加齢とともに感じる聞こえにくさ、「年のせいだから仕方ない」とあきらめてしまいそうなこの症状が、近年の研究により認知症と関係することが明らかになってきました。今回は愛知医科大学 耳鼻咽喉科・頭頸部外科(とうけいぶげか) 特任教授 内田育恵先生に、難聴と認知症、MCI(軽度認知障害)*の気になる関係、そして私たちが知っておくべき難聴対策についてお話を伺いました。
*MCI(軽度認知障害): 認知症になる一歩手前の状態
「対策が可能な認知症リスクのうち、難聴は最も影響力の大きなリスク因子である」……これは2024年に公表された“認知症の予防や治療、ケアに関するランセット国際委員会”の報告です。しかし、これは難聴が認知症の直接的な原因であることを意味しているわけではありません。
加齢性難聴の診療を専門とする内田先生は「難聴は、認知症のほかのリスク因子とも関連しながら、相乗的に影響を及ぼす可能性がある」と説明します。たとえば、認知症のリスク因子としては社会的孤立やうつも知られており、難聴はこれらの状態を引き起こすリスク因子でもあります。つまり難聴があることで、社会的孤立やうつが生じやすくなり、これらが重なり合って認知症の発症リスクを高める可能性があるのです。
加齢による聞こえにくさである“加齢性難聴”は、「音が大きくないと気付かない」という聴力の低下だけでなく、「言葉を正確に聞き分けられない」という問題も含んでいます。高齢の方が「聞こえが悪くなった」と感じる場合、多くは音そのものが聞こえないのではなく、日常生活の中で言葉が聞き取りにくくなったことを指しています。これは“言葉を聞く”という行為が、単に音を感じ取るだけでなく、その情報を脳に伝えて処理し、言葉として理解するまでの高次脳機能を複雑に駆使するプロセスであるためです。加齢性難聴では、これら全てのプロセスで機能低下が生じている可能性があります。なかでも情報を素早く処理する能力は、難聴があると顕著に低下しやすくなるといわれています。
高齢者の難聴は「年のせいだから仕方ない」と思われがちですが、実は治療で改善できるケースも少なくありません。内田先生は「聞こえが悪くなったと感じたら、まずは一度耳鼻咽喉科を受診してほしい」と話します。
たとえば、鼓膜の奥に水がたまる滲出性中耳炎(しんしゅつせいちゅうじえん)は、徐々に症状が進行するため気付きにくいものの、水を抜く処置によって難聴の改善が期待できます。この痛みのない中耳炎は、耳と鼻の奥をつなぐ耳管という管のはたらきが未熟な幼児によくみられますが、耳管の機能が衰える高齢者にもしばしば生じる中耳炎です。また、耳垢が外耳道に詰まる耳垢栓塞は高齢になると耳の軟骨が硬く変形したり、耳毛が生え変わるサイクルが遅くなり伸びて耳をふさぎやすくなったりして、しばしばみられるトラブルです。入浴したときの水分がしみて耳垢が固まり、完全に耳を閉塞することもあり注意が必要です。さらに、慢性中耳炎による鼓膜の穿孔(せんこう)や中耳の炎症による難聴も、適切な治療によってよくなる可能性があります。ご本人もご家族も単なる加齢による聞こえの低下と思い込みがちですが、“治る難聴”が潜んでいる場合があるため見逃さないようにしなければなりません。
難聴は認知症の発症リスクを高める可能性があることから、補聴器の使用による認知機能への効果に期待が持たれています。米国で行われた調査によれば、難聴のあるMCI(軽度認知障害)の人のうち補聴器を使用していた人は使用していなかった人と比べて、認知症を発症するまでの期間が長く発症率も低かったことが明らかになっています。ただしこの調査結果は、認知機能が保たれていたから補聴器を継続することができた可能性もあるため、因果関係を示したものではないことに注意が必要です。現時点では「補聴器の使用で認知症が予防できる」とは科学的には証明されていません。
では、補聴器にはどのような役割があるのでしょうか。加齢性難聴では、聴力レベルの低下によって耳から脳に届く音声の情報量が減少し、言葉の理解に必要な脳のさまざまな機能も衰えています。補聴器により耳から脳への情報量を減らさないようにサポートすることで、脳に言葉を処理し会話を理解する作業を継続させて劣化を防ぐ努力が必要です。
そのため、内田先生は「まずは耳鼻咽喉科を受診し、補聴器の使用が推奨される場合は“補聴器相談医”に相談してほしい」とすすめます。“補聴器相談医”とは日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会が耳鼻咽喉科専門医として認定した医師のうち、日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会が定めるカリキュラムを履修し、定期的に講習を受けている医師で、補聴器の選択や調整について専門的な知識と経験を有しています。補聴器を適切に使用することで、脳に音声情報を与え続けることができ、その結果、刺激を受けた脳が活発にはたらいて、認知機能を維持することが期待できます。
認知機能にはさまざまな種類があり、その全てに加齢や難聴の影響が等しく及ぶわけではありません。国立長寿医療研究センターの研究によれば、“知識”という言語力の認知機能は、通常は高齢になっても比較的保たれやすいものの、難聴があるとその能力が低下しやすいことが分かっています。ただし、補聴器の使用によって機能低下を防ぐことができる可能性があることも明らかになっています。一方、情報を素早く処理する能力、処理スピードは加齢とともに低下しやすく、難聴があるとその低下がより顕著になります。この能力の低下は、補聴器を使用しても防ぎにくいとされています。
このように、認知機能の種類によって、加齢や難聴の影響は異なります。高齢になると全ての認知機能が衰える訳ではなく、補聴器をうまく使いこなすことで防げる機能があることを理解しておくことも大切です。
内田先生は「聞こえにくさを感じ始めても、それを理由に社会活動や人との交流を減らさないでほしい」と強調します。聞こえが低下すると会話が聞き取りにくくなり、聞いた内容に自信を持てなくなるので、自分から質問したり発言したりする機会を減らしてしまいがちです。つまり、難聴は会話を聞く機会を減らすだけでなく、自ら話しかけることを躊躇(ちゅうちょ)してしまう原因にもなり、その結果、人との交流が徐々に減少して、社会的孤立につながる可能性があります。
聞こえの変化を感じたら、まずは耳鼻咽喉科を受診することから始めましょう。治る難聴が潜んでいるなら適切な治療を受け、必要に応じて補聴器を活用し、趣味の活動や交流の機会を維持・継続することが大切です。困ったときには周囲に協力を求めること、そしてまわりの方は適切に手を差し伸べることも必要です。加齢性難聴を避けることは難しいかもしれませんが、適切な対策をとり、社会活動や人との交流を続けることで、認知機能の維持につなげられることが期待できます。
取材依頼は、お問い合わせフォームからお願いします。