患者さん一人ひとりの人生を大切に思う。それがよりよい社会をつくる

DOCTOR’S
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患者さん一人ひとりの人生を大切に思う。それがよりよい社会をつくる

患者さんの未来を考え、サポート役に徹し続ける原口 拓也先生のストーリー

医療法人 札幌ハートセンター 札幌心臓血管クリニック 循環器内科 末梢動脈疾患センター長
原口 拓也 先生

“医師不足”の現状を目の当たりにし、循環器内科医の道へ

幼い頃から、小児科医である父の背中を見て育ちました。父方が医者家系だったこともあり、将来は医師になるのだと、おそらく潜在的に意識しながら幼少期を過ごしていたと思います。医師の道へと進むまでには、サポートしてくれた母の存在も大きく、両親にはとても感謝しています。

現在は循環器内科を専門としていますが、医師になったばかりの頃は、父と同じ小児科医になることを目指していました。特に、救急や集中治療の分野に関心を持っており、当時は未発達であった小児救急医療に携わりたいと考えた時期もあります。

しかし、実際に医療現場で働いてみて、高齢の患者さんが非常に多いという状況を目の当たりにしたことが、転機となりました。ますます高齢の方が増えていくことや、近年の“医師不足”といわれる現状を肌で感じ、「医療現場はいつか、回らなくなるだろう」と思ったのです。そのとき使命のようなものを感じて、救急や集中治療、内科全般にも関わり、特に高齢の患者さんが多く受診される循環器内科を選択することを決めました。

足の治療を専門とし、予防医学にも注力

循環器内科医になった当初は、出身地である福岡の病院に勤め、心臓の病気に対するカテーテル治療(細い管を血管内に挿入して行う治療法)を主に行っていました。医師になって5~6年目からは、足の血管に対するカテーテル治療に着目し、学び始めました。カテーテル治療のデバイス(道具)の進歩によって登場した、より新しい治療の選択肢だったのです。

2014年、時計台記念病院の浦澤 一史(うらさわ かずし)先生から声をかけていただき、福岡から札幌に移って、4年間にわたり浦澤先生の下で足の治療を教わりました。そのとき浦澤先生がおっしゃっていた「確率を凌駕する手技を身につけろ」という言葉が、心に残っています。

当時、札幌の病院には非常に多くの患者さんが訪れていたことが印象的でした。生活習慣病など、普段の生活を見直すことで予防が期待できるような病気の患者さんも、少なくなかったのです。そこで私は、病気にならないよう予防することの重要性を啓発する活動に取り組もうと考え、カテーテル治療とともに、予防医学を積極的に学び始めました。今も、外来診療のなかで予防法を丁寧に説明したり、市民公開講座で講演を行ったりと、啓もう活動に尽力しています。

患者さんが元気になった姿を見るのが何よりの喜び

福岡の病院に勤めていたとき、恩師から言われた「医師としてもっとも大事なものは“外来力”である」という言葉を大切にしています。医師に求められるのは、外来診療で患者さん一人ひとりと接することを大事にする力だということです。恩師が言う“外来力”を実現できたと初めて感じられたのは、北海道に赴任してから3年目のことでした。

毎週1回の外来を担当していた、北海道の伊達市にある病院での勤務最終日。ちょうど台風が接近していて悪天候だったにもかかわらず、病院の最寄り駅まで患者さんたちが見送りに来てくださいました。強風で患者さんの帽子が吹き飛ばされてしまうハプニングもありましたが、皆さんが口々に「ありがとうねぇ!」と声をかけてくださり、とても嬉しかったことを覚えています。

患者さんが元気になった姿を見るのは何よりの喜びです。私はそのとき「今まで取り組んできたことは間違いではなかった。“外来力”が大事だという恩師の言葉を守ってこられたのだ」と思いました。知らない土地でもやっていけるのだという、大きな自信にもつながりました。患者さんたちからの感謝の言葉は、ずっと忘れません。

患者さんの人生を変えることになる可能性を常に意識

私は、医療を提供することで患者さんの未来が変わり、ひいては、ご家族や周囲の方にも影響を与える可能性があるということを、いつも意識して診療にあたっています。個人が変われば周囲が変わり、地域が変わり、よりよい社会へと変わっていくことが期待できます。大げさかもしれませんが、国が変わり、世界が変わり、歴史が変わることもあるかもしれません。だからこそ、治療によって患者さんの人生がよりよくなることが、診療における醍醐味なのだと思っています。

忙しさで心身ともに疲弊して、「なぜ自分はこんなことをやっているのだろう」と思いながら、自分に鞭打つようにして働いていた時期もあります。そのとき、いろいろと考えて思い至ったのが、「医師としてサポートすることが患者さんの日常を変えるのだ」ということでした。

医師は、あくまでサポート役に徹する存在です。患者さんがよりよい人生をあゆみ、歴史を変えてくれたらと願っています。そして、歴史を変えることに寄与したという実感が、私の喜びであり、医師を続けていく原動力です。

趣味を通して得た知識や情報も、診療に生かすことを心がけてきた

私が医師として普段から大切にしているのは、知らないことを自覚することが大事だという“無知の知”という考え方です。「自分にはまだ見えていない真実がたくさんあるはずだ。知識が不足しているのだから常に学ぼう」という姿勢を心がけています。

たとえば読書するときも、医療に関わる書籍だけではなく、物理、科学、量子力学といったジャンルにも目を通すことで、よりよい医療につながるヒントを得られることがあります。趣味の時間にも、医療を提供するうえでのヒントがあるかもしれないと考えて、日頃からアンテナを広げるようにしています。

体を動かすことにも、意識して取り組んでいます。病院に勤務していると太陽の光を浴びないまま1日を終えることもありますが、そのような状況が続くのは体によくありません。余暇はトレーニングに打ち込んだり、キャンプをして本を読みながらゆっくり過ごしたりしています。

医学生時代はバンドを組んで、インディーズでCDを出したり、国内やインドネシアでのツアーをしたりと精力的に活動していました。

インドネシアでのライブ演奏 ドラム担当の原口先生
インドネシアでのライブ演奏 ドラム担当の原口先生

最近でも、インドネシアの学会に参加してライブを行う機会がありました。カテーテル治療をオンラインで中継する“ライブデモンストレーション”です。過去にはドラマー(Dr)として訪れたインドネシアで、今度はドクター(Dr)としてライブをするという不思議な縁を感じたものです。こちらのライブも、大盛況のうちに幕を閉じました。

インドネシアの学会“ISICAM-InaLive 2019”の様子
インドネシアの学会“ISICAM-InaLive 2019”の様子

多くの患者さんと接しながらも、一人ひとりを大切にする医師でありたい

原口先生 取材写真

当院に赴任してきたのは2018年のことです。利便性の高い場所に位置する“サテライト外来”を含め40か所で医療を提供している当院のことを聞き、「あんなに多くの患者さんが訪れる仕組みを知りたい」と思ったことが、赴任してきたきっかけの1つです。もう1つのきっかけは、多くの患者さんが訪れる病院に勤めることで、これまで培ってきた医師としての技術を、より多くの方に提供したいと思ったことでした。

最近では、「人生で治せる患者さんの数は限られている」という思いから、日本全国、そして海外の医師と積極的にやりとりし、症例に関するディスカッションや技術の検証などを行っています。多くの先生と一緒に仕事をすれば、私が持つ知識や技術を広く伝え、より多くの患者さんを治療することにつながると考えています。

これからも、1人でも多くの患者さんを助け、一人ひとりの未来に貢献できるよう、啓発活動も含めた医療の提供に尽力していきたいと思います。

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