新しい治療の種(シーズ)をみつけるために研究がある

千葉大学神経内科 教授
桑原 聡 先生

新しい治療の種(シーズ)をみつけるために研究がある

師匠伝授の研究魂を胸に新しい治療の発見に挑み続ける桑原聡先生のストーリー

公開日 : 2017 年 09 月 04 日
更新日 : 2017 年 09 月 04 日

未知数の神経内科疾患を診断する面白さに目覚めて

私の父は結核専門の開業医で、「自分も将来は医師になるかも」という漠然とした予感が幼い頃からありました。おそらく父もクリニックを継いで欲しいと思っていたように感じます。

高校卒業後は「何となく」医学部に進み、大学卒業時の専門科選択の際は呼吸器内科、血液内科、神経内科など、さまざまな診療科を見学し迷ったものです。父の意志を引き継ぎ地域医療に貢献するという意味では、呼吸器科に進むべきだったのかもしれません。しかし最終的に私が選んだのは、神経内科への道でした。

神経内科を選んだ最大の決め手は、最も神秘的なところ、つまりわからないことの多さにありました。今から30年以上前の1980年代当時は、神経内科疾患のほとんどに治療法がないとされていた時代だったのです。わかっていることを実践するより、わからないことを研究するほうが面白そうだと思い、神経内科医としてスタートを切りました。

医師として怠惰な生活だった10年間に釘を刺した

今でこそ仕事一筋の生活を送っていますが、若い頃から決して勤勉な生活をしていたわけではありません。むしろ、卒後10年程度の間は臨床の勉強こそしたものの、はっきりとした目標を持たず、なんとなくふらふらとした生活を送っていました。

しかし、1995年、たまたま人事の関係で大学に戻るタイミングで神経生理学の研究を始め、シドニーへ留学することになりました。この留学を契機に恩師のデビッド バーク先生に出会い、研究の重要性を認識し、その魂の一部を受け継ぐことになったのです。

海外の異文化に触れ、そして師匠に出会い学んだこのシドニー留学が、私にとって最も影響を与えた経験といえるでしょう。

シドニーの研究室にて、中央が桑原聡先生(1999年撮影)

研究は計画がすべて

デビッド バーク先生は生理学分野で当時から有名な方であり、研究の最初の段階から非常に細かく研究計画を立てることで知られていました。計画の立て方が、恐ろしいほどまでに完璧なのです。

ある仮説を思いつくと、どの手法をどのように使って研究するか、どの規模でいつまで行うと証明できるかを計画するのですが、実際にひとつの研究が終了して論文として公表された際に、ほぼ計画されていた通りに進んでいたことに驚きました。またそのように計画された複数の研究が同時並行でスケジュール通りに進んでいました。

「初めからどれだけ細かく正確に計画を立てられるか、これが研究のコツなんだ」

デビッド バーク先生の下で研究をしていた私はそう確信しました。研究は初めが勝負であり、研究計画が順調に滑り出せば8割成功だということを教えてくれたデビッド バーク先生は、私が人生で最も尊敬している恩師の一人です。

さらに驚いたのが、デビッド バーク先生は、「どこにいても」「休み中であっても」ほぼ必ず仕事をしていることでした。たとえ家族旅行でパリに行っても、ゴールドコーストのビーチでも、四六時中パソコンを開いて論文を書いたり、eメールで議論をしたりしており、常に研究を続けているのです。

毎日17時05分には奥さんからもう病院を出たかという電話が入り、帰宅するのですが、帰宅後も結局仕事をしているのがデビッド バーク先生です。メールを送ればすぐに返ってきますし、夕方に渡した論文の校正済みの原稿がその晩に送られてくることもありました。24時間研究のことを考えている、と思いました。

桑原聡先生の恩師・David夫妻(1999年撮影)

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千葉大学神経内科 教授

桑原 聡 先生

神経内科が専門の医師であり、脳、脊髄、末梢神経、筋など広汎な神経系を冒す多数の疾患について診療・教育・研究を進め成果を上げている。特に免疫性神経疾患を専門としており、全国各地から難治例が紹介されている。クロウ・フカセ症候群、ギラン・バレー症候群の医師主導治験を推進し新規治療法の開発を推進している。

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