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新しい治療の種(シーズ)をみつけるために研究がある

DOCTOR’S
STORIES

新しい治療の種(シーズ)をみつけるために研究がある

師匠伝授の研究魂を胸に新しい治療の発見に挑み続ける桑原聡先生のストーリー

千葉大学 脳神経内科 教授
桑原 聡 先生

未知数の神経内科疾患を診断する面白さに目覚めて

私の父は結核専門の開業医で、「自分も将来は医師になるかも」という漠然とした予感が幼い頃からありました。おそらく父もクリニックを継いで欲しいと思っていたように感じます。

高校卒業後は「何となく」医学部に進み、大学卒業時の専門科選択の際は呼吸器内科、血液内科、神経内科など、さまざまな診療科を見学し迷ったものです。父の意志を引き継ぎ地域医療に貢献するという意味では、呼吸器科に進むべきだったのかもしれません。しかし最終的に私が選んだのは、神経内科への道でした。

神経内科を選んだ最大の決め手は、最も神秘的なところ、つまりわからないことの多さにありました。今から30年以上前の1980年代当時は、神経内科疾患のほとんどに治療法がないとされていた時代だったのです。わかっていることを実践するより、わからないことを研究するほうが面白そうだと思い、神経内科医としてスタートを切りました。

医師として怠惰な生活だった10年間に釘を刺した

今でこそ仕事一筋の生活を送っていますが、若い頃から決して勤勉な生活をしていたわけではありません。むしろ、卒後10年程度の間は臨床の勉強こそしたものの、はっきりとした目標を持たず、なんとなくふらふらとした生活を送っていました。

しかし、1995年、たまたま人事の関係で大学に戻るタイミングで神経生理学の研究を始め、シドニーへ留学することになりました。この留学を契機に恩師のデビッド バーク先生に出会い、研究の重要性を認識し、その魂の一部を受け継ぐことになったのです。

海外の異文化に触れ、そして師匠に出会い学んだこのシドニー留学が、私にとって最も影響を与えた経験といえるでしょう。

シドニーの研究室にて、中央が桑原聡先生(1999年撮影)

研究は計画がすべて

デビッド バーク先生は生理学分野で当時から有名な方であり、研究の最初の段階から非常に細かく研究計画を立てることで知られていました。計画の立て方が、恐ろしいほどまでに完璧なのです。

ある仮説を思いつくと、どの手法をどのように使って研究するか、どの規模でいつまで行うと証明できるかを計画するのですが、実際にひとつの研究が終了して論文として公表された際に、ほぼ計画されていた通りに進んでいたことに驚きました。またそのように計画された複数の研究が同時並行でスケジュール通りに進んでいました。

「初めからどれだけ細かく正確に計画を立てられるか、これが研究のコツなんだ」

デビッド バーク先生の下で研究をしていた私はそう確信しました。研究は初めが勝負であり、研究計画が順調に滑り出せば8割成功だということを教えてくれたデビッド バーク先生は、私が人生で最も尊敬している恩師の一人です。

さらに驚いたのが、デビッド バーク先生は、「どこにいても」「休み中であっても」ほぼ必ず仕事をしていることでした。たとえ家族旅行でパリに行っても、ゴールドコーストのビーチでも、四六時中パソコンを開いて論文を書いたり、eメールで議論をしたりしており、常に研究を続けているのです。

毎日17時05分には奥さんからもう病院を出たかという電話が入り、帰宅するのですが、帰宅後も結局仕事をしているのがデビッド バーク先生です。メールを送ればすぐに返ってきますし、夕方に渡した論文の校正済みの原稿がその晩に送られてくることもありました。24時間研究のことを考えている、と思いました。

桑原聡先生の恩師・David夫妻(1999年撮影)

オーストラリアで学んだワークライフバランス

オーストラリアに渡り最大級に受けたカルチャーショックは、仕事とプライベートの配分に対する感覚の違いでした。

オーストラリアのワークライフバランスは、日本とは対照的に、極端なほどにはっきりしています。17時になると研究室には誰もいなくなりますし、むしろ早く家に帰って家族と団らんするよう守衛から説得されるのです。

私も17時半には家に帰って、子どもと妻をビーチに連れていって遊んだり、海辺のレストランで食事をしたりと、まるでリゾート気分でした。振り返ってみると、オーストラリア留学をしていた1年半の間が私の医師人生において一番家族孝行をした時期だと思います。

このようにいうと、オーストラリア人医師はあまり研究をしていないのだろうか、と思われるかもしれません。多くの人はその通りです。しかし研究志向の高い一部の医師は、時と場所を問わず、その熱い研究魂で素晴らしい研究を行い続けているのです。師匠であるデビット バーク先生の姿をみて、それを確信しました。

わずか1年半の留学ではあったものの、シドニーでの生活は、私の人生で最も刺激を受けた1年半だったといっても過言ではありません。

クロウ・フカセ(POEMS)症候群で、日本で初めての幹細胞移植

2003年、私はクロウ・フカセ(POEMS)症候群の患者さんに対して日本初の幹細胞移植治療を行いました。この時点で世界的には2例の症例報告がありました。

ある日のことです。10歳のお子さんを抱えた30代のクロウ・フカセ症候群の患者さんが私のところを受診されました。当時、クロウ・フカセ(POEMS)症候群では、大量の胸水が溜まったら救命は不可能といわれており、その方も当時確立された治療法では手の施しようがない状態だったのです。しかし、彼女は、「この子が成人するまで生きさせてください」と訴えました。その気持ちは痛いほどわかりました。

「何とかしてこの親子を救いたい。」

私はこの患者さんに、当時、安全性が確認されていなかった自己末梢血幹細胞移植を実施する決意をしました。初の試みですから、すぐにというわけにはいきません。求められる数々の承認と審査。しかしこれらのプロセスを経て、ようやく治療を開始したところ患者さんは劇的に回復し、自力で歩いて帰れるまでになったのです。

初めてのことですからもちろん一定のリスクはありましたし、私自身もこの治療に踏み切るまでかなり迷いました。しかし、あれから15年近く経った現在(2017年9月時点)でも元気に通院しているその患者さんの笑顔をみると、「ああ、あのとき思い切った治療をしてよかった」と心から嬉しくなるものです。

平均生存期間3年といわれた時代に自己末梢血幹細胞移植を受けたこの患者さんのお子さんは、2017年で24歳を迎えられました。安全性の確立していない治療を行ったあのときの私の判断に疑問を持つ方もいるかもしれません。しかし「この子が成人するまで生かしてほしい」という約束を達成することはできました。

治療の種をみつける研究は、遊びよりも楽しい

神経内科ケースカンファレンスの様子(2017年撮影)

私は「未来の治療の種(シーズ)」をみつけることを大切にしています。私が神経内科医への道を歩みだしたころから比べると、神経内科疾患に対するさまざまな治療が登場しました。数々の「未来の治療の種」が花開き、それが実際の医療現場で活用され、そして患者さんを救える。今、神経内科はとても魅力的な分野となったのではないでしょうか。

その変化をリアルに体感した私は、この道を選んでよかったと強く感じています。

母校の千葉大学で教授を務める現在も、若手医師には「若いうちは遊びすぎず、早く研究をはじめなさい」と伝えるようにしています(自分は遊んだにも関わらず)。医師として研究に没頭する時期はとても貴重で、研究マインドを心身に覚えこませてから臨床に戻ったほうが、「未来の治療法の種」に出会える可能性が高いと信じているからです。

研究と臨床は手法や考えこそ違いますが、目指すものは同じ「治療」です。様々な考え方を身につけることは、総合的なアイディアを生み出すために非常に重要ですし、臨床に戻ったときに必ず活きてくるはずです。

救えないといわれた患者さんを一人でも多く救いたいから

私の任期から逆算すると、おそらく大規模な研究を推進できる数はあとひとつが限界でしょう。時間に限りがあると思えば、自然と研究のペースも上がります。

2016年まではギランバレー症候群の新しい研究を行ってきましたが、2017年現在、その結果を国際共同治験に持って行けるかどうかというところまで来ています。もし国際共同治験に進めば、2020年には全世界でこの治療が承認される見込みです。そうすれば、多くのギランバレー症候群の患者さんの後遺症が軽減できるはずです。この結果を見届けるまでは、必死に研究者として生きていきたいと思います。

「明日は明日の風が吹く」という言葉があります。私はこの言葉が好きで、自分に日々いい聞かせて生きています。

特に難病と闘う患者さんは、人生で辛いことのほうが多いと感じるかもしれません。しかし、「明日はきっと、いいことがある」と思って生きられれば、少しその辛さも軽減されるのではないでしょうか。患者さんの未来を少しでも明るいものにするために、残された時間を精一杯使って、新しい治療の種(シーズ)を発見していきたいと思います。

 

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