耳の手術なら日本一、と呼ばれる大学に

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耳の手術なら日本一、と呼ばれる大学に

外耳道保存型「クローズ法」を極め教育に力を注ぐ白馬伸洋先生のストーリー

帝京大学医学部附属溝口病院 耳鼻咽喉科 教授/科長
白馬 伸洋 先生

脳神経外科を先導する父を誇りに思い、医師を志す

私の父は、大阪市立大学で脳神経外科医を務めていました。2017年現在、脳神経外科の世界で「頭蓋底外科」と呼ばれている手術手技は、父を含む数名の教授がアメリカから日本に導入したものです。私は幼い頃から、日本の脳神経外科を先導する父を誇りに思い、いつの日か自分も医師になるのだと、どこか確信めいたものを胸に秘めていました。

研修医時代、ゴッドハンドに憧れて耳鼻咽喉科の道へ進むことを決意

1991年に愛媛大学医学部を卒業後、脳神経外科・耳鼻咽喉科で進路選択を迷っていた私は、最終的に学生時代からゴッドハンドと名高い耳鼻咽喉科の柳原尚明教授に憧れ、耳鼻咽喉科の道へ進むことを決意しました。最初の師匠となる柳原教授の勧めで、京都大学の関連病院である神戸中央市民病院で卒後研修を受けましたが、その際、二重国籍を得るような形で、愛媛大学と京都大学の両方に入局します。柳原教授は、真珠腫性中耳炎(鼓膜の炎症が周囲の骨組織を破壊していく耳疾患)に対して、外耳道(耳の穴から鼓膜までの器官)を保存して手術する「クローズ法」を行なっていました。

クローズ法は難易度が高いのですが、外耳道を自然な形で残すため、患者さんのQOL(生活の質)を高く保てることが最大のメリットです。

柳原尚明先生(左)とともに 1999年
神戸中央市民病院での研修時代 右から2番目:白馬先生

神戸中央市民病院で研修医として学ぶ間に、2人目の師匠となる山本悦生先生に出会います。山本先生は柳原先生の弟分の様な先生でしたが、耳の手術の世界では柳原先生と同じくゴッドハンドと呼ばれる先生でした。最初の耳の手術の手ほどきを、神戸時代に山本先生より受けることが出来ました。

山本悦生先生(左)とともに 2003年

愛媛大学大学院へ進学。耳鼻咽喉科の研究に没頭する

柳原教授のゴッドハンドに憧れて耳鼻咽喉科に進んだにもかかわらず、気づけば私は、臨床(実際に患者さんを治療・診察すること)よりも、研究に興味のすべてを注いでいました。神戸中央市民病院での研修を終え、1994年には愛媛大学大学院へ進学した後は、あらゆる内耳の障害、神経幹細胞の移植・再生などの研究に没頭。未解明な点の多い突発性難聴において、内耳の虚血との関連性を示し、モデルを作成しました。

今思えば、当時の私は脳神経外科の臨床医として凄腕だった父を心のどこかで意識し、「自分は臨床ではなく、耳鼻咽喉科における研究で大成したい」と感じていたのかもしれません。

憧れだった父の死をきっかけに再び臨床の道へ

医師になって16年が経とうとしていた頃の話です。当時38歳だった私は突如、父の死に直面します。そのとき、御年70歳だった父は、前立腺がんを患い、最期は静かに息を引き取ったのです。父の死をきっかけにして、私は自身の医師人生をまっすぐに振り返りました。幼い頃から、医師として威厳に満ちていた父。そんな父に憧れて医師となった。けれど、今は研究に没頭する自分—。

「もう一度、臨床をやりたい」

そんな想いが私のなかでふつふつと湧き、翌年、大阪赤十字病院へ武者修行に出る決意をしたのです。

恩師と出会い、クローズ法を中心とした耳の手術を徹底的に学ぶ

大阪赤十字病院での武者修行は、3年半に及びました。16年のブランクがあった私ですが、もともと柳原教授のゴッドハンドに憧れて耳鼻咽喉科に進んだこともあり、臨床はとても居心地のよい場所でした。長い回り道を経ましたが、まるで自身のいるべき場所へ戻ってきたような感覚を抱いたのです。大阪赤十字病院では3人目の師匠となる、当時、大阪赤十字病院副院長兼耳鼻咽喉科部長を務めていた岩永迪孝先生に出会いました。岩永先生は柳原教授の古いお弟子さんの一人でしたが、のべ12,000件を超える耳の手術を手がける、柳原教授や山本先生にも負けず劣らない耳の手術の世界ではレジェンド的存在です。岩永先生も柳原教授と同じく、真珠腫性中耳炎に対して、外耳道を保存して行うクローズ法を行なっていました。私は、耳の手術を実際に教えて頂いたという点では一番の恩師である岩永先生のもと、クローズ法を中心とした耳の手術を徹底的に勉強しました。

岩永迪孝先生(右)とともに 2007年

患者さんのQOL(生活の質)を高く保つクローズ法の重要性

 

真珠腫性中耳炎は、耳の奥にできる疾患です。真珠腫性中耳炎の炎症を放置すると、徐々に周囲の骨組織が破壊されてしまいます。その治療には、外科的手術で完全に切除して、さらに真珠腫が再発しないために破壊された骨組織の部分を再建する必要があります。

真珠腫性中耳炎の手術は、安全・確実を理由に、外耳道を大きく削る手術法(外耳道削開型)あるいは外耳道を大きく削った後に、筋肉の膜や筋肉などで外耳道そのものを再建する手術法(外耳道削開・再建型)が行われてきました。「安全・確実」といえば聞こえはよいかもしれません。しかし、これは術者にとってのメリットであり、実は患者さんにとってはデメリットの大きい方法なのです。

外耳道削開型のデメリットは、

1)耳の垢がたまりやすくなり2〜3か月の頻度で通院し耳掃除を要する

2)鼓膜に影響を及ぼすため不自然な聞こえ方になる

3)外耳道によって隠されていた三半規管がむき出しになるため、直接的な刺激を控えるため水泳ができなくなる

4)耳の穴が広がることで将来的にイヤフォン・補聴器が装着できなくなる

などが挙げられます。

また、外耳道削開・再建型でも、術後数年が経過すると外耳道の再建に用いた筋肉の膜が拡張したり、筋肉が萎縮することで外耳道削開型と同じデメリットが生じたりします。

一方、外耳道を保存して行う「外耳道保存型(クローズ法)」は、上記のようなデメリットがなく、患者さんのQOL(生活の質)を高い水準で保つことができます。特に患者さんが幼い子どもの場合には、術後の影響を考慮すると、クローズ法で治療するほうが、よほどメリットがあるはずなのです。

しかし、クローズ法には最大のネックがありました。クローズ法は狭い視野で行うため、術者に高度な技術を要するのです。

医師にとって都合のよい術式より患者さんのためになる術式を

外耳道削開型にはさまざまなデメリットがあります。しかし、手術の難易度・リスクが高いためにクローズ法が避けられているのでは、一体誰のための医療なのか。

「医療とは、医師の都合より、患者さんが優先されるべきだ」

そう考えた私は、自身がクローズ法を極め、それを人に伝えたいと思うようになりました。

2009年に大阪赤十字病院から愛媛大学へ戻ります。その後6年間のうちに1,000件ほどの手術を担当し、現在の手術の基盤が完成しました。それは恩師の柳原教授や岩永先生から学んだクローズ法をベースに、自分なりに発展させた「白馬式」ともいえる術式でした。

耳の手術を学べる日本一の大学をつくりたい

2015年からは帝京大学医学部附属病院に主任教授として就任し、クローズ法を中心とした耳の手術を集中的に学べる環境をつくっています。当院の耳鼻咽喉科は、いわゆる医局というより、「耳の手術を学べる日本一の大学をつくる」という信念に共感してくれた同志たちの集まりです。

いつの日か、「耳の手術なら帝京大学医学部附属溝口病院」といわれる存在に発展し、47都道府県それぞれにクローズ法の主軸となる医師を輩出したい。それが私たちの夢です。

「三流は財を残し、二流は名を残し、一流は人を残す」といいます。

私は、一流の医師であり続けるため、次の一流の医師を育てていくことに自分の人生をかけたいと思っています。

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