DOCTOR’S
STORIES
ガンマナイフ治療を専門とし、よりよい医療を追求し続ける赤羽 敦也先生のストーリー
子どもの頃から生き物や人体のしくみに興味を持っていました。当時、小学生向けの図鑑シリーズを毎月買って、“生き物”や“人体”などがテーマの巻を、ボロボロになるくらい繰り返し読んだのを覚えています。たとえば人体の巻には、消化管や脳などのイラストが載っており、大脳や小脳の解説のところに「鳩の小脳を切除するとうまく飛べなくなる」というようなことが書かれていたのが印象的でした。このような体験から何となく人体に興味を持ったのが、医師になろうと考えたきっかけだったのかもしれません。
高校で進路を考えたときには、具体的に医師になることをイメージしていました。困っている人の役に立てる仕事がしたいと思ったからです。どのような仕事も世の中の役に立つという点では同じですが、“健康”や“元気”は人間の生活の基盤であることから、病気を治療する医師という仕事は分かりやすく、多くの人の役に立てるのではないかと考えました。また、自分の興味・関心として、人間が物を考えたり気持ちをつくったりする不思議な脳のしくみをもっと知りたいという思いもあり、医学部に進むことを決めました。
脳に関わる診療科に進もうと考えた私は、医学部5~6年目の臨床実習先として脳神経外科を選びました。そこでの仕事はとてもハードでしたが、緊急性の高い病気にチームで挑み、無事に手術を終えて汗をかきながら手術室を出るという、起承転結がはっきりしているところが性に合っていたと思います。同科の先生が熱心に誘ってくださったこともあり、ほかの診療科とはあまり迷わず脳神経外科医になろうと決めました。
医師のキャリアとしては、基礎的なトレーニングを受けて博士号や専門医を取得した後、さらに専門性を追求するためにサブスペシャルティ領域を決めることが一般的です。脳神経外科のサブスペシャルティ領域にも、血管の手術、
臨床研修を終えて脳神経外科専門医*を取得した私は、脳の病気に放射線の一種であるガンマ線を照射して治療する“ガンマナイフ治療”という、かなりニッチな分野をサブスペシャルティとして選択しました。というのも、医局の教授から「お前はガンマをやれ」と言い渡されたからです。
*脳神経外科専門医:日本脳神経外科学会が認める脳神経外科の専門医
脳神経外科医のいわゆる王道は難しい症例の手術を極めることです。もしも自分で自由に専門を選ぶよう言われていたら、ガンマナイフ治療を選ぶことはなかっただろうと思います。しかし、日本で初めてガンマナイフ装置が導入された頃から治療に携わっていた医局の先輩が、初心者の私に“イロハのイ”から教えてくださり、少しずつ携わるうちに奥の深い分野だということが分かってきました。
回復する患者さんが思った以上に多くいらっしゃったのも嬉しかったですし、先進的な知識や技術を治療にフィードバックすることで、世の中の進歩とともに新しい治療法を突き詰めていける魅力がありました。たとえば、数年前まで治療は困難だといわれていたような病気の治療法が発見されたら、すぐに自分たちも取り入れることができ、日々の診療がとてもエキサイティングなのです。
私の母校である東北大学の医局には “どんなに小さくても与えられた仕事にベストを尽くせば、必ず評価されて道が開かれる”という空気がありました。だからこそ「とにかく挑戦してみよう」と思えたのかもしれません。ここで得た経験には、非常に感謝しています。
脳神経外科で扱う病気の中には命に関わるものがあり、病気によって生活が一変する患者さんもいらっしゃいます。それでも回復して無事に退院する患者さんを見送ることができたり、退院後に外来を受診された患者さんが見違えたように元気だったりすると、役に立つことができてよかったと心から思います。一方で、手を尽くしたけれども残念ながら亡くなってしまった患者さん、ついさっきまでお元気だったのに容態が急変する患者さんもいらっしゃいます。
日々の診療を通して命の強さと儚さを両面で見ていくうちに、“命とは何か”という哲学が自分の中で醸成されてきたように思います。人の生き死にには人智を超えたところがあり、“健康を失って初めてそのありがたみが分かる”といわれるように日常は当たり前のものではありません。脳疾患の患者さんと接し経験を重ねるなかで、そんなふうに考えるようになりました。今は、与えられた時間の中で、身の回りのさまざまなことを大事にしていこうと思っています。
医師にとって患者さんは大勢の内の1人に過ぎないといいますが、患者さんにとって医師は唯一の“先生”です。そこで私は、不安を抱えて受診される患者さんの気持ちにできるだけ寄り添った診療を心がけるとともに、自分の何気ない一言が患者さんにとって大きな意味を持つことがあると肝に銘じて、最大限の配慮をするよう努めています。
たとえば、診察室で医師がため息をついたら、それが無意識のものだったとしても患者さんは「自分の病気が悪いせいではないか」などと心配になってしまうと思います。ちょっとした言葉に勇気づけられることもあるでしょう。だからこそプロフェッショナルとして、いつも気遣いができる医師でありたいと思っています。
そして、患者さんを気遣うためには自分のコンディションがよくなければならないので、日頃から心身ともに整えておくことも心がけています。オンとオフをきちんと切り替え、最近では時間を見つけて川釣りや堤防釣り、トレッキング(山歩き)などに出かけています。“遊ぶときも気合を入れて徹底的に”がモットーです。
現在は若手の先生方と一緒に勉強する機会に恵まれ、刺激を受けることも多く、共に切磋琢磨しながら診療にあたっていける環境に身を置くことができてありがたく思っています。若手の皆さんにはぜひ、“よい医師”になるべく、まい進していただければと思います。
よい医師になるためには、もちろん患者さんとの接し方も大切ですが、まずは基礎的な知識や技術を磨くことが大前提です。そして、医学の進歩に貢献するという意味では、データを集め、自分たちで新しいエビデンス(根拠)をつくっていくことも大事です。診療の中で得た情報を世の中に新しく発信することが、医学の進歩、治療成績の向上、よりよい治療方法の普及へとつながっていくわけです。
そして、世の中を説得して動かしていくのは1人では難しく、志を同じくする人々との協力が欠かせません。私の専門であるガンマナイフ治療の分野も医師同士のつながりが強く、協力し合って少しずつデータを発信し続けています。現状に満足するのではなく、ほかの医師から学んだことを取り入れたり、考えを積極的に発信したりして前に進み続ける姿勢が重要です。
医療の進歩はめざましく、かつては治らないといわれていた病気が改善するようになったと実感することもある一方で、非常に多くの課題についても毎日の診療の中で痛感しています。私は脳疾患の中でも、脳に発生する悪性の腫瘍(悪性脳腫瘍)に関わることが多く、治療成績の向上は大きな課題の1つです。これからも、患者さんにとってより負担が少なく、より確実に治療できる方法を追求していきたいと思います。
この記事を見て受診される場合、
是非メディカルノートを見たとお伝えください!
NTT東日本関東病院
NTT東日本関東病院 院長、ロコモ チャレンジ!推進協議会 委員長
大江 隆史 先生
NTT東日本関東病院 消化管内科・内視鏡部 部長
大圃 研 先生
NTT東日本関東病院 乳腺外科部長・がん相談支援センター長・遺伝相談室長
沢田 晃暢 先生
NTT東日本関東病院 整形外科・スポーツ整形外科・人工関節センター
高木 健太郎 先生
NTT東日本関東病院 泌尿器科 部長 兼 前立腺センター長
中村 真樹 先生
NTT東日本関東病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科 部長
中尾 一成 先生
NTT東日本関東病院 肝胆膵内科 医長
藤田 祐司 先生
NTT東日本関東病院 脳神経外科 部長/脳卒中センター長
井上 智弘 先生
NTT東日本関東病院 ロボット手術センター センター長
志賀 淑之 先生
NTT東日本関東病院 血液内科
臼杵 憲祐 先生
NTT東日本関東病院 脳血管内科 部長、脳神経内科 部長
大久保 誠二 先生
NTT東日本関東病院 スポーツ整形外科部長
武田 秀樹 先生
NTT東日本関東病院 緩和ケア科部長
鈴木 正寛 先生
NTT東日本関東病院 肝胆膵内科部長
寺谷 卓馬 先生
NTT東日本関東病院 副院長・予防医学センター長
郡司 俊秋 先生
NTT東日本関東病院 形成外科 部長
伊藤 奈央 先生
NTT東日本関東病院 呼吸器外科 部長 呼吸器センター長
松本 順 先生
NTT東日本関東病院 心臓血管外科 部長
華山 直二 先生
NTT東日本関東病院 整形外科・スポーツ整形外科・人工関節センター
柴山 一洋 先生
NTT東日本関東病院 整形外科 医長/人工関節センター長
大嶋 浩文 先生
NTT東日本関東病院 外科 医長
樅山 将士 先生
NTT東日本関東病院 整形外科 部長・脊椎脊髄病センター長
山田 高嗣 先生
NTT東日本関東病院 外科 医長
田中 求 先生
NTT東日本関東病院 消化管内科 医長
港 洋平 先生
NTT東日本関東病院 循環器内科 部長
安東 治郎 先生
NTT東日本関東病院 産婦人科 部長
塚﨑 雄大 先生
北青山Dクリニック 脳神経外科
泉 雅文 先生
NTT東日本関東病院
高見澤 重賢 先生
「受診について相談する」とは?
まずはメディカルノートよりお客様にご連絡します。
現時点での診断・治療状況についてヒアリングし、ご希望の医師/病院の受診が可能かご回答いたします。