病気をしないことだけが“健康”ではありません。「心身の発達」という言葉もあるように、体とともに心も健全に育つことが真の健康につながります。ところが日本では、子どもから若年成人にかけてのこころの健全な発達をサポートする仕組みがありません。国立成育医療研究センターの五十嵐隆理事長に小児科医療の現状と今後求められることについて聞くインタビューの第2回は、子どものこころの問題に小児科医が果たすべき役割と、あるべき仕組みを取り上げます。
10~20代の人たちは「最も医療費を使わない」世代です。では“健康”なのかというと、実際にはそんなことはありません。
とくに病気ではなくても、例えば両親が離婚して片親となったために貧困の影響を受けている▽発達障害の人は学校生活や日常生活をするうえでとても生きにくい――といったサイコ・ソーシャル(心理・社会的)の問題を抱えている子どもはたくさんいます。
日本の新生児死亡率は1000人あたり0.9、1歳までの乳児死亡率は同1.9と、世界で1、2位で、日本の小児科医療がバイオロジカル(身体的)な対応の面ではよくできていたと言えるでしょう。では、子どもの健康を守るという観点からはどうでしょうか。
生まれてから小学校に入るまでは「乳幼児健診」があり、学校では内科、耳鼻科、眼科、心臓病、検尿などさまざまな健診があります。ところがこれらをよく見ると、乳幼児健診のうち法律で決まっているのは「1歳6カ月健診」「3歳児健診」だけ。ほかにも「1カ月健診」「5歳児健診」など地域によっていろいろと行われますが、これは自治体がお金を出してやっているもので、国は日本の子どもの健診にお金をかけていません。
学校で行われる健診はどうでしょうか。例えば検尿は、多くは春に行われます。なぜかというと、昔は腎炎でプールに入れない子がかなりいたので、それを見つけるのが目的でした。ほかの健診も、学校生活を送るうえでバイオロジカルな問題がある子どもを見つける、スクリーニングすることが大きな柱になっているのです。そこにはひとり一人の子どもが抱えるサイコ・ソーシャルな問題を見つけ、解決しようという観点はありません。
医学教育の中でもこのような視点の重要性が教えられる事はこれまであまりありませんでした。また、小児科医が臨床現場で子どもひとり一人を身体・心理・社会的に捉える健診を行おうとしても、正当な対価が払われる制度がわが国にはありません。
学校健診の内科検診では1人あたりにかける時間は1~2分で、聴診をしたらそれで終わり。その子がどんなことに悩んでいるか、どんな障害や困難があるか――具体的には、虐待を受けているとか、きちんと食べさせてもらえないとか、勉強についていけないとか、学校でのいじめ、性の問題などを聴くといった、子どもひとり一人の立場に立った健診ではないのです。子どもたちにとっては、トラブルが起こってスクールカウンセラーが対応するまでの中間的仕組みがありません。
アメリカでは、この点で手厚いサポートをしています。1990年からhealth supervision(個別健康相談)を受ける機会が乳児期に7回、12~30カ月に5回あり、3歳以降は21歳になるまで年に1回30分、個別健診を受けます。そのうち10分は日本でやっているような体のことや予防接種をして、後の20分はサイコ・ソーシャルな問題について、小さい時は保護者と一緒に、大きくなったら保護者とは別に相談を受けます。10歳を過ぎると、小さい時から自分のことを知っていて信頼できる大人になら、親に言えないようなことも相談できるかもしれません。個々の子どもの状態に応じたさまざまな問題に対して、医学的知識があるしっかりした大人が成長とともに伴走してくれる――。それがこの健診の目的なのです。
21歳までこの健診を受けている人は70%以上とのことで、非常に進んだやり方だと思っています。
一方日本では、先ほど述べたようにバイオロジカルな面はともかく、サイコ・ソーシャルな面に配慮する力も余裕も不十分です。
思春期の子どものこころと体には劇的な変化が生じます。私たちが行った調査では10歳以降にこころの問題と薬物依存の問題が増大することは明らかです。
ところが、これまでわが国の小児科医の守備範囲は15歳までで、それ以上の年齢の思春期の子どもへの保健や診療を担ってきませんでした。そのため、この年齢層の人への対応が不十分となっています。
医学教育の面でもこの分野のカバーは遅れています。思春期の子どもの医療には妊娠、性、非行、うつのようなメンタルヘルスなども含まれますが、乳幼児中心の医療を担ってきたわが国の多くの小児科医の得意とする分野ではありません。しかし、小児科の守備範囲を超えた若年層の保健・医療に、これまで以上に小児保健・医療の関係者の貢献が求められているのです。
成育医療研究センターこころの診療部では、こころの問題をもつ子どもの診療、診療スタッフの育成に務めています。また、学習障害児の中の読み書き障害を改善するためのツールを作成し、公表しています。
さらに、アメリカの個別健康相談の教科書を成育医療センターのメンバーが翻訳し、「乳児、小児、青年のための個別健康相談ポケットガイド」として日本医師会のウェブサイトで公開しています。また、子どもの健診を改善するための、厚生労働省の研究班にも協力しています。
わが国の多くの小児保健・医療関係者も、病気の有無にかかわらず身体・心理・社会性(biopsychosocial)の面から子どもと家族を支援し、子どものリスクに対応することの重要性を認識しています。ところが、残念ながら日本の健康保険は予防医学にお金を出せない仕組みになっています。一方で、妊娠・出産に関する制度では、妊娠中に14回、出産後に4回、自己負担3割で健診が受けられることになっています。こうした制度も参考に、思春期までをカバーする健診制度を作っていくことが絶対に必要だと思っています。
日本の子どもたちには、こころの問題を持っていても相談する相手が少なく、早期に適切な支援を受ける仕組みが不足しています。何かトラブルが起こってから、あるいは事件が起こってから初めて対応するという後手後手の状態になっています。“夢物語”と思われるかもしれませんが、家庭のこと、子どものこと、親のことなど全部分かったうえで子どもの成長を支援していく、アドバイスをするという仕組みを作っていかなければなりません。
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国立研究開発法人国立成育医療研究センター 理事長
東京大学小児科教授、東京大学医学部附属病院副院長を経て現在は国立成育医療研究センター理事長を務める。日本小児科学会では前会長、現在は監事を務め小児腎臓病学を専門とする。これからの小児科医のあり方についても提唱を行うとともに、後進の教育や日本の小児医療をより良くするためのアウトリーチ活動にも積極的に取り組んでいる。