
悪くなっている大動脈弁を切除したあと、弁尖サイザーを使って、作成・縫着する弁の大きさを決定します。このとき弁の大きさが、少しでも小さかったり大きかったりすると弁の動きが悪くなってしまうため、慎重にサイズを計測します。
弁のサイズを決定したら、グルタルアルデハイドに浸透させた心膜から、大動脈弁の形の心膜をトリミングします。
トリミングした自己心膜を弁輪に縫い付けながら大動脈弁を作成します。
自己心膜を用いた大動脈弁再建術には、人工弁を用いないことによるいくつかのメリットがあります。
人工弁による弁置換術では、機械弁では生涯、生体弁では数か月間、抗凝固薬を服用する必要があります。
一方、自己心膜を用いた大動脈弁再建術では、術後しばらくはアスピリンによる抗血小板療法が必要ですが、抗凝固薬を一切服用する必要がないことが大きなメリットといえます。なぜなら、抗凝固薬は、服用方法を間違えると重篤な合併症を引き起こす危険性があるためです。
たとえば、抗凝固薬を飲み忘れると、弁付近に血栓(血の塊)ができてしまう恐れがあります。すると、血栓によって弁の動きが悪くなってしまったり、血栓が脳へ流れて詰まり脳梗塞を発症したりすることもあります。反対に飲みすぎてしまうと、抗凝固薬が効きすぎてしまい、出血の合併症を引き起こす危険性があります。
また、抗凝固薬はビタミンKを摂取した途端に効き目が悪くなってしまうため、食事に気をつける必要があります。絶対に摂取してはいけない食品は、ビタミンKの含有量が多い納豆、青汁、クロレラです。
高齢の方で、特に認知症を患っている方などは、抗凝固薬の服用方法を誤ってしまうことが少なくありません。そのため、抗凝固薬を服用する必要がないメリットは非常に大きいといえるでしょう。
先ほどもお話しした通り、人工弁を用いた弁置換術では弁輪部にステントを装着する必要があるため、弁口面積(血液が心臓から出ていく通り道の広さ)が小さくなります。すると、心臓から血液が流れにくくなり、心臓にかかる負担が大きくなってしまいます。
しかし、自己心膜を用いた大動脈弁再建術では、作成した大動脈弁を弁輪部に直接縫い付けるため、ステントを装着する必要がありません。本来の弁口面積を維持できるため、心臓への負担がかかりにくいというメリットがあります。
弁置換術に用いる人工弁は、1個につき約100万円するため、人工弁を使用しない自己心膜を用いた大動脈弁再建術では医療費のコストを抑えることができます。
患者さんとしては、高額療養費制度によって1か月で支払う医療費の限度額が決められているため、どちらの手術でも支払う金額はほとんど変わりません。しかし医療経済的に、人工弁にかかる医療費を削減できる点は大きなメリットであると考えます。
自己心膜を用いた大動脈弁再建術は、2007年4月に開始された治療法であるため、いまだ10年以上の長期成績が出ていないことがデメリットといえます。
しかしながら、2007年4月から2015年12月までに実施された手術の成績として、最長118か月の追跡で、術後の生存率が85.9%、再手術率は4.2%1)と報告されており、生体弁を用いた弁置換術と比較して同等もしくはそれ以上の成績であると考えられています。
術後については、人工弁を用いた弁置換術と同様で、基本的には手術翌日から離床、歩行、食事などをしていただけます。これらは作業療法士や理学療法士などのリハビリテーションを行うスタッフが患者さんに付いて行います。
手術では、心臓の前面にある胸骨を真ん中で縦に大きく切って手術を行います。術後は、切開した胸骨を元の位置に戻して金属のワイヤーで固定しますが、骨が完全にくっつくまでには3か月ほどかかります。そのため、術後3か月間は胸にバストバンドと呼ばれるものを巻いて胸骨を固定したうえで、重いもの(およそ10kg以上のもの)を持たないようにしていただいたり、体を大きく捻る動作を控えていただいたりしています。
そのほか、日常生活に大きな制限はありません。
過去に放射線治療を受けられた方や、心膜炎や重篤な肺炎を起こしたことのある患者さんは、心膜自体が炎症によって硬くなったり、厚くなったりしてしまっていることがあります。そのような心膜では大動脈弁を作成することができないため、自己心膜を用いた大動脈弁再建術が適応にならないことがあります。
しかし、このような既往がない限りは、標準治療である弁置換術を行うことができる方であれば、自己心膜を用いた大動脈弁再建術を受けることができます。
それでは実際に、自己心膜を用いた大動脈弁再建術を受けるにはどのようにしたらいいのでしょうか。記事3『自己心膜を用いた大動脈弁再建術を受けるには?手術の難しさや実施できる病院について』では、自己心膜を用いた大動脈弁再建術を受ける方法や手術における難しさについて、引き続き田中敬三先生にお話を伺います。
【参考】
1) Ozaki S ,et al. J Thorac Cardiovasc Surg. 2018 Jun;155(6):2379-2387.
浜松医療センター 心臓血管外科 部長
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